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一期一会 ―あんじ―

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「遠離一切……究竟涅槃……諸仏……」

 声はかなり大きくなってきてた。オレが声の方へ確実に向かってるから、そう聞こえるのだろう。
 だんだん見えてきたのは池で、さすがのオレもこれ以上近づいて良いものかとちょっと危機感を抱きはじめていた。(水辺ではよく出るっていうし)しかしすぐ間近まで来ておいてすごすご引き返すのもなんだ! そんな考えもあったわけで。
 結局、池を覗き見ることを決定した。そうしたら。

「故知般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪……」

 一匹の大きな青色の魚が、空の月に向けて水上に顔を出してた。
 信じられないことだが、声の主はアイツだ。もっと信じられなかったのはその魚の顔は、なんと人間の顔をしていたことだ。

「うわ」

 驚きのあまり、声が小さくもれる。魚はそれに気付かず、般若心経を唱えてる。
 こっちから見える横顔はなんとも年季の入った、いかにも“聖人”といった感じで、厳かな雰囲気を感じさせる老僧だ。その顔の後ろ半分辺りからは魚の胴体となってて、水の中に続いている。誰かがふざけて人間の顔の部分と魚の写真を切り取ってくっつけたみたいだ。

(変なの)

 別にこれといって怖くない、ちょっと気味悪いなと思う程度だ。
 まあ、とにもかくにも、オレはすっかり気がすんだので回れ右して部屋に帰ることにした。

「真実不虚、故説般若波羅蜜多呪、即説呪曰……」

 明日にでもみんなに話してやろう。

「羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦」

 理系バカのコバルト先輩ならこう言い出すかもしれない。

“面白い! というか解剖してみたい”

 いや、絶対言い出すに違いない。

「菩提薩婆訶、般若心経……待たんかいいぃぃぃっ!」

 急に魚が声を上げたので、オレは驚いておもわず飛び上がってしまった。

「ちょッ、そこの小僧、止まれええッ! 拙僧の姿が気にならんのか!?」

 今まで淡々と般若心経を唱えてた重厚感漂う低い声で今の言葉を聞くと、なんともギャップがありまくだ。
 どうリアクションして良いか分からない。そろそろと顔だけ後方に向けると、さっきまで池の中央に映った月の真ん中にいたはずの魚は淵まで来ていて(早っさすが身体は魚)、広い額に青筋を浮かべた怒りの表情でオレを睨んでいる。
 ……えーっと。この場合どうすれば良いんだろう。笑って良いのか。ダメだよな。

「こっちに来い、取って食いやせん」

 額に青筋を浮かべた顔は人間、身体は魚というおかしな奴の言うことなど聞いちゃって良いのか、駄目だろう。まだ綺麗な人魚だったらよかったのに。

「ホント取って食いやしないから、早く、こっちゃ来い! 頼むから」

 バシャバシャと尻尾で水を叩きながら、必死の形相でオレを見てる変な奴が(半漁人、ではないよな)、何となく可哀相に見えてきた。なんというか必死過ぎて。オレは少しづつ、池に近づく。

「あ、あなたは誰ですか?」

 池から四歩くらい離れた場所から、そう問いかけてみる。そうしたら魚は得意そうに笑って、こう答えた。

「拙僧は、ある寺の僧だったのじゃ」
「――百年も前に入滅したが、寺でも最高位の僧での」

 そう華々しい自分の葬式の様子を語り始めた魚の話にウンザリして、オレは自分の疑問を率直にぶつけることにした。

「じゃあなんでそんな化け物みたいな姿なんすか、そんなにおエライ御坊さんだったらこの世の真理なんかすっかり悟って、未練なんか無くとっとと成仏しているはずでしょ」

 オレのその言葉に、魚は得意げな顔をうっと歪ませてやっと喋るのを止めたが、次の瞬間には真剣な面持ちをして魚は予想外なことを言ってきた。

「実は、儂にもそれは分からんのじゃ」
「はぁ?」

 思わず素っ頓狂な声を出してしまったオレに構わず、魚は喋り続ける。

「儂は、この世に未練などなかった。“悟り”というものも、開いていたつもりだった。なのに、死んで気付いた時には暗くて狭い空間の中、他の何か達と閉じ込められていた。しかしある日空間が開けて、他のもの達に押され揉まれ巻き込まれて拙僧はここに来たのじゃ。そして気付いたら、こんな姿になっていたのだ」

 長い長い魚の話を聞いていく内に、オレはなんとなくいやーな予感を感じはじめた。こういうのは大抵当たるもんだ。

「そこでだ、“袖振り合うも多生の縁”という言葉があるだろう。だから少年、どうか儂がこうなった原因を」

 そこまで聞いて、オレは魚にくるりと背を向けて部屋に向けて走り去る。

「こりゃぁぁぁぁあ!」

 後ろであんまり恐くない怒鳴り声が聞こえる。そんなのにいちいち驚いちゃいられない。とにかく、今はこの面倒くさいかつ難解そうで厄介な頼みことを回避することに集中するべきなんだ。オレはそう判断した。

「この学び舎は、この島は、我と共に来たもの等が害した所為で呪われたぞ! それが近い内に幾万の災厄の火種となり、瞬く間にこの土地全体に燃え広がって激しさを増し、いずれ屍が山の如く積み上がるだろう! それを回避したくば儂を、儂をどうにかしてこの身体から開放し、速やかに我に助けを請うが良い!」

“待てェェエッ!”

 あきらかに怨念の篭っていそうな怒号は、山彦のように周囲に響きわたって、背中に降りかかった。
 “屍の山”とは、なんとも不吉極まりない言葉を吐いてくれやがったものだ。しかし結局自分がこの状態から抜け出したいがだけみたいだったし、なにより今さら戻ってもどうせ怒られそうだったから、オレは部屋につくまで走り続けることにした。
 声は、すぐに聞こえなくなった。

作品名:一期一会 ―あんじ― 作家名:狂言巡