天井桟敷で逢いましょう 第一話 家の話
と樟里の紹介よりも早く、自己紹介を始める。まあ、年齢のとおり小柄だが見た目は愛らしいし、この自己顕示欲大目なタイプには適任なのだろうな。
「えっと……、今ここにいるのはこれだけですけど。ほかにも住み込みの人と通いの人がおります。演劇ばかりでなく、映画とか演芸とか、あとは地域の行事やらなにやらに貸し出したりして、ちゃんと現役で営業中ですよ?」
「しかし、決して繁盛しているわけでもなさげだな」
「まあ、ほそぼそと、なんとかやっていけているといったところでしょうか……」
「だろうなぁ……」
この演芸ホールが儲かっているなら……少しは上前を跳ねられるかな、とちょっとだけ考えた事は確かだが、やはり期待するだけ無駄なのは確かだろう。
「そうだ、とりあえず中を案内がてら、他の人たちも紹介しますわね」
といって、樟里は立ち上がる。
「はい。じゃ、中断したままの仕事かたづけちゃいましょう。朱里とつなみちゃんは洗濯物を取り込んで、葛川さんは夕食の買出しお願いしますね」
とテキパキと指示を下しているあたり、やはり管理人兼座長というのは確かなのだろう。
3人は三者三様の返事をして、楽屋を離れていく。
「ここがホールの舞台と客席ですね。一応300人収容できます」
まず案内されたのが、舞台と客席だった。
外観で想像したよりも内部はしっかり作られているようだった。
照明などの舞台設備も決して豪華とは言えないが、それなりに整っている。客席も固定の座席があり、古びていたが掃除も行き届いているようであった。
照明の落とされた薄暗い舞台から見える客席は、外光が入らない構造になっていることもあり、もっと暗く見えた。
そのせいか音響効果も加わって彼女の声が強く響いて聞こえる。
「ここができたのは、もう何十年前になるかわからないんです、実は」
「なに?」
どうも、俺の想像以上に歴史ある演芸場らしい。
「舞台役者をしていた私の母が、篤さんのお祖父さまと出会って、結ばれて……」
彼女は自分の父でもあるらしいジジイの事を、俺の祖父という言い方をした。なんとなく複雑な思いが隠れていそうだ。まあ確かにこれまでの経緯などから考えてみれば、ないわけがないか。
「私が生まれたときに、篤さんのお祖父様が以前からここにあった多目的ホールを買い取って改装して、母がその管理人になったのが始まりなんです」
……ジジイめ、さすがの甲斐性っぷりを見せるじゃねーか。もしかすると、彼女の母に入れ揚げていたのはジジイのほうなのかも知れないな。
「それで……、最初は普通の家に住んでいたんですけど。だんだん役者さんとか、こっちに住み込みはじめるようになって。そのうち家とこちらを維持するのも女手だけでは大変になってきたので、思い切って住居も兼ねるようにしてしまったんです。ですから……」
と一端言葉を切って。
「私にとって、ここは生まれ育った家でもあるんです」
樟里は自分の思い入れを示すように、静かにだが力強く言った。薄暗い舞台の上で、彼女の横顔は、不思議と存在感があった。まるで舞台や演芸ホール自体が、彼女を目には見えない意思の照明で照らしているかのように。
設備こそ古いが、隅々まで掃除と手入れが行き届いている理由もわかったような気がする。
……売り払うなどと言い出していたら……と想像するだに寒気がする。
「なるほどな……。確かに権利書こそ、ジジイや俺の名義になっているが、ここはあんたらのものらしい」
「いえ、そんな……」
慌てたように彼女は言う。
少なくとも17の若僧が引き裂いていいモノではない。
そんな気がした。
なんとなく空を仰ぐような気分で見上げると、そこには吸い込まれそうに奥行きと高さがある天井。
「しかし、この天井……すごいな」
俺は重くなった話題を切り替える気もあり、そんな事に感心してみせた。
見上げると、木製の梁が組まれた天井は相当に高く深く、そして広いようだった。
「ああ、あの天井と梁はうちの名物なんです。一応、お客さんも収容できていたんですけどね。それをあわせての300人収容なんですけどね。天井桟敷って言うんだそうです」
と、彼女は説明する。
「滅多にお客さまを入れる事がないので、すっかり天井桟敷としての役割は果たさずに変な事になってしまってますけど……」
「ん?」
どういう事だろう?
「行ってみますか?」
特に反対する理由もなかった。
それは……確かに一見の価値はある光景だったかも知れない。
一階から、梯子と呼びたくなるような急傾斜の関係者用の階段を上った先にあった月追演芸ホールの天井桟敷、というか屋根裏部屋は、客席としての機能は失われていた。
その代わりに果たす役割は、なんと住居である。
冗談のような生活感が漂っていた。
舞台の真上から客席の周囲、そして天井桟敷に続く舞台の演出や関係者用の通路、そして本来は三階席として使用されるべきかなり広い空間がある。
どうやら屋根部分は高い寄棟構造になっており、傾斜した天井と床の間の空間には、梁や柱がめぐらされている。
それらの間にシーツやアコーディオンカーテンが張られて部屋として仕切ってあるらしい。
そして、真ん中の共用スペースらしいところには、コタツとテレビまで置いてある。
全体には畳が敷かれ、舞台照明のさほど強力でないものの一部を室内照明代わりに使っているらしかった。
「ああ、もう。また散らかして……」
確かに共有スペースには菓子の袋や本や雑誌、紙くずなどが乱雑に散らかっている。さらには服や下着まで脱ぎ散らかしているのは、見ないふりをしたほうがいいのだろうか?
「おー、樟里、なんだ客か?」
奥のほうの暗がりから声がした。
目を凝らすと、スペースの一番隅のほう屋根の傾斜がもっとも低くなるあたりという、閉所恐怖症者だったら気が狂いそうな場所に、卓上灯がともり小さな机とそれに向かっている人影を照らしていた。
「ええ、ホールのオーナーさんが来てて、今案内しているの。春江さんも自己紹介して」
「ホールのオーナーって樟里のオヤジだろ? 何を今さら……」
春江と呼ばれた人影は背中で返事する。
「いえー、いらっしゃってるのは、そのお孫さんの篤さんですー」
「ほー、そうかね。ほんじゃ、ツラぐらいは拝んでおくか」
ごそごそと人影が立ち上がり、こちらにくる。
遠近法を反しているがごとく、あまり近づいてきても高さがかわらない。つまりは、それほど小柄だった、津奈美よりもさらに背が低く150cmあるかないかぐらいのようだ。
度の強い眼鏡でまったく化粧ッ気のない顔を覆っている。髪形はただ散髪の手間を省いただけの髪を、邪魔にならないようにというだけで束ねている。羽織った丹前も性別というものを度外視してくれ、と言わんばかりだ。
「ここの脚本兼演出家の高坂春江(こうさか はるえ)、だ。歳は聞くな。よろしく」
演出家という役職からなのだろうか? ごく当然の権利のように尊大な態度だが、どうもその身体の小柄さに、微笑ましく受け入れる事ができたのは口に出さずにおいたほうがよさそうであった。
「ほー、コイツかい。ずいぶんと若いじゃないか」
作品名:天井桟敷で逢いましょう 第一話 家の話 作家名:大澤良貴