天井桟敷で逢いましょう 第二話 月追演芸場の一日
「ねーねー、ちょっといいカ?」
と、まさに天から響き渡る声。
屈託のない暢気そうな声と少しだけ違和感のあるイントネーション。
見上げると上半身を桟敷席から乗り出しているオリガがいる。どうやら、上の事実上、居住区となっている天井裏と、一応存在している二階席を掃除していたらしい。
「ぃョっ」
俺と葛川さんが自分に目を向けたのを確認したオリガは、ごく当たり前のように、二階席の欄干を飛び越えて一階席に音もなく舞い降りた。あまりに簡単に降りてくれたので、意外に低いのかな? と錯覚させるほどの軽やかな着地だった。
しかし、4〜5メートルはあるよな……?
「あんまり静かだったから、てっきり誰もイなくなっちゃったと思っちゃったヨ」
一瞬下着と勘違いしてしまった白いタンクトップが胸を強調しながら、半照明で薄暗い客席を豪奢な金髪で照らすようにこちらに近づきながら彼女はぼやく。
「う……、ごめん」
本当に済まなそうに葛川さんが謝ってしまう。
「あー、ライムは悪くないヨ。男苦手なんだシ、仕方ない。どーやら、そこのサオリの親戚は、かなり仏頂面みたいね」
「……それは無愛想という意味か?」
誘われるように微妙な違いに訂正を入れる俺。
「それそれ! でも、ライムが無口なのはわかるけど、ずーっと何もしゃべらないし。でも昨日はけっこうしゃべっていたよネ? だから、ライムのことが嫌いなんじゃないかと、心配してた、いや、心配してる」
ズバっと単刀直入なオリガの指摘に、ハッとこっちを向くのは葛川さん。
これは説明しておかなくちゃならない事柄だと、葛川さんの表情を見て悟る。
「いや、そうじゃない。元々、愛想はよくないのは確かだし、昨日はいろいろ説明が必要だったからで、むしろこっちが地に近いんだ。決して葛川さんが嫌いだとか、気に入らないとかそういうんじゃない」
「フーン、でも、無口すぎー」
ごもっともと言うしかない。しかし、その理由は少し恥ずかしいかもしれない。
しかし言われたほうも気恥ずかしいものらしく、葛川さんは俯いて顔を隠し気味だ。
「い、いや、あまりにも葛川さんがよく気がついてくれるもんで、つい言葉いらずの感じが心地良すぎたというのもある」
俺のような世間知らずで人付き合いの少ない人間にとって、人をほめるのはそれだけでなんとなく気恥ずかしいものらしかった。
「そうか、ナらいいんだけど……」
なんとか俺の説明に納得していただけたみたいだ。
「確かにライムは便利だもんネー。気に入るのも無理はないけど、でもアげないんだから」
とオリガは俯き加減の葛川さんの頭をふくよかな胸に抱き締めて、こっちにアカンベーをした。
「ちょ、ちょっと、オリガ……」
「んーふふふー。あーライムはかわいいなぁ」
胸の中でもがく葛川さんがさも愛おしそうに、その頭を撫でるオリガ。
その光景に、なんとなく良い物を見たという気分になった。
「おはようございまーす」
「おはようー」
なにはともあれ三人で客席の掃除を一通り終えたころ、入場口から誰か来たようだ。誰かと樟里さんの挨拶が耳に入る。
「あ、ツカサきた」
それに反応したのはオリガだった。彼女は滑るように入場口に出て訪問者をこっちに招く。
「おーい、ツカサー、こっちこっちー」
「なに? こっちは忙しいんだけど」
と言いつつ、ツカツカという擬音が目に見えるように大股の堂々とした早足でこちらにやってくるのは、黒縁眼鏡にオーバーオールとチェックのシャツという格好の女の子だった。
「これ見てー、新入り来たカら紹介するね。ほら、アツシ、挨拶は?」
その女の子は背丈は交差か先生より少し高いぐらいぐらいなので小柄なほうだ。不審げに俺を見上げながら、俺の事を値踏みするように観察してくれる。
「おはようございます」
と俺は一応会釈するが、たぶんニーズに合致した行為ではなかったろう。
「そうじゃないの、自己紹介しなサい」
「ああ、そういうことか。大崎篤、たぶんここの居候する事になっている」
俺の自己紹介を聞いているのか聞いていないのか、そのままスルーしてじっくりと観察を続けてから、彼女は応える。
「なるほど、また樟里さんがどっかから拾ってきたわけ?」
「んー、ちょっと違うケど、しばらく、ここに居座るみたいだかラ、よろしくシてあげて」
「ま、仕事の邪魔にならないなら、私はそれでいいや。私は見城つかさ、この映写と音響の技師をやっている。よろしく」
と彼女は俺に手を差し出した。
それが握手を求めている事に気付くまで三瞬ばかりかかったのは、当初の人を人間として認識していないような態度によるものなので、俺が鈍かったというわけではないと思う。
それに気付いて、その手を握り返すと。ニッと彼女は俺に笑みを返してきた。
「あ、篤さん。さっそくですが、つかささんのお手伝いしてもらえますか? フィルムを運び込んでほしいのですけど」
その様子を見ていたらしい樟里さんがすかさず、俺に用を言いつける。条件反射的にそれに従い入場口から外に出る。すると、外には彼女が乗ってきたらしいライトバンが止まっていた。
「あー、これこれ。これを映写室まで持って行ってくれる?」
俺に追いつくようにして、ライトバンの中から大きな円盤型の缶を何本か俺に手渡す。それほど重いというわけのものでもないが、本数がけっこうあるらしく、確かに男手があったほうがよいとは思った。
「なるほど、これは助かるね」
フィルム缶の束を両手に抱えながら運ぶ俺の後ろからそんな声が聞こえた。
「けっこー便利でしョ?」
正直、道具のように思われている気もしたが、役立たずと言われるよりはいいか。
「ああ、それはここに並べて」
中央に鎮座まします映写機の周囲にその部屋はあった。
表現的におかしい気もするが、二階席のさらに上にある小さな映写室は、まさに映写機を囲むようにして作られたとしか思えないような窮屈な空間で、そのように表現したほうがしっくりくるのだった。映写機のほかにはフィルム棚や音響、照明の制御装置が、なんとかやりくりするように配置され、人一人がやっと活動できるスペースしかない。さらに小物入れだの棚だの小机だのが、壁や天井のそこかしこから繁殖しており、閉塞感に拍車をかけていた。
そんな閉所恐怖症の人が入れば10分で発狂しそうな部屋に入り、彼女は心底くつろいだように息をつき、映写機から始まって各種機器のチェックを始めていた。
「ここは映画も上映するのか?」
見ればわかる事を聞いたのは、話のつかみが欲しかったからだ。
「ん? ああ、まだいたんだ」
「まだいたのかとは、失礼な」
「ああ、ごめん。ついここに居ると自分一人だと決めつけちゃっててねー」
どう考えても許容人数は一人の空間だ、そういう気持ちもわからないでもない。
「ここは劇団だと聞いたが、映画も上映しているのか?」
「んー、そだね。というより普段は映画館として近所からは認知されちゃってるかなー」
演芸館のオーナーとしての使命感が沸いたわけでもないが、一応知っておいたほうがいいと感じたので、俺は問いを重ねる。
「そうなのか? みんなここは劇団だと思い入れがあるみたいなんだが」
作品名:天井桟敷で逢いましょう 第二話 月追演芸場の一日 作家名:大澤良貴