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アガペー 〜あるAV女優へ〜 (後編)

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    十 暴走が止まる

 私が殺したんです。

 私は四日間ほど睡眠を摂っていませんでした。
 そして意識が朦朧としたまま、新宿中央公園内を虫のように必死に這って前進していました。
 それは右翼の街宣車のスピーカーから突然彩赤さんの声で、逃げろ! と聞こえてきたからです。
 最後に彩赤さんと会ってから一週間は経っていたと思います。
 その日は彩赤さんと行動していたわけでもないのに急に彼女の声が大音量で何度も何度も聞こえてきたので、私はわけがわからなくなって咄嗟の判断で地を這うことを選びました。
 今思えば意味がわかりませんね。
 きっと逃げられないと判断して、隠れ蓑のつもりか何かで人間としての生態を放棄したんだと思います。
 いわゆる世間の冷たい視線というものは即座にそして大量に認識出来ましたが、私に向けられた全ての瞳はとても弱々しくて、脅威に感じられるものは一つも無かったので、恥ずかしいとか止めようとかは一切思いませんでした。
 すると、近くにいた明らかに精神に異常をきたした中学生くらいの女の子が私を見た瞬間、天猛々しく合図らしきものを悲鳴に近いかたちで叫んでいたのを覚えています。
 彼女が何者だったのかはわかりませんが、その合図とも取れる悲鳴の後、三分もかからないうちにパトカーのサイレンが公園の出入り口近辺に集まってきているのが聞こえました。
 しかし私はゴキブリのように地を這い続け、花壇の段差や小道を秒速でくぐり抜けて大通りに飛び出し、やがて二足歩行の感覚を取り戻して、警察網を平然と潜り抜けることに成功したのです。
 そして泥だらけの洋服のまま新宿のヒルトンに向かいました。
 呆然としていたせいか、特に躊躇いも恥ずかしさも感じませんでした。
 ホテルのドアマンは泥だらけの私の姿を確認して少し驚いた表情をしていましたが、特に咎めようともせず、私のために扉を開いてくれました。
 私はロビーのソファに座り、大きくため息をついて、目を閉じました。