D.o.A. ep.17~33
リノンは遮二無二走った。
息苦しさも、蓄積された疲労も、なにもかもふりきって、駆け抜ける。
両足は意思のままに地を蹴りつづけ、両腕は加速をくわえつづける。
入り乱れた広大な戦場で、たった一人を見つけることが、どれほど困難であるかはわかっている。
砂浜でたった一粒の砂の粒子をさがすコトに似ていると思う。
わかっていても、考えないようにした。
かならずライルのもとへたどりつき、それから―――それから先は、そのとき考えよう。
大事な大事な、いとおしい弟分。自分の感情ももちろんだが、かわしてきたいくつもの約束を守るためにも、絶対に見つけてみせる。
黒い陰鬱な空が、まるでのしかかってくるようで、不安がとめどなくわきあがる。
(ライ、ライ…どこにいるの)
粉塵と、血と、死の臭いが満ちた戦場をくぐるようにして、目は親しんだ少年だけを求めている。
(どこ…、どこ!)
誰もがライルに見えて、誰もが別人だった。
そして、空手で走り回る女を、獲物としてオークどもが見過ごすはずもない。
駆けて駆けて、―――気づけば、数体の巨躯に、かこまれていた。
「っあ…」
かすれた喘ぎがのどからこぼれる。リノンはこの時はじめて、オークという異生物を間近にする。
なんて大きくてみにくい。ひざが笑う。
女、殺す、喰う、などの単語が、地を這うようにオークの口々からつぶやかれた。
だめだ。逃げられない。死ぬ。血の気が引いていく。
背後からオークに肩をぐっとつかまれ、頭が真っ白になったとき。
「―――汚い手で気安く触るなよ、雑兵」
バリトンが告げる。
直後、肩をつかんでいた手が、腕から断たれた。耳障りな悲鳴をわめき散らす。
振り向くと、オークの首が勢いよく刎ねられたところだった。
頭部のない巨体は転倒し、わずかに痙攣している。
リノンは思い出したように気味が悪くなり、肩にのっていた手をあわてて払い落とした。
かこんでいた他のオークたちは、瞬殺された同胞にとまどい、意味不明の奇声をあげはじめた。
下手人は、頭のない死骸を通り過ぎ、リノンの横をわずかに通り過ぎて、ころがっていった頭部の前で歩みをとめる。
背の高い男だった。
黒い空によく映える金の髪が、風になびいてゆれている。
腰には赤と青の二振りの鞘をさしていて、一振りは男の右手ににぎられている。
刃からは、ついさっき命を奪ったオークの血がしたたり落ちていた。
それを、しぶとく何事かうめいているオークの頭部につきたてた。
「…!? …ァード、サ、マ」
オークたちの目は、なぜ、といっている。その表情――と呼べなくもないものは、明らかに困惑している。
この男はなんなのだろう。自分は助けられたのか。わけがわからぬ。
「失せろ雑兵、さもなくば同じ運命をたどるぞ」
死にたくなかったのか、それともこの男には従わざるを得なかったのか、リノンを包囲していた悪鬼たちは脅えるように離れていった。
その声がはらんだ冷気に、ぞくりと肌を粟立てる。
誰かは知らないが、脅威をしりぞけてもらったらしい。
いまだガクガクと頼りない脚に力をこめて背筋を伸ばす。
「あ、あの…、どうも…」
「…もうすぐ、現れる」
男は振り返らず、感謝をさえぎって、黒い空を見上げた。
おもむろに、つるぎを携えた手を上げ、ある方向を指ししめす。
「早く行ってやれ。…取り返しのつかなくなる、前に」
「!」
知っているのか。彼女が、何のために血相を変えて走り続けていたのかを。
この男の指ししめす先に、ライルはいるというのか。
疑問は尽きなかったが、問いただしている余裕などない。
もうすぐ現れると、この男はいった。彼女の予感は正しかったのだ。
「ええ…とにかくありがとう、助けてくれて」
とりあえず礼だけは告げきって、リノンは男の示す方向へと駆け出し、―――そのとき初めて、男の容貌を、見た。
かすめるようにして目にしただけなのに、ひどく美しい色だと、心に刻みこまれる。
赤と金の、オッドアイだった。
たとえ顔を忘れても、あの鮮やかすぎる色彩は、きっと、ずっと忘れまい。
―――それはまるで、黄昏のようだった。
作品名:D.o.A. ep.17~33 作家名:har