調剤薬局ストーリー
そうだった、哲也は事故ではなく、薬の副作用で死んだのだった。
「まいったな・・・。こうなったら、とことんやるしかねぇな」と心の中で呟いた俺は、おばさんと一緒に鉄也の墓に手を合わせた。
大学の六年間なんてあっという間だ。
実習とテストに追われて、ろくにバイトする暇もねぇ。
それなりには遊んだが、一番思い出に残ったのは、夏休みに独りで北海道をバイクで一周したことだ。
道路は真っすぐで、空気は冷たくてうまいし、広がる緑の景色は最高だ!
それから後は実習やら国家試験の勉強に追われ、学生生活のことはあまりおぼえてはいない。
そうして、国家試験に合格した俺は、晴れて薬剤師となり、調剤薬局に就職した。
調剤薬局とは文字通り、調剤を専門とする薬局で、病院から発行された患者の持っくる処方箋を元に薬を揃えたり調合したりして、それを患者に渡すまでが業務となる。
そんな薬局に勤めることになった俺だが、すぐに辞めた。
それには、こんなことがあったからだ・・・
ある日、薬局の待合の方から怒鳴り声が聞こえた。
「俺は患者だ!早くしろ!」
調剤室から覗いてみると、患者が同僚の新人の女性薬剤師に向かって吠えていた。
どうやら、待ちくたびれて腹いせに怒鳴ってるらしい。
あわてて出てきた管理薬剤師(薬局の最高責任者)の男性が即座に、その患者に対応したが、低姿勢すぎる彼の応対に調子づき、その男は更に大きな声で怒鳴り散らした。
その様子を見ていた俺はイラついたので待合へと出て、その男に応対した。
「うるっせーなっ!静かにしやがれ!お前だけじゃなくて、周りが皆患者なんだよ!」
俺に怒鳴られた男は面食らった様子で、急に静かになった。
言われてみれば確かにそうだろう、周り皆が患者なら怒鳴るのは控えて静かにするべきだ。
スイッチの入った俺は更にキレ気味に
「一体、何分お待ちなんですかぁあ?」
と聞いた。
「いやぁ・・・」
男は言葉に詰まった。
実は待ったと言っても、まだ十五分くらいの話だろう。ただ、病院で待たされた分のストレスがたまっていて怒鳴っただけだと予想はつく。
その瞬間、カウンターから他の女性薬剤師の呼び声が聞こえた。
「山川さーん、お待たせしましたー」
「あ、はっ、はい・・・」
呼ばれたのはその男だ。
タイミング良く薬が出来たらしい。
女性薬剤師は丁寧に薬の内容を説明すると、笑顔で薬を袋に詰めてその男に渡した。
それを受け取った彼は帰りがけに、その様子を見ていた俺に物凄く小さな声で「悪かったな」と、言ってきた。
俺も、彼に寄り沿う様に近づいて小声で
「気持ちは分かりますけどね」
と囁いた。
男はばつ悪そうに自動ドアを抜けて、帰って行った。
薬局は再び平常業務を再開した。
しかし、その後、その時の俺の荒々しい応対が問題視され、「新人のくせに生意気だ」、「あんな応対は薬剤師にあるまじき行為だ」などと、管理薬剤師の男にさんざん非難され、反省文を書かないとクビだとまで言われた。
「上等じゃねぇか」
と言って、怯むそいつに背を向けて、俺はその薬局を去った。
その後も、何軒かの調剤薬局を渡り歩いた。
学生の頃からそうだったが、どうも、俺は薬学生や薬剤師という人種とはウマが合わないらしい。
曇り空のデパートの屋上でのんびり漂う雲を見ながら、
「やっぱり薬剤師になんかなるんじゃなかったな」
と、俺は呟いた。
哲也とバイクを乗り回していた頃が一番楽しかった・・・
※
「斎藤さん、また洗面所で髭剃ってるんですけど・・・」
「もう、そんな時間?」
薬剤師の高橋の報告に、管理薬剤師である小枝子は、調剤室の時計を見上げながら呟いた。
もう夕方の五時。
薬局で唯一の男性薬剤師、斎藤のアフターシェイブの時間である。
彼は髭が濃いので、必ず夕方になると頃合いを見計らって洗面所で髭を剃る。
ジョリ、ジョリ。
T刃のカミソリと水だけで、青々と髭を剃っていく。
従業員用のトイレ横の洗面台でそれを行うので、皆、引いている。
仕方なく、小枝子が彼に声をかける。
「斎藤君、まだなの?他の人がトイレを使えなくて迷惑してるの」
「あぁ、すいません。もう少しですから・・」
そう言って、彼は顎に手をあてて、鏡で剃り上がりを満足げに確認している。
「もう・・・」
そう呟きながら、彼女は調剤室に戻っていった。
秋になりかけている夏の夕暮れ。
患者もいなく、薬局は珍しく落ち着いている。
先程の女性薬剤師、高橋が事務処理をしながら彼女に話しかけてきた。
「小枝子さん、あした新しい薬剤師の方が入ってくるんですってね」
「社長から聞いたの?私もまだ会っていないからどんな人か分からないんだけど・・」
「女性の方ですかね?」
「ううん、男の人みたいよ」
「えっ、男性?!幾つくらいの?」
「あなたと同じくらいだって言ってたから、まだ二十六、七、ってところじゃないかしら」
「えーっ!楽しみ!ステキな人だといいですね!」
「高橋さん彼氏いるじゃない」
「彼氏が必ずしもダンナさんになるとは限りませんよ!」
「まぁ?!」
「もし、いい男だったら、小枝子さんだって容赦しませんからね♡」
「こわーい」
高橋の小悪魔的なウインクに肩をすぼめてそう答えると、きょう、三十三才になった小枝子は奥で処方箋の整理をはじめた。
夕暮れの調剤室の窓はオレンジ色に光っていた。
―翌日―
ちょっといい感じ・・・。
朝の朝礼で秀一の姿を初めて目にした小枝子は、そんな第一印象を彼に持った。
斎藤はちょっと不服そうに彼を斜めに見ていた。
高橋は何故か驚いて、半分興奮気味。
他の従業員の持った印象も、小枝子とさほど変わりなし。
しかし、秀一の放つクールで影のある雰囲気は小枝子の持つ雰囲気と交わり、狭い調剤室を静かに覆っていた。
※
軟膏のMIX(混合調剤)をしている俺に若い女の薬剤師が近づき、話しかけてきた。
「あなた、西丘高校の成田君よね?」
「そうですけど、アンタは?」
俺はこの女を知らねぇが、彼女は俺のことを知っているらしい。
「私は高橋岬。あなたと同じ西丘高の卒業よ」
なるほど、それなら停学をくらった俺のことは知っていて当然だ。学校内でも結構問題視されてたことを思い出した。
「で、何の様です?」
「何の様?ってぶっきらぼうね。これでも私はここではあなたの先輩よ」
「はいはい・・・」
話が長くなりそうなので適当にそう返事すると、俺は一息入れに事務室へ向かおうとした。
「成田君、どこに行くの?」
突然、店長(管理薬剤師)の榊原さんが聞いてきた。
「一息入れに行くんですけど・・・」
「成田君、勝手に休憩を取るのはダメよ。しかも、就業時間中の飲食は禁止」
「そうなんですか・・・とにかく、俺のことは名前の方で呼んで下さい。その方が慣れてますんで」
そう言いながら、俺はポケットからガムを一枚取り出して口にしようとした。
彼女はそれをサッと取り上げて
「私は小枝子。私も名前の方で呼んでいいわ」
と顎を上げながら言ってきた。
彼女はどう見ても俺みたいな生意気なタイプでないのに店長として精一杯つっぱたみたいだ。