天井桟敷で逢いましょう 第一話 家の話
遺産相続の一件で思い知ったのは、俺には真偽すら定かでない親戚がわらわらと現れるという事であった。ジジイが死んでから、自称・親戚がどれだけ増えたのかを考えると、“一匹見かけたら三十匹はいる”な気分になるのは無理からぬ事ではあった。
「しかし、あんたは俺の事を知っているようだが、俺はあんたらの事知らんぞ」
「別に知ってほしいなんて思ってないし」
朱里という名前らしい妹が、口を挟んでくる。
「そんな事言わないの、朱里」
「はぁい」
大人しく妹は引き下がる。どうやらこの妹は姉には頭が上がらない模様である。と俺は学習する。
「私たちの事情もあって、親戚づきあいとかは全くありませんでしたから……」
「というと?」
「そうですねえ……、篤さんとは腹違いの叔母、ということになるんですけども」
「腹違い、と」
「ええ。篤さんとはお祖父さまが一緒になりますね」
「えっと。私の母が……」
「あのジジイの愛人だか妾だかやっていた、と」
「そういう事ですね」
……まあ、そういう事はあるだろうな、と。というよりも、例のジジイの遺産相続の件では、ジジイの愛人やら妾やらを自称したり、その子供や孫やらがわらわらと現れて、親戚どもが、示談やら脅迫やらで黙らせるのに忙しくしていたのを覚えている。だから、今さら一人や二人判明したところで驚くに値する事もない。
「はっ。そのわりには、ジジイが死んだ時には見かけなかったようだが」
俺は意地悪く言う。
「え? 亡くなられた?」
その答えは、俺からすれば意外ではあった。
「なんだ、知らなかったのか。ジジイは死んだよ、つい最近だがな。そのせいで、今やあの家は遺産相続やらなにやらで、大騒ぎさ」
俺は手短に事実だけ伝える。
「……そうだったのですか……まったく存じ上げませんでした」
「どうだい? アンタらも顔を出してみるかい? 今なら、口封じか示談のために、金一封でも包んでくれるぜ」
我ながらイヤな言い様だとは思った。
俺の言葉に妹のほうが過敏に反応して、キッとこちらを睨む。もう一押しで、また棍の一撃が来かねない。そんな目をしていた。
「ああ、とりあえず、この度は御愁傷様でございます……」
深々と。
丁寧な所作で俺に向かって頭を下げる。
妹の気配を察してか、俺の意地悪げな意識を汲み取ってか、樟里という女性はそんな仕草ひとつで戦闘的な気配をさらり流した。
「いろいろと落ち着いたら、お線香の一本も差し上げにいきませんと、ね」
顔を上げた樟里は、手をぽんと合わせながらそう言った。
「……今はやめといたほうがいい。とにかく葬式もそっちのけで、ゴタゴタしてる」
俺は毒気を抜かれて、普通に彼女に忠告をした。
「ところで。その本家の篤さんが、何故ここに?」
当然の疑問だと、俺も同意する。
ので、俺はゆっくりと丁寧に説明を始めた。
ジジイが死んでからの大崎家の騒動と俺の顛末。
そして、ここに来たわけを。
「なるほど……。それで、お祖父さまの遺された遺産を見にきた、と」
改めて辺りを見回してみると、どうやらここは楽屋のようだった。
畳敷きの広々とした部屋には周囲を電球で囲んだ鏡と化粧台。ハンガーや小物入れ。衣装が入ってあるらしいクローゼット。ポットが置かれた卓袱台などが雑然と置かれている。先ほどまで俺は楽屋に余るほどある座布団を並べた上に、二枚重ねの座布団を枕に介抱されていたらしい。
俺の周りには先ほどの四人が、卓袱台を囲んで茶を喫しつつ俺の事情に聞き入っている。
「そういう事だ。だから、別に俺はここに用があったわけでも、ましてや下着などが目的だったわけじゃない」
多少の皮肉を塗すのはどうにも俺の悪癖らしい。遥香にもよく注意されたものだ。
むっとしたように大崎姉妹の下のほうが俺を睨む。
「……で。どうする気だ?」
おもむろに大柄な美女のほうが俺を真直ぐに見詰めながら問うた。一切の誤魔化しなど通用しそうにない、強い意志の感じられる目付き。美人という事が“迫力”にも繋がるときがあるのだな、と俺は妙なところで感心する。
とにかく無口な性質らしく、発せられる言葉が短いのが余計に効果を醸しだしている。
「売り払って事業などなさいます?」
にこにこと悪意の欠片も感じられないように微笑みで、樟里という女性はさらりとそんな事を言う。
「そうされると非常に困る」
と大柄な美女が眉を顰めつつ断固とした口調で言う。
「いざとなったら、口封じにやっちゃおうか?」
小声でおだんご頭が朱里に囁き、朱里が頷き棍を握り締める気配があった。つーか、丸聞こえ。いや、聞かせているつもりか。
「薄々気づいてらっしゃると思いますけど……。私たちはここに管理者として居住しておりますの。ですから、いきなり追い出されると、それこそ路頭に迷わなければなりませんし、とてもとても困ります」
朱里の棍も美女の睨みもおだんごの脅しも、別に怖いとは感じていない。
ただ、ちょっぴり寂しげに、それでも微笑みを絶やさず言う樟里の言葉だけは、心底恐ろしいと感じた。たぶん、ここで俺が下手な答えをすれば、俺は恐怖の深淵というものを覗き込むことになりそうな、そんな予感を覚えた。
だから、俺はできるだけ軽い口調で答えたのだ。
「あー、正直なところ言ってしまうと白紙だなー」
だからお前らの脅しに屈したと思うな、そこのあからさまに喜んでハイファイブを交わしている二人よ。
「というより立地といい建物といい、買い手が出るとも思えん物件だしなぁ。ここに人がいるなんて知らなかったし、というか、この演芸ホールとやらは稼動しているのか?」
その問いに、待ってましたとばかりに樟里は嬉しそうに答える。
「ええ、当月追演芸ホールは、座付きの劇団……えーと、今の一座名なんでしたか?」
樟里さんは隣の美女に聞く。
なんだ、「今の?」って。
「月乃座」
「え! そんな名前でしたっけ? と、とにかく座付きの劇団“月乃座”と共に、今も営業中ですよ」
にっこり。
なんだか、“えっへん”という書き文字が背後に浮かぶように、自慢げに彼女は言った。
「それで、私が当演芸ホールの管理人兼劇団の座長、大崎樟里(おおさき さおり)。年は今年で23だったかしら」
座長が劇団の名前忘れてるのか……。
という表情を俺はしたに違いない。
「え、ああ。えとうちの劇団、なんか気分でよく名前を変えるので……それで、つい」
と簡単に説明して、紹介を続ける。
「で、これが私の妹で演芸ホールの管理人補佐」
その言葉を引き取って、
「大崎朱里。今年で16歳。ようするに雑用係、ときどき役者も」
朱里は意外に素直に答えた。ごく当然の事としてオーナーに自己紹介ぐらいははしとくべきだ、と悟ったのだろう。
「葛川(くずかわ)、だ。26歳。演芸ホールでは経理担当。劇団では役者と衣装係を担当している」
「葛川さんはねー、男役で人気なんだよー」
脇で小さい方が口を挟む。
なるほど、確かに舞台映えがするだろうし、その長身ならばそういう役柄を振りたくなる気持ちもわかるというものである。
「余計な事を……」
「それで私が、宮原津奈美(みやはら つなみ)。12歳。もちろん女優よ」
作品名:天井桟敷で逢いましょう 第一話 家の話 作家名:大澤良貴