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アガペー 〜あるAV女優へ〜 (前編)

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      *

 楽しい思い出はほとんどありませんでした。
 パッと思い出すものは象徴的な暗い部屋と、そこで見た幻がほとんどです。
 それは私が外に出るのを極端に嫌ったからかもしれません。
 月に一、二回ほど気晴らしに外出する程度で、ほとんどアパートの部屋からは出ずに、読書をしたり絵を描いたりして過ごしていました。
  
 とてもくだらない話ですが、いわゆる魔法……簡単な魔法のようなものは、当時はごく自然に使うことが出来ました。
 例えばアパートの隣の部屋に住む住人に対して「セックスを始めろ」と念ずるとします。そうすると隣の住人は本当にセックスをやり始めました。豪快に音を立てて大胆に声を張り上げながら、私がやめろと念ずるまで延々と三十六時間くらい。
 行為は中断されることなくノンストップで行なわれ続け、男は一心不乱に腰を振り続け、女は大声で喘ぎ続けました。人間らしく様々な体位を取りながら、時にはベッドから転げ落ちてドスンと大きな音を響かせたり。
 たまに交わされる二人の会話も、内容までは聞き取れませんでしたがとても流暢で楽しげなものでした。
 しかし彼らのセックスは丸一日、二十四時間が経過しても終わりがくることはありませんでした。
 それでも彼らが何か終了の合図のようなものを待ってるとも思えなかったので、私は私が念ずることで彼らが元々持ち合わせていたセックスに対する本能的な欲求に対して、少しだけその背中を押してあげることが出来たんだと本気で思っていました。
 要するに彼らのホルモンバランスにランダムに影響する神秘的な何かの一つを私がコントロール出来たんだと。
 月の満ち欠けが操作出来たんです。
 他次元的な場所でというか、霊的な領域でとでも言いましょうか、彼らと密接に関わり合って過ごせた三十六時間はとても有意義なものでした。
 そして今になってとても面白いのは、当時のその魔法のような特殊な能力を、その後面白おかしく興味本位でもう一度使おうとはただの一度も思わなかったことです。