魔導装甲アレン2-黄昏の帝國-
慕っていたシスターが亡くなり、神父も亡くなり、独りになってしまってから、これほどまで独りということが恐ろしいと感じたことはなかった。
短い間であったがアレンたちと行動し、危険な目に遭って命を失いそうにもなった。
――それでも今の方が何倍も苦しい。
もしかしたら、アレンやトッシュとの関係が切れたから、帝國が現れないのかもしれない。
何を選ぶのかと訊かれたら、セレンは教会を選ぶ。
そのためなら、独りでも耐えられる。
セレンはだれも見ていなくても、笑顔を忘れない。
いや、だれも見ていないわけではない。
教会の裏庭に咲き誇る花々――彼らがちゃんと見守っていてくれる。
今のセレンの心を癒してくれるのは、この花々だった。
枯れた大地に色とりどりの花は珍しい。
クーロンは大都市で水もほかの地域に比べればあるが、それでもこんなに綺麗な花は珍しい。
セレンが水をやり、ときに鼻歌を聴かせ、丹念に育てた花。
それはセレンの心を癒すと共に、生活費として生きる糧にもなっていた。
ほかの町や村では人々は花になど見向きもしないだろう。貧困層にとって、花など腹の足しにはならない。クーロンは貧困層も多いが、富裕層も多く済んでおり、生活落差の激しい町だ。富裕層には少なからず、花を買ってくれる者がいるのだ。
花壇の横には水路がある。クーロンの井戸などの水は浄化しなければ飲めないが、ここの水が水源が違うのか、澄み切った綺麗な水だった。
そして土も違う。
水は元々この場所に湧いていたものだが、肥沃な土は神父が遠くから運んできたもので、さらにそこへ動物の死骸や野菜の残り滓を埋めて肥料にして育てた土だ。
少し心配な顔をしてセレンは花々を見つめた。最近、花の育ちが悪い。土のせいか、水のせいか、原因はわからない。
セレンは水を汲み、やかんを改造したジョウロで水を撒きはじめた。
先端を蓮口に改造されたやかんからは、シャワー状の水が優しく噴き出る。
甘い風の匂い。
上機嫌になったセレンは鼻歌を歌い出した。
このときは帝國の恐怖などすっかり忘れている。
警戒心もなく、心穏やかに花と向き合う。
だから近付いて来た気配にまったく気づきもしなかったのだ。
「こんにちは」
優しい女性の声だった。
驚いてセレンは振り向いた。
そのとき、ジョウロの水が相手のドレスに!
「あっ、ごめんなさい!」
「大丈夫ですよ、この花も水が欲しかったのでしょう」
気品のある顔つきの女性は、そのドレスも大輪の花のように美しかった。
セレンはハンカチを持っておらず、自らの服で女性のドレスを拭こうと慌てた。
「本当にごめんなさい。突然だったもので、驚いてしまって、ごめんなさい」
「ですから、大丈夫ですよ。このドレスも綺麗な水が頂けて喜んでおりますわ」
花のような笑顔だった。
その笑顔に同性ながらセレンはドキッとした。
すぐにセレンは女性に見られていることが恥ずかしくなってきた。
同じ女性として、向こうは美しい花のようなドレスを着こなし、こちらは雑巾のように薄汚れた質素な尼僧服だ。
この尼僧服が気に入らないわけではない。愛着を持って大事に着ている。それでも、こんな美しいドレスを見せられてしまったら、羨ましく思ってしまうのは仕方がないことだった。
ぼうっとセレンがしていると、女性の声が現実に引き戻した。
「どうかなさいましたか?」
「あっ、いえ、美しい方だなぁって……はっ」
セレンは息の呑んで口を噤んだ。つい口に出して言ってしまった。
「ありがとう、嬉しいわ」
嫌みのない笑みで女性は答えた。
この場の空気と女性は見事に溶け込んでいる。それがセレンには複雑な思いだった。
教会を今まで独りで守ってきて、自分の居場所はここしかないのに、一瞬にして花のドレスを着た女性は、咲き誇る庭園を我が景色にしてしまった。
セレンは気負いながらも、静かに対抗心を燃やした。
「あの、この教会のなんのようですか?」
あくまで女性はこの教会の住人ではない。何かの用で訪れた客人だ。
「花の匂いに誘われて……わたくし花が大好きで、花を売っている方がいると聞いて、ここまで出向いたのですが?」
「そうなんですか!」
セレンの心に花が咲いた。
自分の育てた花がもらわれていくのは、寂しくもあるが、それ以上に嬉しいことだった。
「どの花になさいますか?」
笑顔でセレンは尋ねた。
「そうね、二本ほどあなたが選んでくれるかしら。できれば、土ごと頂きたいのだけれど、よろしい?」
「はい! 鉢がないので、新聞で土を包むことになりますけど大丈夫ですか? あっ、溢れないように何重にもして、丈夫に包みますから」
「あなたにお任せいたしますわ」
「ちょっと待っててください新聞紙を取りに行って……?」
セレンが走り出そうとしたとき、地面が少し揺れた。
だんだんと揺れが激しくなる。
地響きが聞こえた!
立っていられなくなったセレンが地面に手をつく。
地の底で何かが流れているのがわかった。
眼を丸くしたセレン。
地の底から水柱が天に昇ったのを目撃したのだ。
まさに土砂降りであった。
地中から水と共に噴き上がった土砂が、空から降ってきた。
それだけではない。
なにが起きたのかわからぬまま、セレンは鉄砲水に呑み込まれ流されてしまった。
叫び声すらあげられない。口を開ければ泥水が口の中に入ってくる。
流されたセレンは教会の壁に激しく打ち付けられた。
「うっ」
徐々に水が引いていく。
泥だらけになりながらセレンは立ち上がった。
「ああ……そんな……」
絶望的な声をセレンは漏らした。
美しく力強く咲いていた花々が刹那にして土砂に埋もれた。
同じく泥だらけになった女性がセレンに近付いてきた。
「大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫です。あなたこそお怪我はありませんか? ドレスもそんなに汚れてしまって」
「ご心配なく。それよりも……」
女性は少し離れた地面に視線を向けた。
同じ方向を見たセレンは、あまりの驚きにそれが現実だと思えなかった。
「アレンさん!」
「水といっしょに噴き上げられてきたらしいですわね」
「そんなことが……それよりも今は!」
セレンはアレンに駆け寄った。
泥だらけのアレンは気を失っている。
「アレンさん! アレンさん!」
セレンの呼びかけにも答えず、蒼白い顔をしてまるで死んだように動かない。
慌てながらセレンはアレンの呼吸と脈を調べたがよくわからない。
「脈が取れません!」
「慌てないで、落ち着いて、わたくしに代わってくださる?」
改めて女性がアレンの呼吸と脈を確かめた。
「まだ生きているわ」
「本当ですか!」
「ええ、辛うじて」
「……あっ」
セレンの目の前で女性はアレンに唇を重ねた。
その行為は人工呼吸というより、ただの接吻に見えた。
静かに唇が離された。
「脈も呼吸も正常に戻りましたが……可笑しいですわね」
「可笑しいってなんですか?」
「息を吹き返さない……この子、半分死んでいるわ」
「……半分」
その言葉にセレンは思い当たることがあった。
鼠色の金属に覆われたアレンの右半身。
作品名:魔導装甲アレン2-黄昏の帝國- 作家名:秋月あきら(秋月瑛)