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時間移動における矛盾の解消方法に関する考察

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 私がある日家にいるとき、気づくと一時間だけ記憶がないことに気づいた。午後五時までの記憶ははっきりあるのだが、それから気づいたら時計は六時を指していて、その間に何をしていたか記憶がなかった――。とする。さてその一時間の記憶喪失の正体は何なのだろうかと考えると、そこから物語はひとりでに出来ていきそうであるが、さてその原因は次の日にあったとしよう。次の日学校にいた私は、あるとき気づいたら学校とは違う所にいた。そこはなんと家で、昨日記憶がプッツリとなくなっていた午後五時であった――。
 さあ面白いことになった。気づいたら違う時間にいた、これこそがタイムリープなのである。記憶喪失が提示され、さてそれはなんなのかと思っていると、実は未来からきた自分が行動している時間であったということだ。もちろん自分が意図してタイムリープするという設定にしてもおかしくはない。でも歴史非変化型なので、巻き込まれ型事件には相性は非常に良いものである。
 さてここまで見てきたタイムリープの例は、実はある小説のタイムリープの理論なのである。その小説とは「タイム・リープあしたはきのう 高畑京一郎著」というライトノベルに属する小説である。時間移動SF黎明期から見ればだいぶ最近の作品なのだが、タイムリープという一つのジャンルを確立したことは非常にその功績は大きいようだ。ストーリーも簡潔で面白いので是非読んで欲しい。この小説では上記の理論を複雑に絡めて物語が進んでいく。その見事に整合性のとれた手腕は私も見習いたいところでもある。

 以上の点を入れてさらにまとめると、タイムトラベルには肉体を伴う時間移動(タイムトラベル)と、精神のみの時間移動(タイムリープ)に大別でき、それぞれにおいて歴史変化型と歴史非変化型に分けることが出来る。歴史変化型にはパラレルワールド型と歴史上書き型、そして派生系を伴う歴史非変化型に細分出来ることは上にも書いた。タイムリープにおいてもこのパラレルワールド型や歴史上書き型が適応でき、その矛盾解消の幅は肉体を伴う時間移動よりも少なくできる。

 さて、ここまででタイムパラドックスの種類と矛盾解消の方法は提示出来たのだが、最後に一つだけ時間移動というジャンルの中の一つである「ループもの」について解説して終わりにしようと思う。
 ここまで来ればループものと聞いただけでなんとなくイメージは湧くと思うが、ループものというのは、ある短い、もしくは長い区間の時間が何度も繰り返される現象のことを言う。
 たとえば、A地点からB地点まで進んだ時間が、突然A地点に戻ってしまい、またB地点まで進むも、またまたA地点に戻ってしまい……というように、一定に区切られた時間が何度も、ないし永久にループしてしまうものである。
 これを扱った作品はあまり読んだことはないのだが、ループする原因というのはいろいろあり、これも各自が創作しても構わないのだろう。ただ、ループのたびに記憶が受け継がれるか、リセットしてしまうかは重要になってくる。
 世界がループされるたびに記憶がリセットされていたのでは、そのループから脱出することが出来ないため世界は永遠にループしたまま滅ぶのかもしれない。逆にループのたびに記憶が受け継がれる場合、このループ現象を止めるために主人公は奮闘出来るだろう。ただこのループというのは何度も同じ時間を繰り返す。記憶の受け継ぎを伴うループの場合、このループする人は同じ時間を何度も体験するため気がおかしくなってしまうかもしれない。気を保つにはループ回数は極限まで抑えたほうがいい。
 ちなみに、ループ現象はタイムリープ、精神・意識の時間移動であることはおわかりだろうか。肉体を伴ってしまうと、ループのたびにタイムトラベラーが増殖してしまって、整合性がつけられなくなってしまうのだから。
 ループものは今回の論題とは少し違うのでそこまで掘り下げないことにする。しかし、ループものも立派なタイムトラベルではあるので、多少は重要になってくる。ループものはタイムトラベルであるとすると、「ループする」ということは歴史が変化しない、つまり「結果必ずループする」わけであるから、歴史非変化型に属するものでもある。しかしループから脱出出来る場合は、歴史は変化出来るのだから、歴史変化型に分類出来るだろう。ループによって何をさせたいのかによってその分類は変わってくるジャンルでもあるのだ。

 さあこれで時間移動における矛盾・タイムパラドックスの解消法とその分類は一通り出来たと思う。私が一年近く考えて分類したものではあるが、これ以外の解消法があったり、「そこはおかしい」とか、「そもそも根底から間違っている」などと指摘される事もあるかも知れない。それは鷹揚に受け入れたいと思う。まだまだ考えていきたいから。
 しかし、これらの分類によって物語を分析することが出来たり、また時間移動を題材とした物語が書きたい場合は体系ごとに合うストーリーなんかは何となく分かってもらえたと思う。私もこの分類をしながら面白そうなストーリーをいくつか思いつくことが出来た。それを形にできるかは私の技量次第なのだが――。

 本当にこれで最後なのだが、最後に一つ時間移動をしたことによって起こる面白い現象についてちょこっと述べてから終わろうと思う。
 まず私は、物事には原因と結果があると何回か言ってきた。それは簡単なものでもいい。どんなことにも「こういう事があった。だからこうなった」という原因と結果が必ず対になっている。しかし時間移動の仕方によっては、その原因と結果の因果関係が崩れてしまうという話もした。今回の面白い現象というのはその逆で、原因と結果が密接になってしまい、円環構造になってしまう例である。例を挙げて詳しく見ていこう。
 今回の例は「マイナス・ゼロ 広瀬正著」でも提示されている、作中では「存在の環」と表現されている時間的円環構造の一つについてである。まず作中で問題となっていることを「私」の例で示したいと思う。
 たとえば新品のライターを持っていた私Bが今日から三日前に遡行したとする。三日前に着いた私Bは私Nとなって今日まで時間を過ごした。そしていま私Bが私Nの目の前でタイムトラベルをしようとしているときに、私Nが自分の持ってるライターと私Bの持ってるライターを交換してしまうとどうなるだろう。
 まず最初に私Bが持っていたライターというのは完全に新品のライターである。だが私Nが持っているライターというのは、三日分古いライターだ。使用上では大差はないが、私Bと私Nのライターは全くの別物と考える。すると、私Bが持っていた新品のライターは私Nが交換したことによって、私Nの手元に来た。だが、私Bがタイムトラベルするときに持って行ったライターは、私Nがタイムトラベルしてきたときに持っていたライターだ。