読み違え&萌え心を揺さぶるシリィズ
読み違えドイツ詩妄想仕様・その4〜In tausend Formen
** 本作は『神の園辺』番外編に掲載していました **
ゲーテの詩は、おびただしい数にのぼる。その総てを読んだわけではないが、それでも「マイ・ベストはこれ!」と断言できる作品がある。それが、番外編『往合いの空』の最終頁、最終行に載せている詩だ。全文掲載する気は毛頭なかった。「好き過ぎて紹介したくない」という、はなはだ身勝手な理由で。
この詩を読んですぐに思い浮かんだのが“逝ってしまった者と、遺された者”という構図だった。
語り手(男)はこの世で一番大切な人(男)を事故か病で亡くし、長らく屋内にこもっていたのだが、ふと外へ出てみると、自然界には彼(か)の人が遍在していた――。
こんなストーリーが、ふつふつと湧きあがってきたのである。でも、プロットを考えるうち、これって『神の園辺』と似てるなぁ…と気づき、やめてしまった。
でも、自儘な作者のこと。「やっぱ書いちゃった」と、いつの日かひょっこり投稿するかもしれない。
千の姿にきみは身をひそめもしよう、
しかし、いとしい人よ、ぼくはすぐさまきみを見分ける。
きみが魔法のヴェールに身を包もうとも、
偏在するひとよ、すぐさまぼくはきみを見分ける。
糸杉の、わかわかしく至純に伸び立つさまに、
うるわしく生い立った人よ、すぐさまぼくはきみを見分ける。
運河のきよらかな波のいのちに、
なまめくひとよ、きみの姿は見て取れるのだ。
噴水が、立ちのぼりつつひろがるとき、
たわむれ好きの人よ、きみがわかってうれしいのだ。
雲生まれ、雲の相が変わるとき、
変幻自在のひとよ、ぼくはそこにきみを見るのだ。
花ざかりし紗(うすもの)の草地の氈(かも)に、
星ちりばめたひとよ、うつくしいきみをぼくは見分ける。
そして千の腕(かいな)持つ常春藤(きづた)がうでをのばすとき、
からみつくひとよ、きみをぼくは知るのだ。
山なみに朝が燃えるとき、すぐさまに、
ほがらかなちからもつひとよ、ぼくはきみに挨拶を送るのだ。
やがて大空がぼくの頭上にきよらかに円蓋をつくるとき、
心ひろがらせるひとよ、きみをぼくは吸う。
外の感覚、内なる感覚をもってぼくが知るもの、
教えさとすひとよ、ぼくはそれをきみを通して知る。
そしてアラーの百の名をとなえるとき、
そのひとつびとつに、きみの名は伴いひびく。
※生野幸吉氏、檜山哲彦氏訳
『ドイツ名詩選』(岩波文庫)
ゲーテさん、ほんといつもスミマセン。てゆーか、お世話になっております(違)。
こんなふうにサイトへ載せてる以上、いつかどなた様からお叱りを受けるんでは…とビクビクしている私。
でも、ドイツ文学を研究してるようなお偉方が、こんなエッセイ見つける筈なかろう? と開き直ってもいる私。
作品名:読み違え&萌え心を揺さぶるシリィズ 作家名:夏生由貴