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海泡に纏わる様々な評価に於いて、尖晶、翠銅、天青と並んで常に居る灰長の存在には既にお気付きとは思う。だが問題なのが灰長という人物を如何に表現するかであって、筆者は真に遺憾ではあるが、凡そ言葉というものを知らぬ。訳の判らぬ箇条書きにしかならずに脳内で蟠るというのはつまり、筆者よりも遥かに明晰な人物であるという答えに繋がる。
例えば十人で会議を行ったとする。良くも悪くも癖の強い人間が集まっているから、必ず会議は踊り出す。或る者は勇み或る者は渋り、また或る者は無駄口を叩き、或る者は合理性を求める。まさしく混沌とした中にあって、唯一灰長だけが熱し過ぎず冷め過ぎず、正確に局面を把握している。そんな具合なのだ。
どんな局面でも己の成すべきものを理解し、実行する。言うが易しとは将にこの事で、やってのけるのは難しい。のみならず灰長の美徳は決して驕らず、どのような相手でも侮らない、刻一刻と人間の能力や性格は変化すると弁えている点で、発言や物腰から知性と品性とが滲み出ている。文章も理路整然としていて、上手い。仲間内でも一目置かれる存在なのだ。
こう書くと灰長がまるで情の薄い人間と勘違いされるやも知れないが、決してそうではない。緑簾というのが最も親しい友人で、彼女こそは灰長と対極に位置する人間だった。
緑簾は文章も書くが、本来は書く人ではなく描く人であって、要するに絵描きである。趣味の良さは皆が認める所で、長く伸ばした癖毛を簪で纏め上げたり、和風な布地と革とを組み合わせた財布を愛用していたりと、持ち物には枚挙に暇がない。編み物や裁縫、消しゴムを削って作った判子なども得意で、手先の器用さを日々遺憾なく発揮している。
社交的で賑やかさを好み、有言実行を貫く。嘘は吐かず正直で、出来ぬ事は出来ぬときっぱり断る度胸もある。欠点があるとすれば散漫な所で、普段会話をしていてもしょっちゅう意識を全然関係のない分野へと飛ばしてしまう。これが実に面白い冗談なのだが、物事を決める時――即ち会議の時などもこの癖が出てしまう。この点で灰長とは対照的であった。
先日出した短編集の表紙を頼んだ時も締切の間際になって作業に掛かるというような部分も悪癖といえば悪癖であったが、これはまぁ、芸術家にありがちなムラっ気という一言で片付けてしまいたい。
芸術家といえば、学校内で水銀は既に人気の絵描きだ。個人から頼まれる絵も多分にあるが、ゲームの登場人物の作成やら、学内のみに張り出す企画の告知用ポスターやら、常に依頼が最低でも三、四件は抱えている。文化祭の直前などは酷いもので、依頼を何と七件以上抱えていた。
彼も緑簾同様、出来ぬ事は出来ぬと断る潔さを持っていたから、間に合うと保証出来る依頼しか受け負わないが然し、仕事の速さが尋常ではなかった。尖晶が依頼した小説の扉絵など、三日の後に完成してしまう位で、本人は尖晶の小説と自分との相性が良いからだのと謙遜していたが、これは彼自身の実力によるものだとは間違いがない。
何故このような人気の絵描きが、昼休みが来る度空き時間がある度、呑気にカードを手に大貧民改めギリシャゲームをしているのか。何を隠そう、彼こそがこの文芸サークルの一番最初に出した同人誌の表紙を描いた人物であり、数少ない創始者の一人であるからだ。
当時の参加者は十一人居たが、現在も残っているのは尖晶、天青、海泡、水銀の四人のみで、水銀は今までずっと、扉絵か表紙しか描いていない。きっかけは哲学に関する授業で尖晶と水銀が一緒になったというだけであったが、奇妙な事に縁が続き、ゆっくりだが確実に親交を深めている。
この一番最初の同人誌に参加していた人物が、実はもう一人居る。冒頭から巧妙にも息を潜めていた柘榴だ。文学上に於いて、彼女は真に優れた美の探求者だ。アルフォンス・ミュシャの絵をこよなく愛し、日々活字に耽溺する。古代の神々に思いを馳せ、貪欲に、幻想と生々しい現実の底に沈むものを細心の注意を払って掬い取る。
彼女の実力は仲間内では余り明らかになっていないが、尖晶は心から彼女を尊敬しているし、適わないとすら思っていた。適わない。到底、あのような精神には。
性格でも嗜好でも、果ては生き方に至るまで、作家に必要な要素を柘榴は全てその皮膚の内に備えていた。例え糊口に窮しても残った僅かな金で美術書を買い、本格的なイタリア料理の店に足を運んだ。五人居る弟妹の一番上で、睡眠障害を患っている。穏やかな気性であるのにアルバイトが大抵どれも長続きしない。総括すると、労働に向かない人種なのだ。徹底的なその不自由さを、尖晶は妬ましくすら思っている。不自由さとは即ち、天性の才能だ。
そんな彼女が何故今は参加していないのかというと、二回目以降は参加する予定であったが急遽複雑な家庭の事情により断念せざるを得なくなった為である。
よって、柘榴は暦とした仲間であるのだが、新参者ばかりが跋扈する集団の中にあって、部外者であるかのように思われる事が多い。
だが、一方ではそもそも文章など趣味では書かぬ絵もまた然りという人物も居る。それが輝沸だ。非常に小柄で可愛らしい女性であって、その余りの愛らしさに惑わされてか、見知らぬ男に二度程誘拐されかけた経験があるという。何時も、中世ヨーロッパの流れを組む――天青が纏うようなものとはまた傾向の違った――クラシックな衣服を好んで着ているのも理由の一つだろう。白や焦げ茶、栗色、まろい黒などがよく似合う。
見た目の柔らかな甘さに反して、彼女が心理学を専攻していると知った時の驚きは筆舌に尽くし難い。先入観のせいだと言われれば恥入るしかない。
失礼な考えだが、よもや心理学とは…理数系を専攻している方々には知られてはいないだろうが、実は人文系の学問にあって、心理学程科学的な分野はない。簡単に説明すると、一般に流布する心理テストなどとは全くの出鱈目であって、またフロイトのように深層心理の中から何かを判別するというようなものでは断じてない。言ってしまえば、ある現象、叉は事物に遭遇した人間に、二つある選択肢の内どちらか片方を選ばせる。その数を記録して、また次にそれぞれの人間に別な質問を同じ形式で投げかけて、数を記録する…要は統計学なのだ。数と理論だけがものを言う。未来の夢である人工知能も、技術者は勿論、発展途上の学問たる心理学が進歩せねば実現はしないという位で、密接に科学と関係しているのだ。
クラシックな様子の輝沸と心理学という幾何的な概念が結び付かなかったというのをお分かり頂ければ幸いである。
現に彼女は灰長と緑簾の友人としてゲームに参加するようになったのだが、紹介してきた筈の灰長と緑簾すらも輝沸の専攻学問を聞いて驚嘆の声を上げていた。
こんな風に、少々偏りはあるが個性豊かな人間ばかりが集まってトランプ遊びなどするものだから、卓上の静かなる争いは熾烈を極める。まず、全ての試合の特徴としては、革命が六回前後起きる、四人か六人居る筈の道化師が、終盤にしか姿を現さぬという傾向にある。序盤はパスが多い。即ち、全員一筋縄ではいかない勝負師という訳だ。
作品名: 作家名:盗跖