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天井桟敷で逢いましょう 第二話 月追演芸場の一日

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「いや、それはいいんだけど。ちょっと聞いていいかな?」
「なんですか?」
 なんでも答えてくれそうな微笑で彼女は俺を見る。
 ただ、なんでも答えてくれそうで、一番のらりくらりとはぐらかしそうな笑顔でもあるように見えるのは、穿ち過ぎだろうか?
「いや、あの朱里って、なんか武道かなんかかなりやってたりする? ただ事じゃない腕に見えるんだが」
「あは」
 その問いに樟里さんは、俺が何かとても面白いボケをかましたかのような目をして、笑った。
「かなりどころじゃないですよ。あれでも、えーと、なんとかっていう流派の師範代ですから」
「はー」
 ということは、どれぐらいすごい事なのかはよくわからないが、少なくとも思っていたとおり、ただ事ではない腕なのは確かなようだ。その流派の名前を知りたくなったが、この人に聞いても要領を得ないだろう。
「近くの道場に頼まれて稽古を見に行っていますし、姉の贔屓目抜きでかなりの実力だと思います」
 目を細めながら誇らしげと嬉しげの混ざった表情で言う。
「なるほどねぇ」
 まあ、教える立場をやっているのなら、職務上の習性として人の素振りに口出ししたくなってきたのも無理はない。
「だから、篤さんが変な気起こすような人でなくてよかったです」
「へ?」
「篤さんが滞在されると聞いて、一番警戒していたのがあの娘ですから」
 まあ、確かに昨日の今日で信用しろという方が無理な話だろう。
「もし、夜中に私たちの部屋とかに忍び込んだりするような人だったら、『男として生まれてきた事を後悔する』というような事を言ってましたから〜」
「……昨日はいろいろありすぎて、そんな事すら考える余裕もなかったよ」
 疲れてて良かった……。
「でも、早起きと剣道やってらした事で少し信用する方向に行ってるみたいですねぇ」
「そんなもんかね」
「そんなもんです」
 ふわふわとした笑いで、なんとなく納得させられてしまう。
 その後、一通り息が整った所という絶妙なタイミングで、俺は樟里さんに演芸館全体のシャッターやカーテン、窓を開けたりする仕事を命じられた。清々しいぐらい有無を言わせない、微笑みとともに。
 いつもは朱里の仕事だったようだが、今日から俺の仕事になる模様だ。
 ああ、もしかするとわざわざ出かけるのを待ってアドバイスをくれたのは、朱里のちょっとした礼のつもりだったのかもしれない。

 中庭からラジオ体操の音楽が流れている。
 ようやく起き出してきた津奈美、オリガ、葛川さん、そして近所の早起きなお爺さんやお婆さん数人が、おなじみの音楽に合わせてラジオ体操をしている。
 演芸館の朝はけっこう早い。
 一応、役者であるところの彼女たちは、朝一番の体操と発声練習と軽いロードワークは欠かさないようにしているとの事だ。一応、それなりの広さのある演芸館の中庭で、彼女たち毎朝やっているラジオ体操に、いつのまにか近所の爺さん婆さんたちが加わるようになってきたため、外の妙な光景が展開されるようになってきたらしい。
(も少し起きるのが遅ければ、俺はあれに加わる事になっていたのだろうか?)
 ちょっと胸を撫で下ろす。微笑ましい光景だが、自分には激しく似合わないと思う。
 一方、樟里さんは管理人室のキッチンでみんなの朝御飯を作っており、俺はその手伝いをしている。とはいっても俺に料理の心得などはまったくないから、言われるままに食堂を兼ねている楽屋のテーブルを拭いたり、食器を出し入れしたりなどの雑用を、こなしているだけだが。
 我ながら意外に従順に手伝っているものだが、さしあたって労を惜しむほどの仕事は持っていないし、新しくできた美人の従姉を手伝うのはそれほど不愉快ではなかった。
「はい、篤さん。これ持って行ってあげて」
 時間を見計らったように、樟里さんは緑茶を一杯入れて、寿司屋にあるような大き目の湯飲みを盆に載せて俺に差し出す。
「楽屋に春江さん来てるから」
 とりあえず、言われた通りにお茶を持って楽屋に入ると、テーブルの前に丹前を羽織った高坂先生がちんまりと座っていた。
「あ、どうぞ」
「……」
 ぼーっと、置かれた湯飲みを見詰めている。
 ただ、お茶を差し出した手がいつもと違うのに、ややあって気づいたようで、一度俺の方を見ると、特になんの感慨もなくまた視線を前に戻して、ぼーっとし続けた。その顔は寝起きには見えなかった。
「ああ、春江さんは朝ごはんの後に眠るから」
 戻ってきた俺に樟里さんは説明する。どうやら完全に昼夜逆転した生活をしているらしい。
 (座敷わらし……)
 と小柄な体と丹前姿から連想したビジュアルイメージは口に出さないほうが賢明であろうと思った。
「座敷わらしみたいで悪かったな」
 今、俺、口に出したか?
 という表情はありありと出ていたらしい。高坂先生は、すっと茶を一啜りしてから答えてくれた。
「その感想は聞き飽きとる」
 なるほどね。


 みんな一斉に席について、
「いただきまーす」
 の斉唱。
 朝食である。
 演芸館の住み込み人たちの朝食は、夕食のようなバランス・オブ・パワーは存在しない模様である。
 樟里さんが旅館で見かけるようなお櫃とアルマイトの鍋から給仕してくれる御飯と味噌汁以外は、一袋の味付け海苔、小鉢に取り分けてある納豆、卵と一人分が厳密に分けられているので競争原理を発揮しようがないという訳だ。
 ただ、少しずつ個性が発揮されているのがちょっと面白かった。
 朱里は納豆に醤油と生卵を入れて御飯にかけて、海苔を巻きながら食べている。意外と言っては悪いかもしれないが、背筋がきっちり伸びて箸使いが綺麗なのは、武道の心得があるからだろうかと思ったのは、今朝の印象に影響されすぎだろうか。
 対照的に高坂先生は背筋を丸めて、いかにも億劫そうにぼそぼそと飯を口に運んでいる。そのままだと他に手をつけないらしいのか、樟里さんが納豆をかき混ぜたり、卵を混ぜたりしてやっている。それを樟里さんが茶碗にかけるとき、一瞬だけ真剣な目になる。その理由は樟里さんの言葉で理解した。
「はいはい、大丈夫ですって。卵を先にかけますから」
 高坂先生は生卵も納豆もどちらもかける御飯にかける派らしいが、生卵が先でないと許せない性質らしい。難儀な人だ。
 津奈美は納豆を食べないらしく、最初から小鉢に用意されていない。卵かけご飯に海苔をちぎってふりかけて食べていた。その間、ずっと朱里やオリガに話しかけたり、味噌汁をおかわりして落ち着きがない。……お子様だ。
 ロシア人留学生らしいオリガの場合、納豆は平気なようだったが、生卵が駄目なようである。ゆで卵にしてもらって食べている。ただ、納豆もかき混ぜずに、いちいち一口ずつ箸に取って、おかずとして食べているのがおかしかった。
 葛川さんは一人、我関せずとばかり黙々と食べているあたりは高坂先生に似ている。しかし、一杯目、二杯目を納豆で、三杯目を生卵で、四杯目は椀を御飯で拭くように、五杯目は白米をじっくり味わうように、と大き目の茶碗に五杯の飯を淡々と平らげてしまう様子が見事であった。