覇剣~裏柳生の太刀~第二章
老人たちが会議室で話し合っていた、全日本剣道連盟の事務所である。
港区六本木、六本木ヒルズの前の通りを挟んで直ぐのビルにあった。
十階建てのビルの7階。
老人たちは背広が半分、着物が半分といったところか、3人が会議室で話し合っていた。
「報道陣が詰め掛けますな」
紺の着物を着た老人が話を切り出す。
全日本剣道連盟会長、千葉勝政である。
「今や剣道は世界の政(まつりごと)ですからな、いや、正確には武士道を通して」
濃いグレーの背広を着た男が苦笑いをしながら目の前の熱いお茶を一口、口に運んだ。
日本古武道協会理事、大山(おおやま)一(はじめ)である。
「若い者に任せましょう、年寄りは余り政(まつりごと)に口出ししてはなりませんし」
大山はそう言い、ドア側の白い着物を着た老人に賛同を得るかのように目を細めた。
「龍剣のお孫さんは、どうしてます?」
大山が白い着物の老人にまた話しかける。
白い着物の老人、大東亜武徳会理事、柳生(やぎゅう)清(せい)十郎(じゅうろう)である。
「孫の光と一緒ですが」
「光も立派な青年ですな、お年は幾つでしたかな」
「十八になったと」
清十郎は窓の風景を見ながら気のない返事をした。
清十郎は考えていた、誰もが考えることである、誰もが噂することである。
先ほど画像付ネットホンで話した剣剣士のことである。
光と同じ十八だ、剣を極めるのに歳は関係があるのか?そう聞かれれば、あると答えていた。
確かに人それぞれには天性の才能はある。
宮本武蔵は十三のとき、始めて真剣勝負を新当流有馬喜兵衛とおこない打ち勝ったと伝えられる。
今から四百年以上も前の話だ。
ほんの子供ではないか、清十郎が剣士を始めて見た(画像だが)時の印象だ。
人は見かけで判断してはならない。
自分が道場生によく言っている言葉が思い出された。
「どうでした、感想は?」
千葉勝政にまるで胸のうちを見透かされたように質問され、言葉に詰まる。
「やはり騒ぐでしょうな、世間が、私も同じ思いですよ、あの天才剣士『早乙女強』を打ち負かしたのが真実なのかどうか?」
千葉勝政も清十郎と同じ思いだった、いや、同じ以上かもしれない。
千葉勝政は強とは二度、試合を行い、二度とも負けたのだから。
「いつからこうなったんですかね」
大山がそう口出しする。
何時からこうなったのか?
何がいつからこうなったのか?
柳生清十郎こと白龍は目を細めて六本木の街並みを見つめていた。
作品名:覇剣~裏柳生の太刀~第二章 作家名:如月ナツ