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尖晶の額には一本の角が生えていた。
その角は誰にも見えないが確かにそこにあった。血よりも赤い角だった。他の誰も角が生えてなどいなかったから仲間は居ないのやも知れぬ。尖晶は孤独だった。角を嘆く同朋を求めて胸を痛めた。
だが、尖晶が大学に入って一年と少しが経った時、角を持つ同胞を見つけた。暗く深く鮮やかな翠の角をした彼の名は翠銅という。
尖晶と翠銅は親友になった。二匹の一角獣はよく気が合った。恐らく、額の角がない者には決して分からない感覚があるのだろう。でなければ対照的な性格の二人が、こうまで仲良くなる訳がない。
翠銅が真面目で誠実であり礼節を弁え、紳士と名高いのに対して、尖晶は型破りだの破天荒だの、凡そ侮辱以外の不名誉を欲しい儘にしていた。
更には、翠銅が正攻法を好むのに、尖晶は何事にも奇抜な手段を用いるのを好んだ。逆に尖晶が謀略に長けるが故に計画性がある程度あるのに、翠銅は興味を持ったほんの一握りの事柄以外に腐心する事はなかった。生活習慣はというと、これも意外に尖晶の方がしっかりしていた。決まった時間に目覚め決まった時間に食事を取るという事に関して、翠銅は全く、自由そのものであった。放っておけば正午を過ぎても寝ていたりする。穏やかな人間であるが故の性質であった。暴力だの争いだのを厭わない尖晶には無理な相談だ。
暴力やら怒りやらに関してもおかしな対比を成していた。先述した通り、尖晶が暴力や諍いを厭わず、寧ろ必要だと断ずれば進んで奮うのに、翠銅は一度も人を傷付けようとして拳を奮った事がない。尖晶は血と泥と吐瀉物にまみれた経験すらあるが、翠銅は無縁なのだ。だが、激昂し易いのは圧倒的に翠銅の方であった。浴びせられる理不尽な言葉に怒り、他人の傲慢な態度に怒り、たかだか軽く手が出る程度ではあったが、個人的正義と誇り高さ故だとは明白であった。尖晶はといえば意外にも、生涯でただ三度しか怒りを発した事がない。その内の一度は翠銅と知り合ってから起きた出来事――共通の友人である海泡(どのような人物かは後述する)の不用意な発言――に起因したが、彼は尖晶の怒りの理由が、本来怒りを通り越して嘆きに達するような内容であり、何を於いても尖晶の言い分が正当であると理解していた。そして、それ程までに激しい怒りを発しながらも、完全には理性を手放さない親友の精神に驚嘆すらした。
尖晶本人は理性的である理由を誇り無き故、情熱の不足故と考えているが、翠銅はそれを冷静さと捉えている。
翠銅は暴力の味を知らぬ己を何かが不足している、直ぐに激情に身を任せるのは理性の足らぬ故と密かに恥じている様子だが、尖晶はそれを高潔さ故と捉えている。
互いが互いを尊敬しているという不思議な具合であったから、友人からは恋人のようだと揶揄される始末だが、実際はぴたりと息の合う相棒であった。お笑い芸人のそれに近い。
少々長くなってしまったが、これが主だって活躍する二人の紹介である。二人とも学生であるから特に変わった事はしないだろうが然し、個性に溢れた人間を紹介すると、私は読者諸氏にお約束しよう。




近頃、我々の間の流行は大貧民だ。大富豪ともいうそのゲームを――よく議論されるあのお決まりの過程を経て――ギリシャゲームと呼ぶようになった。が、相も変わらず大貧民と呼ぶのと新たに発案した名前とで半々だろうか。
このゲームを持ち込んだのは、所謂ムードメーカーの役割を担う褐鉛だ。彼女はとてもカードが強い。引きが強いのもあるが、流れを読むのとカードを出すタイミングが抜群に上手い。試合を全て誘導しているのやも知れぬと私は睨んでいるが、意味ありげに微笑むだけで、沈黙する。だが、負かされる方はそれでも不快ではない。明るい悔しさだけを与えられるのは、希有な才能だ。
参加するのは尖晶、翠銅、褐鉛、緑簾、灰長、海泡、天青、輝沸、水銀、柘榴の十人で、時間により人数が変わる。当然、やるとなれば十人はいかずとも七人か六人居るのが常であるから、トランプ一組ではカードが足りない。なので二組か三組使うのが常なのだが、どうあっても、何度忠告されても手札を隣人に見せてしまう間抜けが二人程居る。尖晶と海泡だ。
何故かというと尖晶は身内に対し手の内を明かす隠すなど考えが及ばないし、海泡はある知人の例えによると「要領がない」そういった人物なのだ。脈絡のない発言が多く、また、内容が殆どない。善人か悪人かといえば間違いなく前者、無知で無邪気な子供がそのまま成人して大人になったかのようで、曲者揃いの集団では時々、破滅的に噛み合わない。
これでもまともに会話が成立しなかった十代の頃よりかは幾分ましになったが、小説も論文も書ける癖、どうして口頭の言葉使いが滅法弱いのだろうと、尖晶は首を捻り、翠銅は浅見な言動を見て苛立つ。他の面々はというと、呆れて溜め息を吐きつつも面倒を見てやったり説教をしてやったりという具合。
特にこの海泡に対して親身に説教をしてやっているのが天青で、猫の子でもあやすような甘やかな声音で諭すように毒を吐く。聖母が如き美声でも悪魔の囁きのように聞こえてしまうのは、彼女が何時も黒い服を着ているからだ。時には白も着るが高確率で重厚な、中世ヨーロッパの貴族を真似たものであって、見る者には否応なしに彼の時代の魔術的要素を想起させるのであった。
彼女はカードの持ち方に関して尖晶が単なる無頓着であり、海泡が無意識なのを分かっている。
しかし当の海泡が頭で理解していても納得はしていないから、無意識下で自分の扱いが不当ではないかと思っているのだ。
海泡に於いては万事が万事この調子であるから、周囲は困惑を隠せない。
何故なら彼女の中では嫉妬や憎しみなどが全て、無意識の海に沈んでいて、自覚している領域が限りなく少ない。一般に人が知るであろう感情の種類すら知らぬと言う人間と、一々一々真剣に対話するのは至難の技だ。本人にふざけているつもりがなくても、こちらからしてみるとふざけているとしか思えない。
その性格と発言から、仲間内では翠銅に天青、灰長に、近頃は褐鉛までもが海泡を自分より下に見ている。緑簾や水銀はといえば普通に接してはいたが、二人ともゲームをする時以外海泡と接する機会がなく、輝沸と柘榴に至っては相手と碌々会話した事がない。唯一尖晶だけは海泡を自分と同等として扱いたがったが、先日の一件で大分それも危うくなっている。
大体、尖晶は自覚出来ていないが、翠銅に天青、灰長は、尖晶と海泡に天と地程の差があるように思っているのだ。
先に述べた人物は総じて、文芸の同人であるのだが、書く作品で毎回評判が良いのが尖晶の作品であり、先日発表した短編集の中で一番の不評を浴びたのが海泡の作品だったのだ。尖晶の書くものはいわば、同好の志をニンマリと微笑ませる類のもので、対する海泡のものは総じて大衆向けだ。だからこそこの結果なのだが、それがそっくりそのまま力関係に反映されているとは、いやはや馬鹿馬鹿しいとしか言いようがないが、この十人を繋ぐものはこの文学という細い細い糸のみであるからして、他にやりようがなかったとも取れる。
長くなってしまったが、この辺りで海泡についての話題を打ち切って、新たな人物を紹介したい。
作品名: 作家名:盗跖