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アガペー 〜あるAV女優へ〜 (前編)

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 日没と……静けさと……さざ波と……晩秋。
 時折通り過ぎる車に合わせて車体が小気味良く揺れる。
 都合よく睡魔が訪れそうだ。
 海が広いからだろうか。妙な開放感は彼が盲目なのも関係しているのかもしれない。
 前方に目を向ける……。
 
 勇十赤(ゆたか)……。
 彼の名前は勇十赤。
 彼の父親は建設会社の社長で、敬虔なキリスト教徒らしい。息子の名前にもクロスを入れた。
 ただ、どうも父親とは関係がうまくいってないらしい。
 母親もどういう理由からか今はいないようだ。詳しいことはわからない。
 
 勇十赤は足を組んだままずっと物思いに耽っている。
 盲目の人間がする独特の動き。その顔を上下左右に揺り動かしながら。
 まるで天から降り注ぐ数多の羽毛を余すことなく頬擦りしているかのように、奇跡的とも言える。
 きっとそれが今の営みに対して一番素直な動きなんだろう。視覚があるとなかなかそうもいかない。
 海に来たのも何か目的があるのかもしれないが、深くは窺い知ることが出来ない。
 彼が物思いに耽るとき、瞑想のようなものに没入するときの姿というのはとても神秘的で、いつも簡単に魅了させられてしまう。
 こうやって眺めているとこちらの想像力も駆り立てられて、彼の今までとこれからを案じてしまいそうになる。
 だが、盲目の人間に対して一方的に見つめ続けるのはいささかフェアだとは思えないからやめておく。
 見ざる、言わざる、聞かざる、ともう一つ足して、思わざる。
 予め決められたルールを守り、必要最低限の介助をして、聞かれたことだけに答えてやる。
 今のところは無難にこなせてるようで、特にこれといった注文をつけられることもない。
 過剰なボディーガードもする必要もないという。

 シートを限界まで倒す。体を思いっきりリラックスさせ、瞳の生気を抜き、フロントガラス越しに見える夕暮れをぼやけさせ、ゆっくりと目を閉じていく。
 眠気……。
 携帯のアラームを一時間後にセットし、助手席に放り投げる。
 小一時間ばかり寝させてもらいますよ、勇十赤さん。
 あなたは誰にも監視されてない当たり前の人権の中で、一人瞑想に勤しめばいい。
 ただ、人通りが少ないとはいえこれから夜になる。
 秋も深まる夜の海辺で一人、盲目で。
 それはいささか特異なシチュエーションなんだが。