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以前から度々、海泡は尖晶に角を損なわせようとしている節があった。僅かに見え隠れする朦朧とした悪意だの恨みだのがあった。
しかし今は海泡の悩みを、説教混じりではあるが親身になって聞いてやった直後であった。従って、海泡の発言は純粋な親切からのもので、悪意がない。悪意がないのが何よりの問題であった。
悪意がない。
角への侮辱。
母親への言及。
三重に禁忌を犯す海泡は矢張り無自覚で、尖晶は開きかけた口を閉じて、すんでの所で言葉を飲み込んだ。
代わりに「どうにかするさ」普段抑揚を付けて、明るく弾ませる声を低く、平坦に吐き出した。
「あ、角を取る方法とかお母さんと相談しなかったの?私は――」
「海泡。少し黙ってくれ」
尚もこの話題を続けようと呑気な口調で喋り続ける海泡の態度には閉口するしかない。出してはならない話題だという事にも気付かず、また会話を修了させようという言葉にも気付かない。鈍感という無神経。彼女はただ思い付いた事をそのまま考えもせず喋っているだけなのだ。口と舌と頭とが直結しているのだ。
「もし、今ここに翠銅が居たら…確実に胸倉を掴まれていただろうね」
青白い怒りが頭部を電流のように駆け巡るのを感じながら、どうにか尖晶は絞り出した。
尖晶は自分が一人の人間である前に一角獣、即ち獣であると思い知った。冷静であろうと咄嗟に翠銅を引き合いに出したのは単なる甘えであった。唾棄すべき甘え。厭悪すべき弱さである。
「あっ!うぅん、ごめんっ」
海泡は実にコミカルに言ってのけた。角に関する侮辱で尖晶が腹を立てた試しがなかったから、重大さを理解出来なかったのだろう。数秒の沈黙が訪れる。
尖晶は怒りを露わにするのを嫌う。屈辱だとすら思っている。だからこの数秒は致命的な失敗であった。すぐさま次の発言で流れを変えなくてはならないのを、直ぐに行動出来なかった。未熟であった。
「ついでに言っておくと…僕は自分の事なら一通り出来るんだ。君と違ってね」
皮肉屋は皮肉屋らしく語らねばならない。弾む口調は精一杯の、意地であった。
翌日になって、尖晶は自分の機嫌が悪いのだと、翠銅と水銀、それに海泡、柘榴と席を共にして悟った。何故機嫌が悪いのか、わからなかった。普段は感情に引きずられて思考が鈍るなど絶対にない。怒りの理由は常に理屈からだったし、怒りを収める理由もまた理屈であった。
初めて出会う不機嫌な尖晶に接する水銀や柘榴には緊張が見て取れたし、翠銅には困惑と心配があった。昼になって会話が一旦途切れる迄、全くその事実に気付かなかった事に、尖晶は愕然とした。あってはならない現象。初めて体感する状態に混乱しかけたが、脳内で時間を遡って原因を探し始めた。更に数分を要し、彼は自分の心を悟った。
「ああ、そうか…俺、海泡に怒っているんだ」
口を突いて出た。皮肉にも、昨夜の海泡と全く同じだった。海泡本人の前で場所を弁えずに声にした。
海泡は理解など出来ていなかった。水銀と柘榴は聞き流してくれた。翠銅だけが、僅かに憐れみの視線を寄越した。
刻限が迫ってきていたので、尖晶は逃げるように授業へ行く為席を立った。
授業が終わってから元の場所に戻ると、翠銅だけが居た。起きた出来事をそのまま語ると、翠銅は同情の意を示した。尖晶の説明は支離滅裂で到底聞くに耐えない出来であったが、彼は注意深く、黙って聞いていた。聞き終わると、翠銅は「その場に居たら、多分俺は掴み掛かっていた」と擁護した。翠銅は(何度も言うようだが)紳士的な男だ。女性に手を上げるなど、まず有り得ない。この親友の存在に、尖晶は心から感謝した。身近な同族が、彼を惨めにさせるのを防いだ。
以降、尖晶は海泡に対し親身になってやるのを止めた。こういう経緯があって、冒頭で述べたたった三度の怒りの内一回を翠銅は目にしたのである。
これまで海泡について詳細に書き綴ってみたが、別な問題もまた水面下に沈んでいる。個人がただその人の中でぼんやりと思っている内は問題になりはしないが、問題の基、悩みの種ではある。
別の問題とは灰長と緑簾で、彼女等は最も仲の良い友人であるのだが、付き合いも三年になると不満が溜まってくるらしい。緑簾の気紛れと思考の飛躍がそうだ。
以前、尖晶は自分が書いたある小説の宣伝の絵を描いて欲しいと緑簾に依頼した。内容が近代日本を舞台にした妖怪やら刀やら、鬼やらの話であったから、簪の愛用者であり着物の着付け迄出来る緑簾ならばと見込んでの事だ。緑簾も尖晶が書いた話を中々に気に入っていたから、二つ返事で引き受けたのだが、その後が酷かった。
小説は読み切りで十話完結、三月末を〆切と想定して執筆していたのだが、先の震災による混乱で、結局尖晶は三話までと、飛んで八話までしか書けなかったのだ。この八話は主に活躍する三人の登場人物が均等に活躍する話で、絵の想像を膨らませる為に書いてくれと緑簾が言ってきたものだった。
もう一つ絵を興すのには障害があって、緑簾に描いてくれと頼んだものの、尖晶はものを書く時には文章のみで考える方であったから、登場人物の具体的な姿が何一つ浮かんでいなかった。精々が着物を着ているだとか学生服を着ているだとか、その程度であって、緑簾の質問に答えられない事が度々あった。
この件に関しては、尖晶は天青と翠銅両方から頼み方が悪いとお叱りを受けたのだが、どうしても無個性の主人公の顔が定まらず、緑簾を拝み倒す形になった。否、或いは尖晶の姿勢こそが問題だったのやも知れぬ。緑簾の要望に応じて話の筋書きを変えてしまったものだから、それこそがいけないのだと天青と翠銅は強く主張していた。
様々な困難と行き違いを経て、原稿が終わったのは八月の下旬であった。が、しかし宣伝用ポスターが仕上がったのは十月の下旬であった。
尖晶は絵を全く描けぬ上、〆切を大幅に過ぎているので、まあこんなものかと考えていたのだが、灰長はそうではなかった。
何故灰長が尖晶と緑簾の間に関わってくるのかというと、彼女こそは尖晶の書く件の作品の虜になってしまったその人であり、緑簾の仕事振りを間近で見守っていたからである。
重要なのが、灰長は尖晶と違い文も絵も書く人だという点で、尖晶の遅筆は兎も角も、緑簾が原稿用紙に向かう時間が余りに短いのが気になっていたらしい。寧ろ、紙と画材を広げておきながら、直ぐに携帯ゲーム機などに気を取られて仕事を忘れてしまうのが釈然としないと本人は言う。
灰長の言い分では、少なくとも三月末には絵に興す登場人物が一同に会する第八話が仕上がっていたのだから、十月迄かかるのはおかしい。自分の感覚では有り得ない。と一刀両断した。
この件については尖晶も段取りが悪かったので有耶無耶にして終えられるが、もっと重要な仕事で問題が起きて、其方で一層、灰長は不信感を募らせるようになった。
作品名: 作家名:盗跖