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表と裏の狭間には 番外編―後日談―

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「…………紫苑。」
彼の名前を呟いた時だった。
バーに、控えめなノックの音が響いた。
焦って体を起こし、机の涙を拭く。
雫に、こんな姿を見せるわけにはいかない。
ボクが少しでも明るく振舞って、少しでも彼女の負担を軽くしなくちゃならない。
「ん?何?」
努めて明るい声を出す。
震えてる気がしたけど、気のせいだと思い込む。
「ああ、いたんだ。」
バーの中に、雫が入ってきた。
「やあ。君が来るなんて珍しいね。飲む?」
「うん。飲む。」
カウンターの内側にいるボクの正面に、雫が座った。
ボクが酒の入ったグラスを差し出すと、それを雫は素直に受け取る。
「レン………学校、大丈夫?」
しばらく無言で飲んでいると、雫が、そんなことを聞いてきた。
「そんなこと聞いて、どうしたの?」
正直、焦った。
いきなり、ボクの抱えている核心に触れてきたのだ。
どこで知ったんだ、そんなこと。
「だって、レン……その、学校で、辛いんでしょ?」
どこで知られたんだ。
いや、違う。
ボクの噂が、二年にまで広まっているのか。
だとすれば………。
「雫は、大丈夫なの?」
「私の話はしてないよ。レン……平気なわけ、ないよね。ごめん。」
確かに、平気じゃない。
授業にしろクラス行事にしろ、何かとキツく当たられる日々だ。
教師もボクの噂を聞きつけたのか、はたまた生徒間の空気を読んでいるのか、ボクに対する態度が冷ややかな気がする。
いや、教師に限って言えば、うっかり頭を染めないで登校したのが響いているのか。
学校に復帰したばかりのこと、ボクはよくミスをしていた。
頭を黒く染めないで登校したのも、その一つだ。
たまたま雫と別々に登校した時に限ってその失態だ。
教師は、こっちが地だって知らないから、こっぴどく叱られたものだ。
「……心配かけて、ごめん。」
「ううん。あまり一人で背負い込んじゃダメだよ、レン。」
「…………。」
雫は、こうして辛さを押し殺して、ボクのために笑ってくれる。
それは、素直に嬉しいことだった。
「……話してよ。聞くよ?」
「……………。」
うっかり話してしまいそうになる。
けど、そんな鬱々とした話はできない。
だから。
ボクは、黙って雫の隣に移動する。
「……レン?」
「ちょっとごめんね。」
そのまま、雫の膝の上に寝転がる。
「……しばらくこうしていてくれないか?」
ボクは今、割と残酷なことをしているのかも知れない。
消えた紫苑の代わりに、いつも紫苑としていたことを、紫苑を誰よりも思っている雫にしているのだから。
それは、とても残酷なことなのだろう。
それでも。
ボクは、こうしていると、自然と涙が出てきてしまう。
やはり、限界が近いのだろうか。
「……………。」
雫は、黙ってボクの頭を撫でていてくれた。
「―――――――――!」
嗚咽を殺す。
この状態で、声を出して泣けるほど、ボクは無神経じゃない。
でも。
涙を抑えることなんて、どうしてもできなくて。
せめて、嗚咽を殺すくらいは。
「…………ごめん、ね。」
「気にしないで。」

冬将軍が本格的に侵攻を開始した十二月初め。
光坂では、かなり早い初雪が観測されている。
この街は不思議だ。
温暖化の影響で雪が珍しくなっているのに、冬になると必ず降る。
まあ、降るといっても、積もるほどではないが。
それでも、夜がしんと静まり返る程度には、雪が降る。
そして、そんな雪が降るある夜、それは起こった。

ボクは、授業の課題で出たレポートを書いていた。
雪が降ると、夜は静まり返る。
そんな不気味なほど静かな夜、ボクは、物音を感じた。
キッチン……リビングの方向から。
何かを叩きつけるような、何かを思い切り殴るような。
そんな、お世辞にも平和とは言えない音だ。
「………何だ?」
流石に気になって、見に行くことにした。
階段を降りる。
すると、聞こえる音がどんどん大きくなっていく。
やはり、音はリビングから響いているようだ。
「………やっぱりか。」
リビングの扉を、少し開く。
すると、そこにあったのは――
「何してんの!?」
そこにあったのは………。
「あ、あ、あああああ、ああああああああ!うあああああああああああああ!!」
何事か叫びながら、椅子で壁を殴ったりしている雫だった。
机にもいくらか凹みが見える。
テレビの画面にひびが入っているのが分かる。
「雫!!止めろ!!」
迷わず雫に飛びついて止める。
後ろから抱き着いて、そのまま羽交い絞めにする。
「離して!!離してよ!!」
雫は、錯乱状態に陥っているように、ただ、『離して』と叫ぶ。
ふと、服にある感触が。
冷たい………いや、生暖かい?
見ると、服が赤くなっている。
では、その赤は何か。
いや、その赤はどこから来ているのか。
辿る。
赤は、雫の服から移ったものだ。
その赤は、雫の腕……その先には。
雫の手首。
「雫!!なにやってんの!?」
手首を見る。
そこには、痛々しい切り傷が。
リストカット、というものだった。
「すぐに止血しなきゃ!!」
とりあえず紐とガーゼがいる。
手を離すと、雫は放心したようにへたりこんでしまった。
「……………お兄ちゃん…………皆………どこ……………?」
うわ言のように、そんなことを呟いていた。
家族が消えて、八ヶ月。
そろそろ、限界が来ているのかもしれなかった。

Episode 4:最高の贈り物

東京に向かう新幹線。
近年順調に実装が進む、俗称『緑の個室』の一室。
七人の少年少女が、楽しげに談笑していた。
「おい、戻ったらこいつがどんな目に会うか考えようぜ。」
「んー、とりあえず引っ叩かれるんじゃないっすかねぇ?」
「……無難な予測。」
「だよねー。わっちでも引っ叩くもん。」
「クク、精々覚悟しときなさい。」
「って……叩かれるのは確定かよ。」
「当たり前よ。あんた、あの子達にどれだけ心配かけたと思っているの?」
「いや、お前らは!?」
「多分、そっちにばかり目が向くから、こっちの被害は免れると思うの。」
「…………地味に酷ぇ。」
「少しは乙女心ってもんを考えなさいよ。引っ叩きたくもなるわよ。心配かけられりゃ。」
「いつかのオレたちみたいだな。」
「……うっさいわね。」
クリスマスが程近く、街がイルミネーションに輝く中で。
その新幹線は、着実に東京へ向かっていた。

クリスマスが近くなったある日。
私は、レンと話をしようと思った。

手首の傷は、まだ消えない。
あの日、私はどこかボーっとした頭でずっと何かをしていた。
としか、覚えていないのだ。
その後、レンに引っ叩かれて、お説教された。
説教されたら朝になり、病院へ連れて行かれた。
一通り治療してもらい、家に戻って、またお説教。
それで、私の心は、やっと元に戻ったらしかった。

クリスマスが程近いある朝、私は、朝食を作りながら、あることを思い出していた。
私とレンに残されていた、お兄ちゃんの手紙だ。
あの手紙の内容から察するに、お兄ちゃんは、レンと正式に結婚するつもりだったらしい。
でも、お兄ちゃんは、その手紙の中で、私と話をしてから決める、とも書いていた。
私とレンは、そのことに関して、この一年、全く触れて来なかった。