犀
尖晶と翠銅も、例に依って角を大切にしていた。だが、生まれながらに角を持った人間とは言う迄もなく突然変異体である。その角自体がどんなに美しかろうと、不自然であるとして嫌う者は多い。更に言及すれば角の見える人間見えない人間、よく見える角と見えない角があって、人付き合いではまたとなく不便なのだ。
冒頭でも述べた通り、角のある人間には、角のある人間特有の感覚というものがある。これが漠然としているが中々どうして侮れなくて、お陰で角の見えない人間は決まって首を捻り、見える人間はその珍しさからか、不用意にべたべたと触って来ようとするのだ。
尖晶も翠銅も、持って生まれた自分の角をそれなりに気に入っていたが、誇りたい気持ちと人に知られたくない気持ちとが半々で、何とも複雑なのだ。
口頭で幾ら言葉を尽くし、心を砕いて説明しようと、結局、これは角を持つ者にしか分からない悩みなのだ。何も特異な理屈ではない。尖晶と翠銅も、角のない者の感覚など分からないのだから。
こうまで記述すればご理解して頂けるだろうが、角を切るなど、とんでもない事だ!あの卑しい鋸で切るなど!殆ど拷問に近いのではないか。指の生爪を一枚一枚剥がしてゆくのに等しい行いだ。
「大丈夫か」
「いや…尖晶こそ大丈夫か」
「君の方が堪えているだろう」
「あぁ、確かにな」
海泡と別れて後、尖晶の問いに翠銅は乾いた笑いで返した。どうにか先程耳にした恐ろしい発言を冗談に変換しようとしている。
少しして、また別な日に二人で連れ立って夕飯を食べに行った時にも、数ある近況の問題の中にこれが挙がった。
普段、言いたい事があったとして、口に出すと厄介な事態を招くのを恐れて、沈黙する場面というのがある。時代と逆行する性差別的な主張をするつもりは毛頭ないが、他の女性陣、即ち天青、緑簾、海泡がそれぞれ種類の違う自己中心的な思考の癖の持ち主で、あの女性特有の有無を言わさぬ迫力と雰囲気、話術で以てして言い合いになれば、尖晶などはひとたまりもないのだ。本気を出せば逆に丸め込めなくもないが、神経をすり減らすのは確実で、細かな事では余りその手段を使いたくない。翠銅に至っては全てを諦めて聞き役に徹するといった具合で、何ともはや、女性は逞しいものだ、と〆縊るしかない。例外には灰長と褐鉛が居るが、それぞれ冷静さと平等主義的な合理的性格と、常に周囲に対し細やかな気配りをする極めて女性的な優しさから、傲慢などという観念には縁がない。輝沸と柘榴は、気が向けば立ち寄るという姿勢なので、そう問題は起きない。
嵐をやり過ごす忍耐を必要とするのは尖晶、翠銅、水銀の三人だけだ。
然し水銀は全てをしなやかに受け流す柳のような人間であるからして問題はないが、幾分激しい気性の尖晶と翠銅は収まりが着かない。いわば自分自身を納得させようとして、近日中に起きた出来事を食事の度に吐き出しているのだ。往々にして、愚痴とはそのようなものであろう。
仲の良い集団なのは確かだが、個人の癖に対して不満が募る場合もある。
例えば尖晶の悪癖は真面目な場面に於いても真面目な雰囲気を醸し出せず、口が悪く歯に衣を着せない性格で、例えば教師が相手だろうと収まる事がないという点で、普段は皆面白がって見ているが、時によってはこの上なく厄介な問題なのだ。後者は本人が意識して振る舞っているのが殆どだが、前者は自覚はすれども治らずといった態である。また多分に神経衰弱な面もあって、調子に乗り易いがその実恐ろしく卑屈で、自己嫌悪に陥る度に友人に対して存在の肯定を求めなければ気が済まないのだ。面倒な人間である。
翠銅はといえば、我が強いのに思想や心が純粋なばかりに、人間の複雑な関係性の話題となると、少々的外れな事を口に出す。これは微笑ましいものとして捉えられるが、もう一つ困った癖があって、それは金銭に対して執着しないというものだ。金払いが良いと言えば聞こえは良いが、学生の身分でありながら、差しで食事などした時に、計算するのが面倒だという理由で千円程度迄ならば奢ろうとしてしまう。これは経済的に豊かな家庭に育った故の発言であり、人によっては尊敬の念を抱かせるだろうが、別な人に取っては劣等感を沸き上がらせる類のものである。翠銅は美徳と汚点とが表裏一体となった人物であった。
こうして互いを認識しているように、二人は他の友人――ここでは天青と緑簾と海泡である――を認識していた。
緑簾の欠点は先述した通り芸術家に特有の性質であって、どうにも干渉し難いものであるから一言二言「もう少し時間を気にしてくれれば良いものを」と零せば済むが、天青と海泡だとそうはいかない。どちらも文章を嗜むものだから、感覚というよりは理屈の世界の住人、感情というよりは仁侠の世界に掛かる人々なのである。物書き志望の若者とはそういうものだ。
先ず、此処までの散々な記述で海泡には幾つかの観念が欠落しているものとして疑いがないだろうが、天青の欠点は何かというと、その一辺倒な考え方である。誇り高いと形容も出来るが、彼女は殆どの分野に於いて同輩の中での自分を意識の中で最高位に定めており、接する人間全てに能力、人格、容姿を総合評価した上で位を与えているのだ。ここから先は予想の範疇を出ないが、尖晶が侯爵、伯爵が灰長で、男爵が翠銅、子爵が褐鉛と緑簾で、聖職者が水銀、平民が輝沸と柘榴で、海泡は愛玩動物だ。その上に腹心の公爵として恋人が居て、彼女こそが無二の女王である。
このような位の差異は理由が明確で、主に人望と(あくまでも彼女の感覚と基準に過ぎないが)文才の豊さ、それと頭脳に収めた知識の量である。主に懊悩を吐露する相手は侯爵迄で、爵位ある者が少々気に障る振る舞いをしても水に流す。聖職者や平民とは適度に距離を取りつつ接するが、愛玩動物だけは庇護対象で、躾を行うような感覚で世話を焼く。だが、一度愛玩動物が思い通りに行動しないとなると途端に機嫌を悪くして苛立つのだ。これは男爵以降に定められた者に共通で、時々褐鉛や緑簾が天青の意図を正しく理解しなかった時などに苛立ちを見せている。幸いにも尖晶と翠銅に怒りの矛先は未だ向けられてはいないが、友人という関係上、天青の価値観が障害となって立ちはだかるのだ。
尖晶は友人関係とは、心理上でのギヴ・アンド・テイクに基づく対等な商談であると考えている。この思想にはおおよそ、翠銅も賛同していて違わない。精神上の対等がなければ、友情とは成立し得ないものである。
一方で、天青が海泡に憤るのも無理からぬ話ではあるし、天青の思想は受け入れ難いものでもある。海泡と天青、どちらも団栗の背比べではあるが、どうにかして今の内にこの状況を打開せねば後々綻びが生じるだろうとは想像に容易い。
翠銅はどう考えているか定かでないが、少なくとも尖晶はこの集団が何れ、数年の後には瓦解するだろうと踏んでいる。恐らく、最後に残るのは角持ちの二人だけだ。どうにかして保たせようと努力する尖晶に、賢明なる水銀は「一時の止まり木で良いのですよ」と言って慰めたが、一番依存が強いのは尖晶だ。持っているものを何一つ失いたくないという強欲さが、運命に身を委ねるのを吉としない。