舞うが如く 第六章 13~16
老農の陸稲畑では、この秋の収穫の時期を迎えました。
一面の黄金色の様子を前にして、いつものように
老農が目を細めています。
「琴どの、我々が米つくりによって生き長らえてきた、
農耕の民であるということは、
よくよくご存じのことにあろう。
大昔、太古と呼ばれた時代には、約27万人が住み
稲作が始まったとされる時代には、それが60万人に増えました。
奈良の時代には、600~700万人にまで増えたと記録に残されております。
米を作ることによって、この国に住む人々が増えてきました。
わしらには、この国とすべての人々を支えてきたという、
農民ならではのささやかな誇りがこの胸に息づいています。
見なされ。
この小さな一粒が、わしらを毎日生かし、
明日を生み出してくれるのです。」
「同感そのものです。
なれども、肝心のワッパ騒動は、
この先で一体、どうようになるのでしょうか」
「さぁてな・・・・
先のことよて、わしにはわからん。
上京して、訴訟のうえ裁判で争うということであるが、
もう、そうなるとわしら農民の頭では、まったく解らん。
自由民権運動という考え方が有るそうだが、
学者や教育者でもなければ
どうにも、理解できない学説の様である。
難しすぎて、わしの頭では
すでに、お手上げだ。」
「自由民権運動・・・それも初めて聞きました。
それはまた、
いかなる事にありますか。」
「できたばかりの明治新政府から、
わしらが師と仰ぐ、西郷隆盛が薩摩へと去ったは知っておろう。
同じく同胞の志、板垣退助もまた野に下ったそうである。
野に下った者たちが、
平民や庶民にも平等の権利と自由を与えよということで、
板垣たちが提唱をしている、あたらしい考え方が
自由民権運動とやらである。
なんでも、大きな目標が
日本中に、子供たちの教育のための学校を建てるという。
日本の行く末を議論するために、議会も作るという。
言論の自由と、集会などの自由も守るという話だそうにある。
学校というものが、これよりは全国すべてに
建つということになれば、民がたくさん学ぶことになる。
なんにせよ、これからは、
多くの者が学ぶという、
新しい学問の時代が来るようである。」
「老翁は、
さすがなる博識です。
琴は、とうてい足元にもおよびませぬ。」
作品名:舞うが如く 第六章 13~16 作家名:落合順平