アガペー 〜あるAV女優へ〜 (前編)
二 ファミレスにて
「きっかけは一人の女性との出会いでした」
偽名でうららと名乗る女は、少し話し疲れてるようにも見えた。
小野は相づちを打つだけで出来るだけ言葉を挟まずに、相手に気持ちよく話をしてもらうことを心掛けていたが、うららの様子に変調の兆しが訪れたことを汲み取った。
「少し休んでも大丈夫ですよ?」小野は気づかうように口を開いた。
するとうららは少し驚いた表情をして「小野さんは聞いてばかりで疲れちゃいますよね? 私は全然大丈夫なんです。ただその売人の女性が象徴的すぎて、思い出すのが辛いんです」とうららは言った。
「あなたが気持ちよくなれればそれで構わない。話したくないことまで話さなくても大丈夫です」と小野は言った。
「ありがとうございます。でもこんな機会は滅多にないので、出来るだけ話してしまいたいんです」
「僕のことは気にしなくてもいい。うららさんの気が済むまでお付き合いします。どうぞ続けてください」
うららは目の前にあるコーヒーには全く手をつけず、一心に話し続けていた。
現在は夕方の四時を回ったところ。りんかい線の天王洲アイル駅近くのファミレス。
待ち合わせの時刻は昼の二時で、それはうららからの希望だった。
二人は携帯電話で連絡を取り合いながら、駅の地上出口を出たところで落ち合い、お互いの自己紹介もそこそこにすぐに歩き始めた。
ファミレスに向かう途中、うららは初対面の小野に対してうまく表情が作れずおどおどしていたが、訝しがりながらも不器用な笑顔をその表情に湛えてみせた。
歩道の両脇に散らかる大量の朽ちた落ち葉が二人を近づけるように幅を狭める。
小野は晴れ渡った昼下がりの空を見上げながら、対称的に少しうつむき加減で歩くうららに向かって「天王洲アイルには、JALとフジテレビが隣接してあるんですね」と話しかけた。
うららは「あれはフジアールといって美術を担当するフジテレビの子会社らしいですよ」と微笑みながら答えた。
小野は安心したように大きく二回頷いて、また空を見上げた。
ファミレスに入り店員に四人掛けのテーブルに案内されると、うららは小野に向かって奥のソファ側に座るように強く勧めた。
うららが望んでいた通り平日の昼食時を過ぎたファミレスは客の数もまばらで、ほとんどが喫煙席に集中していた。
うららはタバコは吸うが屋内では吸わないことにしているので禁煙席で構わないとのことだった。
二人ともドリンクバーだけを注文し、店員が専用のグラスを運んでくるまでの間、小野は「どうぞリラックスしてください。これはいわゆる警察の取調べのようなものでもなければ尋問でもありません。うららさんは話したいことだけを話せばいい。僕はメモをとることもしないし、会話を録音することもありません。あなたのペースであなたがやりたいようにやってください」と笑みを織り交ぜながら諭した。
作品名:アガペー 〜あるAV女優へ〜 (前編) 作家名:krd.k