ラスト・スマイル~徴税吏員 大沢陽一のルーツ
過奈は「財産はない!だから催告しかないじゃないか」と反論する。しかし、財産が無いとはどうしても思えなかった。預金一つにしても入出金履歴を探れば、どの日に差押えられるかがわかるし、彼らは催告の裏で、本来なすべき財産調査や滞納処分を避けていたのではないか。
新人職員は人事からよくレポートを書かされる。しかし、そんな重い気分で大沢から明るい言葉は出てこない。総務課長から懸念する電話が大鹿にかかるが大鹿は軽く「ま、これからですから」とあしらってTELを切った。
大沢と同郷の局次長からは「1年目でそんなにネガティブになるな」と励まされた。しかし、今の人員配置を見る限り、どうしてもネガティブにならざるを得ない。
大沢は財産が見つかり次第、片っ端に差押を執行した。しかし、大鹿のコメントは「残りの残額どう回収するのか?滞納者はやる気を失くすのではないか」ということであった。納税意思の高揚など徴税吏員の職責ではない。他に財産を見つけて差押えるしかなかった。
更に大鹿は大沢を別室に呼び出し「お前は滞納を減らそうという気が感じられない!恥をかくのは局長・次長だ。時間的には相当余裕があるではないか。なぜそれを滞納整理に充てないのか!」と罵倒した。
処分をすれば腰砕けになり、処分をしないと職務怠慢と叱責される。大沢には何が正しいのかすっかりわからなかった。
持永肇、大沢とは同い年の同僚だ。しかし、彼には浪人経験が無いので、入庁年数で言えば先輩に当たる。大沢に対しいろいろアドバイスをするが、大沢にはピントがズレているように思われた。「民間の営業なら債権集めから苦労しなければならないが、うちは既に債権がある。それを考えれば楽じゃないか」と言うが、彼は賦課処分と言うのを知らないようだった。徴収の前には賦課という処分がある。それを同じ課の隣のシマにある賦課係が頑張って賦課しているのだ。それに税金は契約による支払でもない。要件に合えば一方的に賦課され、一方的に徴収されるものだ。持永は法令もよく調べ、考える姿勢はあるが、大沢にはどれもピントがズレた見解にしか見えなかった。
大沢には味方がいないように思われた。滞納者はもちろん敵だが、同僚も敵。
大沢は大きな孤立感を覚えた。
そんな中、大沢の体調に異変が起きる。朝、何も食べられない。食べようとすれば強い吐き気を覚える。また、これまでの不眠を酒でごまかしてきたツケも回ってきて、眠ってもよく寝た気がしない。内科にかかるが特に異常はないという。「じゃ、精神的なものか」大沢生涯初めて、精神科の門を叩いた。
医師の診断は「うつ」、通院しながら治療する方法もあったが、8時間勤め上げることに自身がなかった。診断書を書いてもらい、3ヶ月休職することに決めた。
大沢はそれを添えて、西牟田に提出した。西牟田は焦る。過奈は自分に至らなかったところがあったのかと自己嫌悪に陥る。大鹿は私傷病休暇を認めつつ、その原因が自分にもあることにまったく気付かなかった。
こうして、大沢は職場を去った。誰も心配そうな目で見つめるが、そこまで気付かなかった。1年目にして満足に勤め上げられないことに悔いてるのは、他の誰でもなく、大沢だった。
2「公平・公正~法の番人に存在意義を見つけて」
3月、大沢が復職した。休職前とは明らかに扱いが違っていた。まるで腫れ物に触るような感覚で皆大沢に接する。誰も「徴収頑張れ」とは言わない。タブーということで申し合わせてあるようだった。
そのような徴収係だが、激震が走っていた。3年目なので順当に西牟田、過奈、持永は異動するが、西牟田の後任の係長が狩野洋治という者のようなのだ。この狩野、徴収の世界では凄腕の徴収実績で有名だが、手法が強硬すぎていろいろ逸話があるらしい。同僚の担当案件を勝手に滞納処分に持ち込み、当時の上司に相当怒られたなどの逸話が沢山あり、皆戦々恐々として構えていた。
しかし大沢の受け止め方は冷静だった。実際会ってもいない人間に対してどうこう偏見を持つべきではない。実際会ってないからどうにも判断できないのだ。過奈の「これから大変になるよ」の一言にも、そのように返した。
4月1日、狩野が赴任する。確かに若干強面の感はある。ただ、噂されたほどの恐ろしさは感じられない。最初だからなのか、低姿勢で、口調はソフトだった。
「我々には裁量権は一切無い」同じく可奈の後任として赴任した大原に狩野はそう語る。それは情による加減を一切排除しなければならないという姿勢の表れだった。
ほどなくして、係でミーティングが行われる。確かに強硬手段を前面に打ち出している狩野の方針だが、その前に何を調べれば良いか、なにを押さえるべきか。客観的なデータから論理的に、的確に判断する。
大沢は、この係長の意見は正論ではないかと思うようになった。法令を駆使して財産調査を行い、滞納者の資産状況を丸裸にする。それから処分の方法を考えていく。滞納者の「金がない」という言い分を鵜呑みにしない。全ては客観的データで滞納整理の方針を決めていく。
また、大原には「滞納者の家より銀行(預金差押)に行け」という。そちらのほうがお金が沢山あるじゃないかというのが理由のようだ。
西牟田の頃は、差押に行くなら事前に顛末を見せ、それでOKが出なかったら差押には行けなかった。後日のトラブル防止のためである。
しかし、狩野は「差押は積極的にやって下さい。それが我々の職責です」といい、事前検閲は行わなかった。
狩野の催告方法は他と比べても異質だった。とにかく強硬な口調で納税を迫り、ダメならば「じゃ、滞納処分をします」といってTELを切るものだった。滞納者を追い詰めて、交渉のテーブルに引っ張り出すという手法である。
大沢は、昔から燻っていた滞納処分至上主義をここでやろうと思った。財産のある滞納者からは次々に差押を執行し、滞納を0にしてしまう。その決裁文書を見て、狩野は絶賛した。1回の差押で滞納を0にできることはあまりないというのだ。滞納者からの反発の電話もあるが、あまり打ち合わない。「今後も滞納するなら、今度はもっと早く差押を入れます!」一方的にTELを切った。狩野は「大沢君、それでいいですよ」とお墨付きをもらった。
異動による入れ替えで税務初任者が多い中、若干経験のある大沢は斬り込み隊長として積極的に処分に臨んだ。課長は相変わらず大鹿だったが、狩野の迫力と整然とした理屈を前に、昔のように口を出すことができなかった。
催告主義は「なあなあ」の関係を生む。納期限などいざ知らずで、税務職員が来たときに仕方なく納税して返すものだ。中には臨戸徴収(集金)に出向かないと払わない者もいた。狩野はそれに対しても異例の指示をした。
「集金に行ってはいけない。払う意思があるというなら納付書を送り、近所の金融機関や郵便局で払うようにさせること。納税は納税者が自ら行うべきものであって、こちらから集金して集めるものではない。」
作品名:ラスト・スマイル~徴税吏員 大沢陽一のルーツ 作家名:虚業日記