Cut & Paste
「クローン、つまり遺伝子が同じ生物が存在しても、その二つが生きた時間が違えば別のものとなり、例え同じ時間を生きたとしてもその二つがシンクロし続けて生きることは有り得ない。何故ならば生物とは一己のものであり、それぞれの感情がある。続けて言うならば、誰も一己の生物の心情を百パーセント知ることができない。特に人間に限って言えば、己自信の心情すら確実に知っているとは言えないこともある」
三年前の七月十日にオオノが僕に語った理論の一つを、僕はそのまま述べた。オオノの顔が苦笑へと崩れる。
「俺が言ったことまんまだけど、分かってるようだから良しとしよう」
シャキシャキと僕の手はエラーを起こすことなくハサミを動かし、オオノの髪を平均二センチずつ切る。時折混じる白い髪も、ぱらぱらと落ちていく。それは短い時間と長い年月を表しているのだと聞いた。
人はいずれ機能を停止する。つまり絶対的な死を避ける術なく、生きているのだと言う。この髪の色の変化は、彼の顔や手に刻まれている皺は、死への道標でもあるのだ。だからなのかもしれない。オオノは矛盾をいつも語った。『クローンでは足りない、己自身を作らなくては』と。
「だから俺自身を作ることは不可能なんだ」
オオノが切り出した話のタイミングに僕はそうですか、と答える。彼の話はいつもこの言葉で終わりを告げる。そして不可能だと言葉にしつつ、彼はひたすら己自身を作るための研究をしているのだと、僕に話すのだ。一度オオノにその矛盾を指摘した時、彼は平然とその矛盾を肯定し、否定した。とっておきがあるのだ、と。
そのとっておきをオオノは口にした。
「だがそれはコピーアンドペーストしようとするからだ」
初めてオオノのクローン研究に対する話が“不可能である”という結論から先に進んだことに僕は少し手を止めた。ハサミがキラキラと光り、オオノの髪が不揃いのままになる。
不思議なことにその二つが僕のデータに焼きついた。必要のない情報である筈なのに、強く重くデータ化したそれが、計算式を超えてハードへと移っていく。その一瞬の流れを僕は感じていた。
オオノには僕の手が止まった事に不審を抱いた様子はなかった。ただ好機とばかりにつらつらと語り出す。傾いた鏡の中にオオノの顔が、そしてその後ろにいる僕の首だけが映っている。【OHCR-BDAA-H-2411-8-001】という、製造記号が僕を人と区別していた。
「お前に俺の記憶、感情、そういう人間にとって必要なものをカット&ペーストする」
「はい」
「そうすることでお前の意識の底に、オオノという人間が貼り付けられる。お前はロボットでありながら人間になれるんだ」
そういうオオノの声は嬉しそうだったが、どこか曇ったようなその表情に少しだけ首を傾げると、オオノは鏡の向こうで目元をいなめた。声に棘を含めてオオノは言う。
「分からないか?」
その声と表情は、僕の中のデータにある。不快感と疑念だ。だけど嬉しさを示す声の音と、曇った表情を同時に表すというのは、どちらが本当なのか分からない。僕はまたはさみを動かしながら、表情を「不思議に思う」という物にした。
「いいえ、理解しました。しかしオオノの感情がまた新しいものだと視認しました。その感情はどういうものなのですか?」
オオノの襟足が短くなる。次に右耳の上。左耳の上を切り終え、オオノの斜め前へと動いてその前髪を少しだけ切る。オオノは何も応えない。僕の顔を見てじっとしていた。
切った髪を払い、髪の長さを確認してタオルをどけてオオノの新しい服を用意する。
椅子に座ったままのオオノに着替えを促すと、立ち上がったオオノは僕に背を向けてシャツを脱いだ。
「お前にはまだ分からないさ、説明しても伝わらないことがあるっていうのは分かるだろう?」
そういうオオノの顔がどうなっているのか、僕の中のデータはいくつかの候補を確率順にあげる。真面目な科学者としての顔、うやむやにしたいぶっきらぼうな顔、僕の髪を撫でた時のような人間の感情溢れる顔。だけどオオノの背中を見つめて直立する僕にその候補は何の答えにもならない。
振り返ったオオノは白く柔らかなシャツのボタンを留めて、表情がなくなりそうにも思える儚い笑顔で僕に言った。
「笑ってくれないか」
オオノの命令とあらば僕はどんな表情でも作れる。少し頬に力を入れ、唇を引き上げる。目を細めて、肩の力を抜き、柔らかい雰囲気というものを作る。
だけど僕の笑顔に、オオノは曇った顔で、今度は哀しそうな声で告げた。
「お前に早く俺の笑顔をあげられるといいなぁ」
そういうオオノにどういう答えを返せば良いか分からず、僕はただ笑ったままそこにいた。窓の外、薄く赤みがかりはじめた空が僕らに気付いていた。
***
「どうしてそんな顔をするんだい?」
僕の頬の触覚センサーがオオノの細くてかさかさの指と掌を受け止めた。
どこか楽しそうにオオノは聞く。ベッド傍の椅子はこの家の中で一番上等なものだけど、背もたれはオオノや僕を何度も受け止めてきたせいでくすんだ色になり、柔らかかったクッションも萎んでしまっている。その椅子に腰掛けている僕は、変わらない姿だ。ただ、命令されたわけでもないのに顔を歪めているだけだ。
「泣きたいのかい?」
「オオノ、僕は泣けません。ロボットに泣く機能は必要ないのですから」
だけど涙があればよかったのに、と僕は言葉を続けそうになった。皺だらけになり、白い髭と髪。人間年齢的にはまだ初老前だというのに、すでに老人となったオオノの優しい目を見ていては、いつまたその言葉が飛び出そうとするか分からず僕は俯いた。
複雑化している僕の中が悲鳴を上げたいと懇願している。涙がないのならばせめて、と。それを押し殺して僕は記憶の中のオオノと自分を、気付かれないように憎む。どうしてこんなことになったのかと悔やむ。
外では大風が吹いていた。その音階があまりにも今の僕には不快で、夜色をした窓の外を睨んだ。春の夜風は夢にまどろもうとする人を呼び止めるように窓の外へ誘っている。ベッドから身体を起こしていたオオノも、そんな暗い窓の外を眺めようとしていた。
***
僕が造られ、十二年。その時間は止まる様子もなく、淡々と過ぎた。世界は時に大きな恐慌や戦争を経験し、新たな技術や考えを生み出した。それでも僕とオオノのいる村に人は立ち入らず、緑が揺らぎ、風が吹き、空は何処にも逃げなかった。自然は変わりないように見えて形を変えながら生き、自然は僕らの家を着実に飲み込みつつあった。手入れをしても少しずつ傷み、自然に染まっていく家の中、僕たちは一番大きな部屋にいた。絶対に緑の手が伸びることのない無機物の積み重なった部屋。そこは僕が造られた部屋でもある。オオノ曰く「実験室」だ。
そこで行われた念願の実験は成功した。
オオノが長年かけて造り上げた『C&P』装置はオールグリーン点灯し、正常終了を音声で案内していた。目覚めた僕は、白いその装置から伸びるコードを手順どおりに外した。日常生活の中では使うことのなかった首周りと頭にある無数のコネクターはこの為だったのだと、記憶しながら。
作品名:Cut & Paste 作家名:ニイチ