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調剤薬局ストーリー

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「ええ、とりあえず。結局、免停喰らっちまいましたけど。それより、そちらは?」
「そうか・・・悪かったな。俺の方はおかげで無事、患者に薬を渡すことができた。ありがとう」
「よかった。・・・ひとつ聞いてもいいですか?」
「なんだ?」
「薬剤師になるにはどうすればいいんですか」
「薬剤師になるにはとりあえず薬科大学に行くことだな・・・どうしてだ?」
「免停喰らっちまってバイクに乗れなきゃやること無いし、どうせ暇なら秀さん目指して勉強してみようかなって思って・・・」
「・・・俺なんか目指したってろくな人間になんねぇぞ。ただ、テツヤ、おまえみたいな骨のある奴が薬剤師になることを期待してるぜ」
そう言って俺はテツヤに再度、侘びと礼を言うと電話を切り、空港を出た。
東関東道を戻り、首都高を抜けて一般道に入る。薬局に着いた時には辺りはすっかり真っ暗になっていた。
すでに閉店しているはずなのに、中には明かりが灯っている。
入ると小枝子が一人で待っていた。
「秀ちゃん!」
俺の顔を見るなり、彼女は駆け寄ってきた。
そして、いきなり俺の胸に顔を埋める。
戸惑っている俺にこもった声で小枝子は言う。
「秀ちゃん、ほとんど寝てないのに出て行ったから心配だった。事故したらどうしようって怖かった。秀ちゃん、無事でよかった・・・」
俺は小さく震える小枝子の華奢な体を強く抱きしめた。



「秀一君、散剤(粉薬)を乳鉢(調剤用擂鉢)で混ぜるには乳棒(擦り棒)と乳鉢を逆回転で回した後、更に乳棒だけ逆に十回くらい回転させるの。そうしたら、比重で分離している粉薬も均等に混ざるわ」
俺が粉薬を混ぜていると、小枝子が寄ってきて教えてくれた。
やはり、彼女の調剤技術はかなりのハイレベルだ。薬局を何軒か渡り歩いて、それなりに経験のある俺でも叶わない。
小枝子が去った後、入れ替わりにサイバーが寄ってくる。
「小枝子さん、ずいぶん秀さんに優しいっすね」
「そうかな、気のせいじゃないのか」
「そうですかね・・・」
彼は首をかしげながら持ち場に戻って行った。確かに微妙な変化はあるだろうし、そのうちバレるとは思うが、その時はその時だ。
俺は混合した散剤を自動分包機に落とすと、ヘラでならし、スイッチを押した。

薬を受け渡すカウンターで、患者に薬の説明をしていたサイバーが、患者をそのままにして調剤室に入ってくると、誰と無く聞いてきた。
「アムロジピンで歯が浮く、っていう副作用ありますかね?」
アムロジピンとは高血圧の薬でカルシウム拮抗薬というものに分類される。カルシウム拮抗薬とは血管のカルシウムイオンの出入りを抑える薬剤のことで、血管のカルシウムイオンの出入りに連動する反応の血管拡張作用、つまり血管を広げて血液の流れを良くする働きを引き起こして血圧を下げる薬剤のことである。
その薬剤の主な副作用にはほてり、頭痛、めまい、等々、とあるが、「歯が浮く」なんてことは誰も聞いたことが無い。
サイバーを含め、薬剤師皆がこの問いかけに疑心暗鬼ながらも各種文献、関連書籍を調べ出した。
俺は黙って自分の記憶の中を検索し始める。
主要薬剤七千種類の持つ二万五千通り以上の副作用とその対処法が俺の頭の中にはインプットしてある。そこから、「歯が浮く」に関連する情報を探し出す。
・・・・・あった!
「歯肉圧肥だ」
俺の発言に皆が驚く。小枝子が急いで添付文書(薬に添付されている詳しいデータの載っている取扱説明書)をもう一度調べる。
「あった、0.1%未満の欄に「歯肉圧肥」ってある!」
0.1%未満とは、副作用の発現率が極端に少ないか、その副作用の発現も可能性として考えられなくは無い、といった程度の、本当に極稀な副作用の確率だ。
それでも、可能性は可能性として存在する。
歯肉・・・つまり、歯ぐきが厚みを持てば、感覚的に歯の浮いた感じになる。
患者は恐らく、その事を言っているのだろう。
小枝子がその薬の販売元である製薬会社のDI室(医薬品情報室)に問い合わせの電話をかけた。
すぐに答えが返ってくる。
「はい、市販後の段階でそのような副作用の報告はございませんが、当社の研究開発段階、フェーズⅢ(スリー)の時点でその様なデータの報告がありますので、発現率0.1%未満の副作用として掲載してあります」
フェーズとは薬の研究開発試験の段階を表現する言葉であり、その第三段階であるⅢは動物実験の段階、Ⅳは人での実験(臨床試験)を表す。
この薬剤をビーグル犬に投与した際、約千頭のうちの何頭かに、その様な歯ぐきの厚くなる傾向が見られたそうだ。
断定はできないが恐らくそれだろう、ということでサイバーが患者に説明に行った。
奴のことだ、患者をあまり刺激しない様に、丁寧に優しくその旨を伝え、医療機関(病院)に副作用の報告を促すはずだ。
じっと見つめてくる小枝子の視線を感じながら、何事もなかったかの様に俺はもとの作業に戻った。

薬局も終わり、待ちあわせの近くの公園で小枝子をバイクで拾い、コンビニに寄って弁当を買う。
小枝子のアパートに着いた時にはもう、夜の九時近かった。
それから遅めの夕食を二人でとる。
あまり女の部屋に入ったことの無かった俺は、初めて彼女の部屋に来た時は妙に落ち着かなかったが、こうして何回か来てみると、慣れてくるものだ。
俺は居間に座るなり、早速缶ビールを開け、テレビを付けて一人で見だした。
酒を飲まない小枝子は後ろのキッチンで簡単に夕食の準備を始めた。
そこから彼女が話しかけてきた。
「ねぇ、秀ちゃん。なんであんな滅多にない副作用のこと知ってたの?」
俺は別に振り向きもしないでテレビを見ながら答えた。
「昔、無二の親友を薬の副作用で亡くしてな・・・それが悔しくて片っ端から副作用を覚えたんだよ」
哲也の事があって、それをいつまでも忘れられないでいる俺は、薬剤の膨大な副作用のデータを自分の頭の中に叩きこんだ。それが少しでも奴への供養になるかと思って。
そんな哲也を失った悔しさはいつも俺の眼に涙の様なものを浮かばせる。それを彼女に見られたくなかったから振り向かないでいた。
そんな俺を何か優しいものが包み込んだ。
小枝子が後ろから俺を優しく抱きしめてくれていた。



小枝子はいつも寂しげに同じことを俺に言う。
「秀ちゃん、私なんかみたいな年上でいいの?もっと若くて可愛い娘いっぱいいるのに・・・」
彼女はいつも不安を抱えている。
「若いとか関係ねぇよ。俺が好きなのは小枝子なんだから」
俺はいつもそう言って、彼女の不安を解いてやる。
俺の気持を確かめたいのか、不安なのか、それは分からない。ただ、俺は小枝子を大切にしているから、何度となく繰り返される同じ質問にも、何度となく真剣に答えてやる。
年老いるのが早いとか、先に死ぬだとか、とにかく小枝子の持つ不安は多い。
でも、それだけ不安を持つということは、それだけ俺といることが大切でこの俺を好きでいてくれている、と俺は勝手に思っている。
そう思えるだけの愛情を俺は彼女に注いでいる。彼女もそれに応えてくれる。
そんな仲のいい俺たちだった。

薬局のその日の早番は俺と小枝子だった。
早番と言っても、調剤薬局の朝はゆっくりめだ。
作品名:調剤薬局ストーリー 作家名:山村憲司