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駄目になったら駄目になったで、また元の通りに戻るだけ、そう嘯く他の面子も、この居心地の良い場所がなくなれば、彼叉は彼女等の中から、今のその人を構成する要素が一つ、すっぽりと抜けてしまうのではないか。自覚はしていないだろうが、自分と同等の変わり者達との交流によって、より多くの物事を考えているのではないか。思考という運動は人類の脳を飛躍させる最も有効な手段であって、十人中十人とは行かずとも、一人位は天才の名を冠する文学者が完成するのではないか。
偉大なる人物を構成する歯車の一個になるのが尖晶の夢であって、彼は度々翠銅にそれを語った。共に物書き志望でありながらもここが大きな違いで、翠銅は小説家にもなるし、可能ならば脚本家にもなりたいと思っている。尖晶は小説一本であったが、本心を言えば生涯、自分の作品が脚光を浴びずとも良い。我が人生こそは酔生夢死の幻惑であると腹を決めている。従って、作家になれぬまま無闇な時間の浪費に臍を噛むのは偏に人目に触れねば偉大なる人物の卵に遭遇出来ぬという焦りであって、出版とは手段の一つに過ぎないのだ。輝沸の心理学ではないが、単なる確率の問題である。
尖晶は常々、翠銅か灰長か天青が作家になるのではないかと睨んでいて、更には水銀が何れ絵で身を立てるだろうと予測している。翠銅と水銀は心配ないとして、灰長や天青は放っておくと自ら書く事それ自体を辞めてしまう恐れがある。
全く、呆れる程の傲慢ではないか。友人を野望に巻き込むなどとは言語道断、不倶戴天の身勝手。だがこれを笑って許す翠銅も同罪であると解釈する事によって尖晶は救われていた。灰長と天青は一切このような思惑などは知らぬ。褐鉛も海泡も緑簾も柘榴も知らぬ。水銀は傍観に徹し、輝沸は尖晶という男の本質を知らぬ。嗚呼、何という理不尽であろうか!
閑話休題。
さて、一旦話を戻すが、当該の問題は天青と海泡のどちらにあるかといえば、今は海泡であろう。家庭の事情と多忙さが云々という理由で近頃滅法態度が悪い。言い訳として就職活動を織り込んで苦境を訴えてもくるが、全員同輩なのだから共通項である。何故これを言い訳の第一にするのか判断力を疑うが、どちらにせよ、家庭の事情と多忙でさえ、他の仲間の方が(下等な考えとは重々承知してはいるが)酷い苦難に見舞われている者も幾人か居る。
文化を嗜む紳士淑女である限り、友人知人に現代的なあらゆる意味での生活苦を可能な限り見せないのは最低限の嗜みである。いよいよ自分一人では手に負えぬ、疲弊の隠蔽が不可能であるとなった時点で漸く朋友を頼りにするべきではなかろうか。この過程を経ないで援助を乞うのは、甘えでしかない。
詰まるところ、海泡のは只の我慢不足であった。
根拠らしい根拠を挙げるとすれば、漢字検定試験第二級に八回も落ちたり、殆どやっつけで作成した課題について担当教員から微に入り細に渡り直接的な言葉で指摘を受けて落涙し、数ヶ月前から決まっていた発表の授業では何も準備をしないまま出席し、あまつその直前までトランプ遊びをしていた。これらの事件を「頑張ったのに出来なかった」というだけで済ませてしまうのは暗愚と言う他ない。
おまけに、本人は自分が至って常識的な人間だと頑なに信じていて、進行の遅い文化祭会議に出席すると、一時間もしないで耐え切れずに不機嫌を露わにして物に当たり散らすようになるのだ。無論、海泡には誰かの上に立つだとか先導するといった能力はない。自分が出来ぬ事を、自分は享受して当然とばかりに他人に求めておきながら、いざやる立場になると「そんな事は出来ない」などと、やろうとすらしないで諦める。
一番最初に海泡と会話した時から天青は大体の見当を付け、翠銅は対話を諦めていたらしい。他には「この団体がなければ絶対に仲良くはなれなかった」との意見が大半のようである。
それを宥めていたのが尖晶なのだが、海泡が尖晶を過大評価している上、成功の全てを基礎能力の高さ故と勘違いして無自覚に妬んでいるのだから堪らない。幾度も「角を切除しないのか」と悪意なきまま耳に胼胝が出来る程聞かされては嫌気も差してくるというもの。尖晶は悪意なき侮辱には滅法弱い。
所で、尖晶は母親と上手くいっていない。上手くいっていないというか、昔あった出来事のせいでどこかよそよそしさが拭えないのだ。先に母の腹に居た兄が八ヶ月で流れてしまい、その後僅か数ヶ月後に宿った子供こそが尖晶であった。尖晶の母親は激しい女であった。激情と執念で以て子を成した。彼女の辞書に挫折などは存在せず、怯懦による諦めとしか記載されてはいない。兄の犠牲により生を受けた子供こそが最後の子供で、期待を一身に浴びたその身は然し、虚弱であった。幼少期の三分の二を病床に過ごし、アレルギー性の湿疹、小児喘息、鼻炎を患っていた。加えて幼児期には鼓膜だか蝸牛だかが酷い炎症を起こしていて、酷い難聴に陥った。聴覚以外全てが母の遺伝だった。その癖、明晰な頭脳(三歳の頃から自我があったそうだ)や中性的にして端麗な容姿(彼女は四十一で通販雑誌のモデルのアルバイトをした事がある)は受け継がなかった。
尖晶が八歳の時、彼は母親の目の前で警鐘を鳴らす消防車に轢かれそうになった。叱る母に対して彼はにっこりと笑い、漸くそこで彼が人間以前の人間だと発覚したのだ。無口な子供ではあったが、両親が共に幼少の頃、会話を嫌う子供であったからそっとしておこうと決めたのが仇となった。
治療は二年を掛けて完了したが、何故我が子の障害に気付かなかったのかと尖晶の母親は過剰に己を責めた。その確執が今も残っており、幾分家庭に流れる空気は穏やかになったものの、普通の家庭のように気安くはいかない。
これは、尖晶が滑舌の悪さを説明する際、そして深刻な家族間での悩みを相談された際に友人に対して話す事で、彼はこの件を一切隠してはいない。友に対しては恥ではないのだ。これは周知の事実でもある。
近頃また両親との関係に不穏な影が見える、と天青、灰長、そして海泡が居る場で相談したその日に、帰りの電車の中で海泡が言った。就職活動の話題をしている時だった。
「角を折りなさいって、お母さんに言われないの?」
角が見える人間は少ない。ごく稀にしか存在しない。見える素質があるのは翠銅を除けば天青だけで、海泡の目には見えない。
就職活動では、角は無い方が良いという話があるのだ。いわば奇形児の証であるから、切除した方が無難だと。然し、角は霊力を溜めるからか一切の麻酔や痺れ薬が効かず、激痛を叫びながら手術を受けねばならぬ。
つい先日、尖晶の母は息子が角持ちと悟ったばかりだ。しかし角を折れとは一言も言わぬ。だが今まで、身体の困難に加えて、角の感覚の有無で親子関係が上手くいかなった面があるのも事実である。瞬時に、過去の出来事が脳裏を過ぎる感覚と頭脳の差で得られなかった理解や後悔、ざらついた感情の奔流が一気に再生される。互いに分かり合おうとしても分かり合えなかった母と、端から相互の理解を放棄してくれた父との苦い思い出が鮮烈に蘇ってくる。
海泡は将に、尖晶の逆鱗に触れていた。
作品名: 作家名:盗跖