神様ソウル
カチッ
「ん?」
カチッ、カチッ
「あれ、出ない……?」
女は数歩後ずさり手元の拳銃を調べ始めた。
「弾切れのはずはないんだけどなー……詰まっちゃった?」
完全に無防備な状態だ。僕はその隙を突いて動き出した。
女だからと言って手加減している場合ではない。一歩大きく前に踏み込み、残った後ろ足を彼女の腹部めがけて思い切り振りぬいた。
「!?」
女は蹴りが命中する直前に僕の動きに気付いたが、回避には間に合わず、僕の蹴りは彼女のわき腹に直撃した。
「くぅっ!」
彼女は痛みに顔を歪め、上半身を二つに折りわき腹を押さえた。その手からポロリと拳銃がこぼれ落ちる。
僕はそれを拾い上げ、彼女に突きつける。彼女はぴたりと動きを止めた。
「んー……油断しちゃったか」
「お前……一体なんなんだよ」
「この戦況を覆すのは難しいわね……これが徳の差か」
「おい、早く説明しろ」
「えーどうしても?」
「当たり前だろ!見ろこの状況!」
僕は握り締めた拳銃を彼女の顔に近づけた。
「この状況って。その銃弾でなくなっちゃったじゃない。君もさっき見たでしょ?」
「む」
「でも、こうなっちゃった以上は話さないと収集つかないか」
彼女は僕の手に握られた銃など全く気に留めず優雅に歩き出し、柵に寄りかかり腰を下ろした。彼女との距離に注意を払いながら僕も同じように座り込んだ。
「まずは自己紹介ね。私の名前はテミス。テミスっていいます」
「テミス……外国人?」
「んーちょっと違うかな」
「というと?」
「実を言うと私はこの世界の人間じゃないの。日本人でも他のどの国でもない、別の世界から来たの」
テミスは大真面目な顔で戦隊ヒーローに憧れる幼稚園児並みに突拍子のない自己紹介を始めた。
「は、はぁ……」
「君達が言うところの天国という位置づけで差し支えないわ。それでね、私はこの世界や天国を行き来している『魂』……体をハードウェアとするとソフトウェアに相当するものね。それを管理する役職に就いているんだけど」
テミスは目を細めて空を見上げ、大きなため息をついた。
「私の上司がね、もう仕事はいやだーって行ってこっちの世界に逃げ込んじゃったの」
「逃げ込んだ……」
「そ。こっちの世界で生まれる順番待ちをしていた魂の列にこっそり割りこんでね。この世界の住人として生まれちゃったってわけ」
「ふむ……」
「私を含む部下達は彼の抜けた穴を埋めるために今まで以上にハードに仕事に取り組んだわ。そして十七年の月日が過ぎたわけだけど、一向に彼がこっちへ戻ってくる気配がない」
徐々にテミスの言葉に力が入っていくのを僕は感じた。
「それより前からちょくちょく彼の近況は耳に入っていたのね。幼稚園の卒園記念に家族で北海道に行きました、軽井沢へ林間学校へ行きました、修学旅行で京都や奈良の仏閣を回りました……」
テミスは床に手を付き、僕の方にずいっと顔を近づけた。
「ぶらぶら遊んでないでいい加減帰ってきてください!」
「いや、僕に言われても……」
「いーえ!君ですよ!き、み!」
「え?」
「今のは君の話なんだよ!課長!」
「課長って……」
「まーとにかくね、人間の寿命は約八十年?とか聞いたけどもうそんなに待つことはできません。もう充分でしょ、二十年近く休んだんだから!ちゃっちゃとこっちの人生を終わらせて帰ってきてください!」
「あの、僕はその話まったく記憶に無いんだけど」
「そりゃ当然です。君が今持っている記憶は脳に記憶されたものであって、魂が記憶しているものとは全くの別物なの。魂には今までの全ての人生が記憶されていますがそれがハード、体の方に反映されることはないんです」
「だから、こうやって命を奪われるってのはすごい理不尽に感じるんだけど」
「それはわかります。でもこっちも限界なんです。課長が居なくなってから十七年間、私はずーーっと我慢してきました!理不尽なんかじゃありません!ほらこうやって、上層部に掛け合って許可証も貰って来たんですから!」
テミスはブレザーのポケットから小さく折りたたまれた紙を取り出し、開いて僕に手渡してきた。
「読めない……」
紙にはミミズのようなぐにゃぐにゃした線が何本も無造作に描かれていた。今まで見たどの国の言語とも違うもので、僕には理解することができなかった。
「あーそっか。えっとね、ここにはこう書いてあります。『緊急時における第三世界での霊魂回収許可証』要するに、この世界で特定の人物の命を奪う権限を与えますよーってことね」
「…………」
突拍子がなくて信憑性に欠ける話だが、最低でも彼女が僕の命を奪う目的でここに呼んだということはどうやら本当のようだ。モデルガンなのか本物なのか僕に判断は付かないが、あの威力の弾が命中すれば間違いなく命に関わるレベルのダメージを受けるだろう。
「そんな怖い顔しないで。結局失敗しちゃったんだし。やっぱり私の徳じゃ課長の徳には敵わなかった」
「徳……?」
「んー簡単に言うとその魂の運命の強さみたいなものね。さっき開いているはずの扉が突然開かなくかったのは私の徳。私の放った弾が当たらず、偶然銃に不具合が起こったのは君の徳。結果君を殺せなかったのは私の徳を君の徳が上回ったから。そういうことよ」
テミスはスカートをはたきながら立ち上がった。
「まぁ今日は失敗ってことで退散しよっかな」
扉まで早足で歩いていく。ノブに手をかけると扉は簡単に開いた。
「それはあげる。縁があったらまた会いましょ」
僕の持つ銃を指差してそう言い、彼女は去っていった。
すぐさま彼女の後を追って帰るのはなんとなく抵抗を感じたので、少し時間を置いて僕は屋上を出た。テミスの拳銃はカバンに入れ、家に向かった。
翌朝カバンの中を見ると拳銃は跡形も無く消えてなくなっていた。