天井桟敷で逢いましょう 第二話 月追演芸場の一日
樟里さん……は、他の人の給仕や高坂先生や津奈美の世話をしたり、テーブルを拭いたりしている印象ばかり残っている。そしていつの間にか食べ終わっていた。その間、食べている姿の記憶はまったくない。あれ? そう言えば昨夜も、彼女がものを食べている姿を見た記憶がない。
「いってきまーす」
制服に着替えた朱里と津奈美が元気に中庭から出て行く。
そうか、普通の学生たちはこんな時間に通学するんだったっけ。
俺は朝食の後片付けを手伝いながら、彼女たちの登校の様子を見るともなしに眺めている。
朱里は純白のブラウスに胸元の臙脂色のネクタイがアクセントになっている。左胸に校章をデザインしたエンブレム付きの紺のブレザー、チェックのプリーツスカートは今ではセーラー服よりも典型的な高校の制服といったところだ。確か昨日もそこここで見かけたから、地元の高校の制服なのだろう。ブレザーと同じ色のハイソックスに、ちゃんと磨かれた焦茶色のローファーを履いていると、それなりに「いいところの娘さん」に見えない事もない。ただ、あまりに姿勢と動作にキレが良すぎるのが、そんな印象を吹き飛ばす。今日も別に遅刻しそうというわけでもないのに駆け足で出発だ。
「つなーみちゃん、学校いこー」
津奈美にはお友達に誘われてのんびり登校だ。
というより、迎えが来ているのに準備できていないのはどういうことだ? 別に朝食終わって何か用事があるわけでもないのに準備が遅いのが津奈美という娘らしかった。
「あー、ごめんねぇ」
と済まなそうに現れた津奈美の姿にちょっと驚く。
パフスリーブが特徴的なチャコールグレイのワンピースと、それに合わせたシルエットと色のボレロ、ご丁寧にも胸元には大きなリボンタイ、足元には白のニーソックスに漆黒に白のリボンがついている女の子用にアレンジしたオペラパンプスといういでたちだ。とどめに制服と同色に白のストライプと校章の入ったベレー帽を被って出来上がり。
「これは……」
学校生活というものに疎い俺でも知っている煌星女学院の制服ではなかろうか。戦前から続く長い伝統を誇る私立の女学校だった筈だ。だがお約束の少子化で経営が悪化していたのを新しい経営者に変わって小中高一貫教育の伝統をそのままに、設備から制服、警備までを一新して、クソ高い授業料とそれに見合った教育環境を提示する事で経営再建に成功したとかで話題になっていた筈だ。たしか、うちの家も出資か用地の提供かで関わっていたような気がする。
やりすぎとさえ言われる制服ですらも、優越感と羨望の対象となって有名だ。なにしろ、出入りの業者が生徒一人一人に採寸して仕立ててくれるという代物なのだ。この手の制服は既製服だったり安い仕立てであったりすると、目も当てられないものになるものだが、ここの場合御付きの仕立て屋がいちいち各人各様の容姿に合わせてくれるので、どんな娘が着ていても観られるものに文字通り「仕立て上げて」くれるのも人気の秘密だ。
まあ津奈美の場合、性格はともかく容姿は美少女と言ってもいい娘であるし。少し細すぎる思う華奢な体型で、茶髪よりさらに薄い色でともすれば金髪にさえ見える色の髪をおだんごにまとめたこの娘が着ると、まさに「お人形さんのような」外見の出来上がりとなる。もちろん黙ってじっとしていれば、の但し書きをつけての話だ。
が、ちょっと待て。
「あの樟里さん?」
俺は自分の疑問をテーブルを拭いている樟里さんにぶつける。
「あ、はーいなんですか?」
「津奈美……ちゃんの学校って、あの煌星女学院ですか?」
「ええ、そうですけど、それがなにか」
さっきも書いたように煌星女学院と言えば入学するだけでもひと財産、通わせるとなればなんやかやで「娘をもう一人育てるようなもの」と言われるぐらいな学校だ。どこをどう見ても、そんな学校に通わせるような余裕のあるようには見えないのだが。
「いや、あそこっていろいろと……」
と言った所で樟里さんは、自分が俺に津奈美について説明していない部分に思い当たってくれたらしい。
「ああっ、津奈美ちゃんはうちの子じゃなくて、ちゃんとお家があって、そこから通ってるんですよ?」
「え? なんか自分の部屋というか場所というかを、作って棲みついているように見えたんですけど」
「ええ、ほとんどここに住んでるみたいな事になってますけど、ちゃんと週末とかお家に帰ってますし、親御さん方もわかってて受け入れてくださっていますから」
ま、その辺はいろいろあるのかもしれない。
とりあえず今は、それ以上は突っ込まずに納得する事にした。
「ほら、もう遅れちゃうよー」
「わ、ヤバっ」
津奈美とその友達はベレー帽を抑えながら駆け出して、先に出た朱里を追い抜いていった。可愛らしい制服は走る姿に激しくギャップを感じさせるものがあったが、それもまた愛嬌なのかもしれない。
しかし、津奈美足速いな。
「……」
通学組が出て行くと、掃除を申し付けられた。今日は営業日との事で、入場口やその前の道路から舞台まで念入りに、との事だ。
「……」
一緒に、まさに黙々と掃除しているのは来夢、もとい葛川さんだ。
こうして二人きりになってみると、失礼かもしれないが、やはり迫力のある美人だと思う。なにしろ背は高い方の俺よりも背丈があり、ショートカットの髪が中性的な印象を与える。着ている服も飾り気のない白のトレーナーにジーンズ。そんな人が黙々と黙って隣で働いているというのは、ちょっとしたプレッシャーだ。
かといって無愛想というわけでもない。箒で塵とゴミをまとめれば、塵取りを用意して待っていてくれるし、廊下を拭く段階になるとすでに水を入れたバケツが持ってきてあり、雑巾を絞って手渡してくれる。
でも無言なのだ。
機嫌が悪いというわけでもないようだし、あまりにもてきぱきと手際がよいので、こちらとしても黙々と働くしかない。なんか無駄口を叩くのが憚れる雰囲気が自然に作り出されているというわけだ。
「……」
「……」
部屋の掃除ぐらいなら経験はあるが、さすがに演芸館の廊下や舞台、客席やらの掃き掃除、拭き掃除ともなるとかなりの重労働だ。そして手間も時間もかかる。
その間、まったくの無言である。
しかし、慣れてくるとこれが中々悪くなくなってきていた。どこを掃いてどこを拭けばいいのかそれとなく示してくれるし、無言なせいかどうかはわからないがてきぱきとした葛川さんの仕事ぶりはそのまま自分に乗り移ってくるようで、それに身を任せているのが、中々に「悪くない」のである。
「……」
「……」
それで気がついたが、中性的で迫力のある外見とは裏腹に、この人はずいぶんと細やかな気遣いのできる人らしい。こっちは勝手がよくわからないので、思いつくままに拭き掃除や掃き掃除をしていても、決して場所などがかち合うこともないし、重複したりする事もなかったし、逆にこっちが気付かなかった汚れやゴミなどを見つけてはフォローしてくれていた。俺が仕事しやすいのも当然だった。
「……」
「……」
最初は多少あった居心地の悪さもやがてはなくなり、やがては心地良くすらなってきたところで、その無言を打ち破る者が登場。
作品名:天井桟敷で逢いましょう 第二話 月追演芸場の一日 作家名:大澤良貴