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舞うが如く 第七章 10~13

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舞うが如く 第七章
(13)朔太郎と広瀬川


 群馬県・前橋市の中心部を流れる
「広瀬川」が建設されたのは応永年間(室町時代)から
天文の昔といわれています。


 当時の利根川は、
赤城山のすそ野と前橋台地の間、約10数kmを乱流していましたが、
応永年間と天文8年、12年にそれぞれ大氾濫を起こしました。
特に天文12年の大氾濫では、完全に従来からの流路を変えてしまいました。



 出現した広漠たる氾濫原野を、
領主の管理下で、大規模に開拓することになりました。
ここを耕作地に変えるためにかんがい用水として、
旧河道を利用して造られたのが、現在市内を流れている広瀬川です。


 古くは農業用水のほか、
前橋城や城下の生活水や防火用としても使われました。
さらに正保2年には、利根川と結んで舟運も開始されるようにもなりました。
前橋市街地にはいくつもの河岸が開設されて、
地域経済や文化の要衝になりました。


 また、時代の変遷とともに、
水車や製糸、発電等の工業用水・水道・養魚等などにも幅広く利用され、
この地域に住む人たちにとっては、豊かさと安らぎを与えてきました。
絶え間のない豊富な水の流れに沿って、心地よい風が、
河畔に並んだ柳を今日も揺らしていきます。





「広瀬川白く流れたり 時さればみな幻想は消えゆかん・・」




 我が国における口語体自由詩を確立した、
詩人・萩原朔太郎は、前橋市内を流れる広瀬川の様子を
こんな風に詠みました。


 「白く流れる」は、製糸工場から流れ出した繭を煮た後に出た、
白く濁ったお湯のことをさしています。
蒸気用のたくさんの水車と共に、帯のように白く流れる繭の濁り湯は、
当時の県都・前橋が繁栄してきたことの証拠です。



 水利に恵まれたこの広瀬川沿いに
あたらしい製糸工場の建設が始まりました。
琴たちが富岡に派遣されてから、それはおよそ半年後のことです。
蒸気機関とボイラーの研修のために、
前橋からは2名の工男が派遣されてきました。
いずれも、もとは刀鍛冶と鉄砲の職人です。


 初めてみる異国の技術に感心をしながらも、
フランス人の技術技師を捕まえては、身ぶり手振りで質問を繰り返します。
埒の明かない問答ぶりに、見かねた琴が通訳に入りました。
貫前神社の一件以来、親しくなったフランスの女性教師たちから
手ほどきを受け、片言ぐらいのフランス話を、
こなせるようになっていたためです。
さすがに、専門用語は解りませんが、
意図することくらいは通じたようです。



 生糸工場で使う、糸繰り用の洋式器械などは
外国から輸入をされましたが、
蒸気機関やボイラーなどの稼働設備や、パイプや配管などは、
多くが自前で加工するのがこの頃の常でした。
琴に感謝しつつ、あと半年ほどで前橋に民間第一号の
製糸工場を立ち上げる予定だと
この二人が、意気込み高い言葉を琴に残して
やがて帰路についていきました。