小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

あいなきあした

INDEX|6ページ/7ページ|

次のページ前のページ
 

ヒロミの事もまんざらではないらしく、おまえにはもったいない女だとか、舌の乾かないうちに店の内装は絶対変えるなと俺にだけ釘をさしつつ、ラーメンの味の文句も忘れずに、ちょっと上機嫌で帰って行った。

ヒロミには貞操観念など望むべくもなかったが、俺にはおあつらえ向きのいい女だった。
アキラはプロデビューの話こそ一回流れたものの、夕方の喫茶時間の客はどんどん増えていき、かなり待たなければデザートセットにはありつけないほどになっていた。
何より真面目な仕事ぶりは、本人が望んで俺の師匠のもとに修行に行けば、きちんと飯の食える店の開ける男になっていた。ただ、俺からはギターを捨てろとは、どうしても言えなかったが。
CDショップのオヤジは「レコード・コレクターズ」の隅にしか載らないような音源を太客の俺に押し売りのように仕入れ、部屋はヒロミのロックに占領されていると嘆いたら、ご自慢のリスニング・ルームで心置きなく渋谷系やソフト・ロックの音源を聴かせてくれていた。

新しい世界は、いや全ての世界はもろく、はかないものだが、俺が今飛び込んだ世界は危ういながらも、新しい絆で俺を迎え入れてくれた。
「スモール・サークル・オブ・フレンズ」
永遠に続くはずのないその充実した時間は、夏が過ぎ、秋が終わる頃にゆるやかに崩れ始めた…。
理想の店を提供してくれているじいさんが、味見にくるたびやせ細っていくのが気がかりではあったが、だんだん味見に来る回数が減り、突然ぱたりと来なくなると、連絡先の家電もつながらなくなり、忙しい合間を縫って契約書の住所に向かってはみたが、当然の如くそこはもぬけのからになっていた。
頼る身寄りが無いのも功を奏して、市の福祉課に問い合わせると、脳梗塞で倒れ、今は意識も戻っているという事だった。

「おい、お前。」
じいさんは俺の事を「おめえ」と呼ぶ。俺の名前などとうに覚えたろうに、まだ半人前だからなのか、ぶっきらぼうに呼び捨てる。
「これ、やれんのか?」
唐突にじいさんは、使いすぎて角がとれている小さなノートを黙って差し出した。
そこには雑然としながらも、事細やかに自分のラーメンの味への探究の旅が描かれていた。
俺のようなにわかで、コピーを作るのが精一杯な者との絶対的な断絶、職人としての一途な姿がそこにはうかがい知れた…。
「お前は、性根が悪くない男だから店を預けた。だが、このまんまじゃいけねえ。人様の味で飯を食っていたら、おてんと様をいつまでたってもあおげねえラーメン屋になっちまう。たかが一杯、されど一杯だ。
言いたかなかったが、あの女もいけねえ…。あいつはお前の根を腐らせちまう。もちろん分かっっちゃいようが…。
医者は言わねえが、決して長くはねえみてえだ。…そうだな、2ヶ月だ。コピーで1ヶ月、あと1ヶ月でお前なりの工夫を見せてみな。それがお前との縁(えにし)、してやれる全てだ。」
多くは語らなかったが、じいさんには娘がいて、年頃に店を継がずに男と駆け落ちして音信不通、跡継ぎの見込みもないらしく、跡継ぎ目当てもあってか、今回の引退を決意したいきさつであったようだ。
どうやら、俺は自分には抱えきれない重荷をかせられていたようだ…。だが、まがいなりにも職人の道のとばぐちに立った俺には、いつか超えるべき壁に違いなかった。それが、こんなに早い段階でおとずれるとは思わなかったが、じいさんにはますます頭が上がらない、意気地のない自分の姿に心細さしか感じることは出来なかった…。

「ねぇ、あの話、いいでしょう?」
年頃の娘がいるはずのCDショップのオヤジに遠慮することもなく、激しくまぐわった後、煙草を肺いっぱいに吸いこんで、まどろんだような瞳でヒロミは言った。
俺は結局、じいさんとの約束を果たすために週に4日しか店を開けなくなっていた…。
先月までは店のやりくりもあり、週5日から、アキラの手伝いもあって土曜日の通し営業も含めて週6日の営業をしていた。
ところが、味の研究をするのは思った以上に骨の折れる作業で、結局は稼げる土日を中心とした木曜日から日曜日までの営業とし、月曜日を研究に、火曜日と水曜日は倒れるように休息をするだけになってしまっていた。

ヒロミは何も言わなかったが、せっかく軌道に乗ってきた自分の店に水を差されたような気分で、さらにはアキラの人気もあり、例のケーキは今の3倍売っても余裕があるほどの行列になっていた…。
それに気分を良くして、自分はケーキしか作れないくせに、ロック・バーのようなものを営業したいともちかけてきた。アキラのバンドのメンバーを客寄せに、料理は追っかけの誰かにやらせるから大丈夫だと、相も変わらぬ達筆ぶりで、メニューを書き上げては悦に入っている。
アキラから裏を取ろうとしたが、きつく口止めされているらしく、全容がつかめないままに押し切ろうという腹のようだ。はぐらかそうと、もう一度せがむように腕をまわすと、
「だーめ。お願いきいてくれたら、ね。」
俺が吸わないのを知っていて、肺からはき出した煙を顔に吹きかける…。
「休みぐらいお前と居たいんだよ」
「じゃ、言わしてもらうけど、休みぐらい、楽しませてよ。」
裸のままキッチンで適当にカクテルを作ると、火照った身体にはすがすがしいそれを、口移しで氷ごと俺の口腔に流し込む。
「!」
ぱっと見はカシスオレンジだが、中味は焼けるほど熱いジンで濃く割ってある。残ったそれをヒロミは一息で飲み干すと、おれにまたがった形のまままぐわい、俺の脳が溶けるような声色で言う…。
「ワタシも、楽しんで、いいでしょう?」


分かりきったことではあったが、押し切られる形で店を一日貸すことにはなったが、俺は見て見ぬふりをしたいのか、連勤明けの、火曜日をヒロミに提供する事にした。研究に費やす月曜日はことのほか気疲れし、火曜日は立ち上がる余裕さえない。素人が本物を作ろうというのだから、神経が目に見えてすり減っていくのが分かる。
気力が少しでも残っていようものなら、保護者よろしく、干渉していくのは間違いないのだ。少なくとも、ヒロミに対しては「大人のふりを」俺はしていたかった。


「まずいな。」
何度も繰り返されるじいさんの一言が、悪夢となってのしかかってくる。
どだい勝ち得ぬ勝負であっても、俺の道にはもう退路はない。まだ道のない若人とは違うのだ。

つまるところ、俺は、俺であり、独りなのだ。

営業と修行を並行させるのは至難の業で、正直ネットの口コミでは味が落ちたとの評判さえ立った。しかし、実際の所俺はマニュアルで作っているので、実際のところ味に影響を与えていたのはアキラであった。
ヒロミの店は評判こそ良かったが、酒を出しているだけあって、売上げも大きく、ヒロミはアキラ達にホストまがいの事をさせては、かなりキックバックしているようであった。身なりこそなんとか崩さずにいたが、ギターや衣装が明らかに高価なものに変わり、たまに酒臭い息で店に顔を出すようになり、スープの温度管理が出来なくなっていた。麺もこいつに任せたいと思っていた矢先の出来事だったので、俺は正直このプランに失望し、負担もキツくなっていった。
作品名:あいなきあした 作家名:やなやん