時間移動における矛盾の解消方法に関する考察
そして、私Bは家に入ることが出来て無事タイムトラベルし、私Nも無事にそのあとタイムトラベルをした。そして同じ時間に三人いた私たちは、無事に一人に戻ったのだ。
私Aはその様子をただ伺っていた――。
という流れになる。こちらのほうが歴史変化型よりもミステリーと相性が良いことがお分かりだろうか。つまり、何か事件に巻き込まれる場合はこの歴史非変化型のほうが、謎を解きつつ、ミッションを遂行し、最後のどんでん返しにインパクトが出て盛り上がるだろう。
ちなみに、この歴史非変化型には派生系がある。この歴史非変化型というのは、歴史が変化しない、つまり過去の時間的な流れはいじれないということである。この派生系はその部分を強くする、すなわち、過去には一切干渉出来ないとしてしまうことである。
さっきの例でいくと、私Nが隠れながら私Bから鍵を盗もうとするとき、私Nが能力を使っても私Bから鍵を盗むことが出来ないのである。その過去の時間では、鍵は絶対に私Bのポケットにあるため、私Nがどんなに手を尽くしても盗むことが出来ない、さらに言えば私N自身が私Bの前に飛び出して行くことすら出来ない、または飛び出しても私Bには認識されないのである。不思議な感じはするが、一切の干渉は出来ないとすることで、矛盾は起こらなくすることができるのだ。
ここまでをまとめる。最初にも書いたが上記までの矛盾解消法というのは、今回の例においての矛盾解消法であるという縛りはあるのだが、おおかたのタイムパラドックスはこれらの解消法のどれかに分類する事が出来る。
その解消法はまず歴史変化型と歴史非変化型に分けられ、歴史変化型には歴史は変化し、結果も変わるパラレルワールド型と歴史上書き型、それに対し結果は変わらないがその過程で整合性をつける歴史非変化型とその派生系と、さらに細分出来る。それぞれの特徴も併せて書いたが、時間移動を題材とする物語を書く場合、書きたいストーリーに併せて歴史変化型、歴史非変化型を選択すれば良い。
たとえば歴史変化型の場合、時間は容易に変化出来るため、自分の居場所を再確認するようなストーリーに合う。自分の知り合いや恋人と過ごした時間が、ある一点の過去を改変してしまったせいで無くなってしまう、もしくはその人と逢わない世界になってしまう中で主人公はどうするのか? といった感じだ。この題材の場合は歴史上書き型のほうが描きやすいだろう。
反対に歴史非変化型の例としては上にも書いたが、変わってしまった歴史の整合性をつけるために奔走する主人公、もしくは、変わらない結果を変えようと奔走する主人公を描くのに合う。結果は変わらないという点で、たとえば恋人のような大切な人が死んでしまうという歴史に立ち向かう主人公という話でも良いかもしれない。ただこの場合、この恋人は絶対に死んでしまうため、ハッピーエンドにはならない。そこは工夫してハッピーエンドへの抜け道を作ったり、逆にバッドエンドで終わらせたりといろいろ出来る。
この二つの型は合わせて使うことも出来る。しかし、二つの特徴をしっかりとおさえた上で合わせないと、タイムパラドックスは膨れるだけだ。そこはよく考えて使って欲しい。
余談だが、あの有名なSF映画「バック・トゥーザ・フューチャー」は歴史変化型の歴史上書き型に分類することが出来る。主人公が自分の生まれる前の、さらに両親が結ばれる前に時間移動することによって自分の存在にまで影響を与える事態になってしまうのだが、この映画は親殺しのパラドックスの解答の一つを描いているように思う。映画的脚色が強いのだが、両親が結ばれない事によって「自分自身が透明化して消えていく」という、過去には干渉するけど、干渉した上で自分の存在は消えるという解答を示したと思う。また、この映画ではタイムトラベルする前とあとでは家族の性格が変わっているが、これは両親の出会い方が変わったことによるバタフライ効果が原因だろう。
タイムパラドックスの解消法が分かると、こういう風に作品の分析が出来て非常に面白い。
さて、実はここまでの話は、時間移動の方法の一つにおける矛盾の解消法でしかない。その時間移動の方法というのはどのように時間移動するかの技術的な話ではなく、時間移動をどうとらえるのかという問題である。
私が時間移動して過去に移動した際、私の肉体を構成する物質そのものを私という意識と伴って過去に遡行している。つまり私が過去に遡行することによって過去の私と、遡行してきた私の二人の私が存在することになる。
しかし時間移動にはほかの考え方もある。それは、過去に遡行する際、その過去の私の身体の中に遡行する。つまり意識、精神の時間移動だ。これは私という物質を伴わない時間遡行であるため、そのために起こる余計なタイムパラドックスは起こらない。これを「タイムリープ」と言う。タイムトラベルと違い、精神的な時間移動である。
往々にしてタイムトラベルというのは、私が二人になってしまう方法のほうが盛んに語られてきた。しかしこの方法にはいろいろと問題があり、私も詳しいことは分からないのだが、世界を構成する物質には限りがあり一定であるというような法則があるらしい。これによって、私が過去に移動することで私を構成する物質分だけその過去が重くなってしまうらしいのだ。だがこのタイムリープは精神のみの時間移動であるため、物質の増減の矛盾を気にすることがなくなる。
さらにだが、これはテレポートのような瞬間移動のことでも言えるのだが、私が過去に移動してその空間に現れるとき、その空間の空気を押し出して私が現れるため、突風が起こるらしい。もちろん私が消えた現代でも、その消えた体積分の空間に空気が一気に流れるため、これも突風が起こる現象が発生する。
そしてさらに大きく見ると、地球というのは常に自転し、太陽の周りを公転している。もし私が今現在から三日前に遡行したとすると、そのまま宇宙空間に放り出されてしまうらしい。納得いかないが、学問的にはそうなってしまうということだ。
だが今回は学問的な話は横に置いておいて、自由に考えを進めていきたい。そこでここで出てきたタイムリープについて書きたいと思う。タイムリープは精神の時間移動だ。「私」の例で考えると、私は家まで歩き、家に到着して中に入りタイムマシンを起動して過去に戻る。ここで肉体を伴う時間移動の場合、私は時間移動をした場所、つまりキッチンに現れている。しかしタイムリープだと、過去の私――私Bの中に現れる。このとき元の私Bの意識はどこかに飛んでしまっている。未来から来た私によって意識が追い出されてしまったのだ。その追い出された意識がどこに行ってしまったのかはそれぞれが好きに創作しても良い。追い出された意識は未来の自分の身体に宿っているのかも知れないし、ただ消滅してしまったのかも知れない――。
タイムリープも歴史変化型、歴史非変化型の二つに適応できるが、タイムトラベルではなくタイムリープの場合に起こる特異な現象が一つある。これは歴史非変化型で顕著に表れるのだが、それは「記憶喪失」である。詳しく見ていこう。
作品名:時間移動における矛盾の解消方法に関する考察 作家名:ともひろ