カシューナッツはお好きでしょうか?
93.ハルカ
声が出なかった。
笑顔が作れなかった。
何も出来なくて、うつむくことしか出来なかった。
そんな自分の行動に、私が一番驚いた。
好きな人の存在というのは、こんなにも自由を奪う。それを、初めて知った。“恋の奴隷”という言葉の意味が、少し理解できた気がした。今私は体のみならず、声までも、自由にコントロールすることができない。体は鉛の様に重く動かない。そのくせ、気持ちだけは溢れてきて、私の心は破裂寸前。声すら発することが出来ない私に、この心に溢れる気持ちを発散する手段はないというのに……。
うぅ、……苦しい。心が破裂しそうで、痛い。でも、体が、喉が、動かない……。
表現できない心の葛藤ほど、辛いものはない。世界で一番の辛さが、心(ここ)にある。それなのに、そのことに誰も気付いてくれない。はたから見てもただうつむいているだけなのだから、しょうがないのだけれど。表現をしない自分が悪いのだけれど。気付いて欲しいというSOSすら送れない自分のせいなのだけれど、
“誰か、気付いて!”
私はそう、切に願わずにはいられなかった。
「ピロピロピロン♪ ピロピロピロン♪」
急に携帯が鳴ったので、驚いた。それと同時に、ようやく“黙ってうつむく”以外の行為ができると思い、ホッとした。
「あ、す、すいません……」
私は小さく呟くと、直ぐにメールを確認した。メールの差出人は、川島さんだった。
『ハルカさん、大丈夫。きっと、うまくいく』
このメールを見た瞬間、体が急に軽くなった。エネルギーが体中から湧き上がった。そんな折、アナウンスが流れた。
『本日のメインイベント、『暗黒豆腐少女』のライブが10分後に始まります。みなさん、中央広場特設会場へ、ぜひいらしてください!』
このアナウンスを聞いた瞬間、社長さんが私から離れようとした。私は自由になった体を使って、必死に社長さんの襟を掴んだ。引っ張った。さらに自由になった私の体は、溜まりに溜まった感情を発散せずにはいられなかった。ある感情は涙で、ある感情は頭を下げることで、ある感情は体を震わせることで表現した。それでも足りなくて、まだ心にたんまりと残っていた感情は、自由になった声に全て詰め込んで、表現した。
「私、社長さんにずっと会いたかったんです! 私がアイドルになれたのは社長さんのおかげなんです!! 社長さんの好きなものは何ですか!!! 今日の私の浴衣姿どうですか? 似合っていますか!? アイドルに大切なものは何ですか? 私今すごくドキドキしています! こんどライブに来てください!! もっと社長さんのこと知りたいです!! 今お付き合いしている人はいるのですか!? 私みたいなお子様は嫌いですか!?」
私は自分の想いを表現するだけで、せいっぱいだった。伝わらなくてもいい。ただ、感じて欲しい。そんな気持ちで体をめいっぱい震わした。声を、想いを、誰の耳に届くともわからない闇夜に、一生懸命放った。
作品名:カシューナッツはお好きでしょうか? 作家名:タコキ