舞うが如く 第六章 10~12
「ほほう・・・
見かけた様子では、ただの綺麗なおなごにしか見えなんだが、
なかなかに、農業についての見識も有ると見える。
稲についての言われがわかるとは、なかなかに大したものだ。
生まれは、いずこであるのか。」
「上州の寒村にございます。
ささやかな畑とともに、
段々に造られた田んぼにて作る、水稲のことは
幼き頃より、ように知っておりまする。
にもかかわらず、水の無い土地でも、
このように鮮やかな色をした稲が育つとは。
生まれて初めて拝見をいたしました」
「ほほう、それはまたずいぶんと遠いところから、
はるばるとご苦労なことにある。
いやいや、こやつとの勝負は、まだまだこれからにある。
夏場に花を付けて、実入りをしてこその稲である。
この先が、無事に育つかどうかを、
見極めながらの、飼育を続けているところだ。
これが旨く行けば、
畑でも稲を育てることができるようになる。
まァ、もう少し先の話でもあるがのう・・・」
「このまま育つわけでは、ないのですか。」
「気の早い事を。
百姓とは、気長に待つのも仕事のひとつじゃよ。
植えては育てる、そして生き残ったものだけを収穫する、
それをまた植えて育てる。
そんな、繰り返しを延々とやってのける。
そのなかで、少量の水や、日照りにも強い、
陸で育つという稲が、やがて生まれてくるものだ。
それを待つのも、
百姓の大切な仕事だ、
お前さんたちの開墾も、
又、似たようなものであろう。」
「ということは、元は水田の稲なのですか」
「左様。
田んぼにて育てているものを、
荒れ地に持ってきただけのことである。
人もまた然り。
武士もまた、開墾場で働けば百姓と化すであろう、
それとまったく同じ事だ。
所変われば品も変わるし、人も又生まれ変わる。
稲も人も、それほどに大差はない。」
「ご老人、これは無事に育つのですか。」
「稲の先祖は、もともとは陸稲である。
それを、長年かけて水田用に改良してきたのが
わが国の、米作りの歴史である。
これは、昨年に収穫した種より発芽させたものだ。
3年前には、植えたうちの1割しか生き残らなかったが、
去年は、やく半分ほどが実を付けるのに至った。
今年はその生き残った3代目を、植えつけたものであるが、
さてさて・・・・今回はどのくらい残るので有ろうか。
それを見るのも、いまから楽しみである。」
老人が嬉しそうに、さらに眼を細めます。
だがその途中でふと気がついたように、琴を振り返りました。
「そういえば、
新徴屋敷には、めっぽう腕の立つ
綺麗なおなごがいると言う噂を聞いたことが有るが、
まさかそれが、お主か。
物腰と言い、見識と言い、ただのおなごではあるまい。
なるほどのう、噂にたがわぬ良き女人ぶりにある・・・
うむ、それでは記念にひとつ、
わしから、庄内土産を進呈しょう。」
そういうと、畦をかきわけて畑の中央にまで分け入った老人が、
そのあたりでなにやらしきりに探しものをはじめました。
やがて、「有ったわい」と、すこし薄汚れた
渋団扇(しぶうちわ)を取りあげました。
老人が、それを大事に抱えて戻ってきます。
「5年前の、大凶作のおりに発生ををした、
天狗騒動という話は、聞いたことがあるじゃろう。
そのときに、天狗様より拝領した記念の団扇のひとつがこれである。
百姓たちを集めては、謀議の詮議をしたおりに、
指導者たちはそれぞれに天狗の面をかぶり、
団扇を使って指図をしたという。
そんなこともあったという、ただの百姓の昔話だ。
持っていくがよい、
お前さんが気に入った。
わしは毎日ここにおるゆえ、
又、遊びにきてくれると、このおいぼれにも
楽しみがひとつ増えるというもんだ。」
「まさか、ご老人は
そのおりの指導者のお一人では・・・」
「はぁてな、
いまはただの、おいぼれの百姓の爺ィだ。
お前さんのような別嬪さんと、
もっと早くに知り合いになりたかったものだ。
いやはや、世の中とは、なかなか、旨い具合には、
進まむものである」
あははと笑う老人に、思わず苦笑する琴でした。
作品名:舞うが如く 第六章 10~12 作家名:落合順平