あいなきあした
確かに二回には倉庫がわりに部屋はあるのだが、冗談じゃない!俺の店にこんな香水くさい女を寝かしてたまるものか。今日だって例外中の例外だ。例外に2度目はない。
歩いて十分もかからないのに女をかついでタクシーに乗せる。
華奢で軽すぎる身体も、脱力しきって倒れ掛かられたら存外に重い。
小麦粉を入れた袋より重たいものを持ったのは久しぶりで、なまった身体が悲鳴をあげる。なんで俺がこんなとばっちりを…と思いながらも、ひさかたぶりに嗅ぐ女のニオイは、決して悪いものでは無かった。一組しかない布団に女を寝かせ、俺は毛布をかけ、座布団を枕にして横になった。浴室からポリバケツを運んで枕元に。じっと寝ずの番をしていると、やはり小刻みに痙攣する姿が見えたので、すかさず起こして頭部をバケツにあてがう。背中をゆっくりとさすってやると、
「オェェェェェェェッ!」
身体のキャパシティを超えて飲む輩は必ず拒否反応を起こして吐く。サラリーマン時代に身体を張って知った知恵がこんなところで役に立つとは…。数回に分けて吐しゃ物を吐き終えた女は、蛇のような眼で辺りを見回し、値踏みをしたような表情で、
「アンタ、いい歳して独り身なんだ?アッハッハ!みっともないねぇ。…相手でもしてやろうか?」
女は吐しゃ物交じりの口腔で俺と口付けを交わして、また意識を失うように眠りに落ちた。
いつもどおり、朝日と共に目は覚めたが、畳で寝たせいか身体の節々が強張っている。そして、女は昨晩の行儀の悪い態度とは異なり、すやすやと穏やかに寝息をたてている。
俺は、部屋の鍵と通帳一式をハンドバッグに入れ、自分がとった簡単な朝食を一人前余分に作って、メモを残して店に向かった。
(食ったら帰れ。)
二千円だけをメモにはさんで…。
少し準備に手間取ったので、店先では暇を持て余したアキラが、所在無く突っ立っていた。
「ケイジさん、遅いっすよ。」
「悪い悪い、とんだ酔っ払いを誰かさんのせいでみてきたんでね。結構飲んだから、高くつくぜ?」
「オレの連れじゃないっすから。それより、時給上げてくれる話、どうなったんです?」「そんな話したっけか?まあ、取られるもんもないし、鍵空けて置いてきたわ。小銭も置いといたから、勝手に帰るだろ。」
俺とアキラは拳をあわせてする、インディアンの握手を交わして、いつものように店のシャッターを上げた。
「またよろしくお願いしまーす」
何度言ってもしっくりこない客商売ならではの掛け声で客を送り出し、洗い場に詰まれた食器を眺める…。アキラが厨房に立ってくれればこの1・5倍はさばけるのに…と、取らぬ皮算用をしながら今日も暖簾を下ろす。残った具材をタッパーに入れて帰途に。材料切れで客を泣かせたくないので、毎日少しづつだが具材は余る。処理をするのは大概俺一人なので、遅い夕食はどうしてもチャーハンになってしまう。一度、アキラにもふるまってみたが、
「ケイジさん、マジ神っすわ」
「誉めてもなんも出ねえからな、お前が厨房に入るんなら考えるわ」
と、自分でもまんざらではない逸品だ。
でも、今日の残り具合はゴハンと具が1:1のトンデモなチャーハンが出来てしまうほどの量で、いささか持て余し気味ではあった。
(もったいないが豚汁でも作るか)
具材の算段だけで帰途の時間が埋まると、暗いだけのねぐらへと向かう…
誰もいないわびしさだけの残っているはずの煌々と明かりがついた部屋で、お得意のビジュアル系の音楽をヘッドフォンで爆音でかけた女が、目一杯馬鹿馬鹿しい大仰なポーズで、エアギターを弾いていた。
「お前!帰る金置いていっただろ!」
「でもこのCD発売日だったし…下のオッサンが上のラーメン屋の女だって言ったら、千円であとツケにしてくれたよ。この曲、ゴキゲンだろ?」
「ツケじゃないだろ!親御さんが心配してるぞ。」
女はいけしゃあしゃあと
「ワタシ、メンの家渡り歩いてるから、親も諦めてんの。それよりさ、何か食わせてよ…。」
言いたいことだけ言ってエアギターを再開する女。俺は黙ってコンパクト・オーディオを落とし、目一杯凄みを効かせたつもりの顔で、
「俺は、ロックが嫌いだ!」
女とは空気でつばぜりあったが、女は空腹に負けてかむくれて座り込んだ。
「もしもし、サンタさん?」
年に2回、俺はサンタクロースになる。実の娘を『ママ』に連れ去られ、絶縁状態の父娘ではあったが、実家の固定電話の番号と、受話器を取ってくれるお約束を(ワンコールで切り、再度コールをするという方法)知っていたので、家に娘だけが居そうな時間を見計らって娘と通話することは、かろうじて俺は自称サンタクロースという設定で、年に2回、誕生日とクリスマスには、娘のもとに届くかは分からないプレゼントを贈っている。
「えっとねー、くるみ、キュアシャイニーのお人形。」
娘も成長につれ、嗜好が変わり、アンバンマンからプリキュアへと、興味の対象が変わってきているようだ。
「わかったよ。サンタさんの荷物が着いたら、ママとおばあちゃんには秘密にして、隠しておくんだよ。」
金を稼いでくるだけの人形に過ぎなかった俺のことが、どうして憎いのかは想像することは出来ないが、きっと俺からのプレゼントなど見つけようものなら、婆は卒倒し、元妻は過呼吸でも起こして、パニックにでもなるのだろう。荷物の期日と時間の指定を行って、携帯電話をワークシャツの胸ポケットに放り込む。クリスマスまであと2ヶ月だ…。
「あのヒロミって女、オレらの界隈では有名な”ファック隊”っすよ。いや、オレのせいですけど、ケイジさん、いい加減目ェ覚ましたらどうっすか?」
いつもは無頼でロックなアキラに心配されるとは、いよいよ俺もヤキが回ってきたと見える。
「お前が引き取らないから抜き差しならなくなったんだ。おじさんに教えて欲しいんだが、その”ファック隊”ってなんだ?」
「バンドの男(メンズ)を喰う目的でライブに来る女らっすよ。ま、ビジュアル系は女にウケてなんぼなんで、ヤリ目から彼女狙いまでいろいろっすけど、こいつらに多少援助してもらうんですが、アイツの場合、同じバンド内のメンも喰っちまうんで、『クラッシャー』って呼ばれてるんすよ…。」
結局ヒロミとはなし崩し的に一緒に暮らしている。
俺も相当な馬鹿だ…。
「親御さんが心配するだろ?」
「親にはもう見離されてるって言ったじゃん。なによりここ、食うに困らないのがいいよな。」
「いや…男と暮らすという事はだな…何があるか、分からんだろ?」
「何なら、試してみる?」
蠱惑的な瞳に見つめられると俺は情けないやら二の句をつなげなかった…。美の極致とは思えないが、美形とも取れるし、何より、男好きのする雰囲気は、虜にして離さない何かを感じずにおられなかった。
アキラはこのヘンテコな組み合わせを少なからず楽しんでいるらしく、
「飽きたら出て行きますよ」
と矛盾した事を言って、鼻息混じりに微笑う。
野狐禅の如く禁欲を続けていたが、ヒロミが勝手に住みはじめて半月ほど、足りない材料を買出しに出ていると、買い物を終えたスーパーの軒先には人だかり。夏の激しい夕立に人々は急ぎ足を止められたものの、激しい雨足に一瞬の涼を感じているようだった。