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舞うが如く 第七章 10~13

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 その日は、一人で部屋で休んでいましたが、
夜になると、もう足がひょろひょろとしたまま、
ついには歩くことすらままにならない状態に陥ってしまいます。
翌朝、製糸場内の病院へ行くと診察の結果、
即座に「脚気」といわれてしまいます。


 明治3年と、その翌年からこの「脚気」が、
巷で大流行をしました。
東京などの都市部や、陸軍の鎮台所在地、港町などで流行をして、
上層階級よりも中・下層階級で、より多く
この病気が発生をしました。
この当時には、死亡率がきわめて高い
病気のひとつでした。




 脚気の原因が、まだ未解明だった時代です。
脚気の流行にはさらに拍車がかかり、政府を上げて、
その原因解明と対策が急がれました。
脚気の原因がわからなかった理由としては、
いろいろな症状があるうえに、病気の形が変わりやすいことや、
子供や高齢者など体力の弱い者が冒されずに
元気そうな若者が冒されることなどが挙げられました。



 また、良い食物をとっている者のほうが冒されており、
粗食をとっている者が冒されないことなどの、
一見矛盾した特徴もありました。
またこの当時の西洋医学には、脚気という定義はありません。
当時の日本の漢方医学にも、
人の栄養に不可欠な微量栄養素があるという
知識は、まったく見当たらない状態でした。




 脚気は、ビタミンB1欠乏症と言う病気です。
ビタミンB1の欠乏によって、
心不全と末梢神経の障害をひきおこすという疾患です。
心不全によって下肢がむくみ、神経障害によって
下肢のしびれが起きることから
脚気(かっけ)という名前で呼ばれました。
心臓機能の低下や不全(衝心(しょうしん))を併発する事から、
脚気衝心などと呼ばれることもありました。



 今日では、ほとんどありませんが白米を常食として、
ほとんど副食物を取らなかった時代では、
こうした原因がまったく不明なまま、
死者が多くでるという病気のひとつでした。


 琴が病院の診察室で、
寄宿舎の取締役と善後策を協議しています。
帰国させるにしても、民子がまったく身動きができない
今の状態では無理と思われ、
当分は静観せざるをえないとして、その結論を下します。
お昼の休憩に入ったとたんに、
同室で最年少の咲が、診察室へ飛んできました。


 「これよりすぐに、
 民子さんを連れて帰国をしたいと思います。
 脚気なれば、郷里へと戻れば薬を飲まずとも全快すると、
 国もとでも申しておりまする。
 なにとぞ、お願いを申しあげます。」



 部屋長も後から現れて、全員で相談しているところへ、
脚気の診断を下した西洋医がやって来ました。
懸命に食い下がる咲を、片言の日本語で西洋医がなだめ続けました。
命に別条は有らずとの西洋医の説明に、
ようやく一同はあらためてほっとします。

しかし当の民子は、自力では身動き一つでき無い状態のままです。