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42.カエデ



『申し訳ない、今日も会えません。歌詞の話は明日しましょう』

 ふけさんから、こんな味気のないメールが届いた。歌詞を書いておくようにと言われてからすでに3日経つ。ふけさんも忙しいのはわかるけど、歌詞が完成しないと、もともこもないんだからね! わかっているのかしら? ぷんすか!
 
 喫茶『パンヌス』のいつもの席。私は真っ白なノートを前に、イライラしていた。3日間必死で考えたのだけれど、あの素敵なメロディーにあう歌詞が思い浮かばなかった。正直、歌詞を生み出すことの出来ない自分を腹立たしく思い、落ち込んでいた。

 だから、今日はふけさんに相談したかったのに……なんで来ないんだよ、あのバカ……。

「あぁああ!! もう! ここでウジウジしていても、何も出てこんわ! マスター! お勘定!」

 私はお勘定を済ますと、喫茶『パンヌス』を飛び出した。そして、『暗黒豆腐』を売っている豆腐屋『白角(はっかく)』へと向かった。

 ふけさんから、「一度あいさつに行くように」って言われていたし、もしかしたら、何か良い歌詞のヒントがあるかもしれない! 私はイライラする気持ちを抑えながら、早足で歩いた。




「ここかぁ……派手な店だなぁ。豆腐屋に見えないし」

 目がチカチカする蛍光色。『白角』と書かれたド派手な看板。店の雰囲気とミスマッチなビートルズのBGM。ここは、サーカスか! そう、突っ込みたくなるような、へんてこりんな店。私は、この珍妙な店の豆腐を宣伝しなくちゃいけないのか……。何故か私はがっくりしてしまった。

「こんにちは……」

 私はがっくりしたテンションのまま、店内へと足を踏み入れた。

「らっしゃい」

 少しコワモテのおじさんが店番をしていた。

「あの……私、ここの『暗黒豆腐』を宣伝させていただきます、アイドルの……」

「あぁ! あんたカエデちゃんかえ? ふけさんから、聞いとるだよ。曲作りは順調かえ? おら楽しみにしとるだよ。それにしても、ベッピンさんだねぇ」

 コワモテな表情からは想像できないような高い声、しかもなまった口調で、店主らしき人が話しかけてきた。

「はぁ……、まぁ……」

「今日はどしたね?」

「いや、良い歌詞が浮かばなかったので、『暗黒豆腐』を実際に見てみようと思いまして……」

「ほうか、ほうか。好きなだけ見ていって頂戴。好きなだけ試食してもらってもかまわんたい。なんたっておじょうちゃんは、うちの大事な『アイドル』だからね」

「はぁ……それじゃ、遠慮なく」

 私はやけにフレンドリーなおじさんとの会話を早々に打ち切って、豆腐とにらめっこを始めた。

「うわ……黒くて気持ち悪い……」

 真っ黒な『暗黒豆腐』を見て、私の食欲は減退した。

「ほれ、食ってみな」

 ありがた迷惑な店主が真っ黒な豆腐を私に差し出してきた。

「あ、……はい」

 さすがに、断るわけにもいかないので、私は『暗黒豆腐』を口に放り入れた。

「どうだ? うめぇーだろ?」

「……おもしろい……味ですね」

 お世辞にも「おいしい」と言えない、なんとも不可思議な味の豆腐。おそらく海産物が含まれているであろうその黒い肉体は、噛めば噛むほど豊かな生臭さが鼻腔を通り抜け、嘔吐中枢を刺激する。

「ほれ、まだいっぱいあるから、どんどん食べなって」

 おせっかいな店主は『暗黒豆腐』を次々と私の口に押し入れてきた。

「はぐっ。もぐもぐ……」

 不味い。

「ほれ、まだあるでよ」
「はぐっ。もぐもぐ……」

 吐きそう。

「こっちは茹でたやつだん。おいしいぞう〜」
「はぐっ。もぐもぐ……」

 辛い。

「麻婆豆腐にも、あうんだで」
「はぐっ。もぐもぐ……」

 もう、お腹パンパン。

「ワサビ醤油で食べるど、また格別だで」
「はぐっ。もぐもぐ……」

 誰か、助けて……。

 おせっかいな店主のおせっかいなサービスは止まる気配がなく、次々と黒い豆腐が運ばれてくる。私は怒りにも似た感情を抑えつつ、無言で豆腐を食べた。これもアイドルになるためだ……。私はそう思い、必死に耐えた。

「はぐっ。もぐもぐ……」
 おい、じじい

「はぐっ。もぐもぐ……」
 いいかげんに

「はぐっ。もぐもぐ……」
 しろよ

「はぐっ。もぐもぐ……」

 …………もう、限界だった。頭の中で「ブチッ」と何かが切れる音がした。気がつくと、私はスポンサーである豆腐屋の店主の胸ぐらを掴んでいた。

「じじい!!! 不味(まずい)いんだよ!! こんな生臭せぇ豆腐、誰が食うかぁあああああああああ!!!!」

 私は店主をぶん殴り、豆腐屋『白角』から飛び出した。