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天井桟敷で逢いましょう 第一話 家の話

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 眼鏡に手を当てて、彼女はしげしげと俺を観察する。
「ええ、どうやらお父様が亡くなられたらしいのね。で、変わって本家の篤さんの名義になったらしいの、ここ」
 初めてジジイのことをお父様と呼んだ樟里。だが、あまり親しげなニュアンスはなく、ただ便宜上そう呼んでいるといった語調に感じられたのは、気のせいではないだろう。
 おそらくジジイと逢った事があるのも何度あるのかわからんし、彼女にとってはいろいろな意味で縁遠い存在であろうから。
 というより、俺のほうもどうも彼女がジジイの娘で、俺の叔母になるという関係性があまりピンと来ていない。
「それで、この“篤さん”とやらは、ここを売り払おうだとか、我々を追い出そうとか悪さは考えてないのだろうな?」
「うん、それはないと思う。だって、しばらくここに滞在する事になるだろうし」
「ほー、そーかね」
 !?
 今、樟里はなんつった?
「なんだと!?」
 と聞き返す俺。
「あら、違いましたかしら? 事情をお聞きすると、これから行く宛も住む所もないように思われましたので、てっきり」
 確かに言われてみれば、今の俺の置かれている状況は、まさに住所不定無職。いや、それ以前に社会的立場からすれば、単なる家出少年に過ぎないわけだ。
 一応、まとまった金はあるが、そう簡単に保証人もなく身元も明らかでないガキを住まわせてくれる場所もないだろう。
「……そう言われると返す言葉がない事に今気づいた」
「で、しょう?」
「けど、いいのか? さっき、ちらと聞いたが、ここは女所帯だって聞いているが……」
 とはいえ、今の俺にそんな気になれるような状況でもないし、正直、水準以上の容姿の女性が多いとは思うが、どれもこれも俺の手に負えそうなのはいない。
「ああ、そうだな。くれぐれも夜這いとかは控えるように言っておこう。大崎本家の御曹司を手込めにしておくのも、悪い打算ではないという気もするがなー」
「ふふふ。ですねえ。でも、これ以上、うちの風紀が乱れる事のないようにしませんと」
 と、高坂という演出家と座長たる樟里さんは、俺の考えているまったく逆のベクトルで心配しているのであった。
「……あー、もうー、なにー? うさーい」
 天井裏の“部屋”のひとつから、声がする。なんだか、変なイントネーションの日本語だ。
「おー、オリガ起きたか。出て来い、またウチの住人が増えたから、挨拶だけはしとけ」
 どうも、演出家というよりも“牢名主”といった威厳で、部屋の中に命じる。
「えー、あー、えー、めんどー」
「あの、オリガさん一応、自己紹介だけしていただけませんか?」
 ガシャ。
 カーテンが開く音とともに、客席の向こう側に当たるところから女性が一人歩いてくる。
 全裸で。
 もう今さら驚くこともないだろうがいや、この場合、露われるとでも表記すべきだろうか?
 眠たげに目を擦りながら現れたのは、葛川さんと同じぐらい大柄な女性であった。
 別に葛川さんのような迫力を漂わせているわけではないが、上中下と実にメリハリのある体形をしていて思わず見惚れる。俺も息子も年相応に当方に迎撃の用意ありな気分に一瞬でさせられるほどな肢体だ。
 それが上下ともに見事なブロンドとあいまって、本人はただ眠そうにしているだけだが、その見た目だけでも物凄い存在感があった。
 とはいえ、当人はまったくこちらに存在感を感じた様子もなく。
「オリガ・アレクセーエフ。21歳。あー、ネーむー……」
 と言い残しでこちらを一瞥。
 そのままのそのそと戻っていく。
 そんな一瞬の出来事ではあった。
「ロシア人の留学生でな。あれでもうちの役者だ。ほかに大道芸とかいくつか心得ている、演芸場にとっては便利な娘だ」
「ええ、子供たちにも人気です」
 まったく動揺一つ見せず、いや本当に何事もなかったという感覚なのだろう。演出家と座長は、平然と解説をしてくれる。
「えと、今、ここにいる方々はこれだけかしら……」
「朱里、来夢(らいむ)、津奈美はもう紹介済みか?」
「ええ」
 ん? ひとつ聞き覚えのない名前が……。
「いや、その。来夢という人はまだ聞いてないが」
「そうなのか? 樟里」
「いえ、もうすでに紹介したはずですけど……。ああ、そっか」
「あれか、例によって下の名前伏せやがったか」
 なんの話なのだろうか?
「あのですね、来夢というのは葛川さんの下の名前です」
「あいつは、あの容姿でそんな可愛らしい名前ついているのが、ひどいコンプレックスでな。それでなくとも、二十歳過ぎて名乗るのも辛い名前という事もあって、とにかく下の名前で呼ばれるのを嫌がる」
「使うのは春江さんとオリガさんぐらいです」
「私だって、からかうとき以外には使ったりせんよ。まあ、あやつは滅多に怒らぬほうだが、初心者は無理に逆鱗を撫でるような真似はせんほうがよいな」
 と悠然と笑いながら忠告してくれた。

 やはり、ここは劇団員や管理人たちの住居も兼ねているせいで、演芸ホールというには随分と異質な構造になっているようだった。
 愛人に買い与えるにしても、随分と面白い事をしてくれるな、ジジイめ。いったいいくら使いやがったのやら……。
「ところで、篤さんは学校とか、どうなさるんです?」
 そんな事を考えながらホールの内部を案内されながら、俺は聞かれた。
「ああ、学校は義務教育以来行ってない」
「え?」
「ジジイの方針でね、在宅教育さ。それで大検の資格を取らされた」
 なんでも、友人や人脈を作りたかったら、大学へ行ってからにしろという事らしい。高校までの友人や人脈は、足手まといやしがらみにしかならん、というのがジジイの言い分だった。おそらく、俺の父とかいう立場の人間が何か高校時代にやらかしたのだろう……。
 おかげで、親戚中を敵に回して家に出るような今回のような状況の場合、頼る当てもないまま路頭に迷う事になってしまったわけなのだが。まさか、ジジイも自分がこんなに早くくたばるとは思ってもみなかったのだろう。
「だから、俺についてはそんなに心配する必要はない」
「……偉いんですねえ、篤さんは。大検って難しいのでしょう?」
「さあ? どうなんだろうな。」
 俺にはあまり実感がない。
 ジジイの指示に従って、ひたすら勉強し続けた過程の一つに過ぎなかったような淡い印象しかない。
「ともあれ、さすがにここまで嗅ぎつけないとは思うが、大崎の家にアシがつくような真似は、くれぐれも控えるように頼む。一応住まわせてもらうからには手伝うし、食費や光熱費はある程度負担する」
 この辺ははっきりさせておきたかった。
「別に私たちにとっては、大家さんになるわけですからいいんですけど……」
「いや、そんなに余裕のあるようには見えないし、むしろ、そのほうがこっちも気が楽だ」
「そうですか……なら、みなさんと同じように払っていただきますね」
 少なくともホテル暮らしを強いられるよりは、金銭的にも楽だというものであった。
「えーと、今ここにいるのは先ほど紹介した、私を含めて6人ですけど。あと二人ばかり住み込みの人がいますから、戻ってきたら紹介しますわね」
「まだいるのか……ずいぶんと大所帯なんだな」