徴税吏員 前編
大沢の抱えているものに局内で最高額の高額・悪質滞納者がいる。個人事業税5年分100万円近くに、自動車税20台、約80万円、おまけに不動産取得税も30万円、総額200万円を超える滞納を抱えている。屋号はインフォーマル産業といい、自動車販売から解体、不動産(とはいえ主に山林)取引、リサイクルショップ、ペットホテル経営など、いったい何を営むところなのかよくわからない。
「面倒だが、捜索やむなしだな」
国税徴収法142条には捜索ができると定められている。査察(マルサ)と表向きは似ているが、査察が脱税を摘発するのと違い、捜索は既に課税された税金を払わない者から、差押可能な財産を探し出すものである。
6月のある日の早朝、大沢はじめ、課内の捜索メンバーがその滞納者の自宅兼店舗に出向く。田村が徴税吏員証と捜索証を見せ、注意事項を説明して捜索が始まる。
羊田には車に全てタイヤロックを命じ、車を差押える。このタイヤロックにより税金が完納されるまでこの車を動かすことはできない。
大沢は店や居間のデジタルテレビやパソコンに差押の封印を貼る。しかし、これらはあくまでも見せしめの為の行為であり、真の狙いは債権を見つけることにあった。物(動産という)や不動産は公売にかけなければならないため、手間がかかるし、いくらで売れるかがわからない。預金や売掛のように額がはっきりしているものを大沢は把握したかった。
事務室に出向き、取引帳簿を見る。売掛先がないかを調べるためだ。預金通帳も全て目を通し、口座と入金元をチェックする。
そのような中で羊田が偶然にも保険証券を発見した。生命保険のようだ。これも証券番号を控え、写真を撮る。そして、捜索は終わり、皆職場へ引き揚げた。
捜索後、1週間経つもこの経営者からは何の音沙汰もない。ここは地方で車が生活の足として必須である。その車がタイヤロックされている以上、移動に大変不便を強いられるため、すぐ何らかのアクションがあるはずだが、なぜかここからはそういうのが見られなかった。
「ならば、次の手といきますか・・・・・・・」
大沢は独り言のようにつぶやきながら、また机に向かい、黙々と文書を作り始めた。
しかし、やはり局内一の高額悪質滞納とだけあって、簡単には財産が見当たらない。預金については、高額の借り入れがネックで残高の大きい日でもそれを上回ることはない。こういう場合は差押を行っても、金融機関側にその借り入れ金(反対債権)と相殺することが認められているため、差押えてもこちらには1円も入ってこないことが多い。
取引先を分析しても、現在のところ掛けはないと回答したか、取引先自体も滞納者で差押えても素直に応じる見込みが薄いところばかりであまり当てにならなかった。
しかし、一つだけ差押が可能な財産があった。羊田の発見した生命保険である。詳しく調べれば数十万の解約返戻金がある。これを差押えれば、保険金はもちろん、強制解約して解約返戻金を税金に充てることも可能となる。
大沢はこれを差押えて強制解約して返戻金を取り立てることとした。これでは完納にならないが、滞納の1~2割ぐらいは回収できる。
数日後、この事業主夫妻が窓口に現れた。
「あなたたちはなんてことをしてくれたんだ!命に関わる生命保険を取り上げ、生活の足である車にはあんなことをして乗れないようにして!生存権の侵害だ!これは暴力だ!」
夫が一方的にまくしたてる。直接応対していない羊田や和も、眉を動かさずそれと対峙している大沢が気になって仕方ない。その大沢の返しは意外なものだった。
「命?生活の足?生存権?あなたたちは大きな勘違いをしている。生命保険は貯蓄と一緒、モノで言うなら贅沢品で、仮に生活保護が必要な場合は解約して処分しないといけない。車も同様、不動産と一緒で財産(贅沢品)なのだから税金がかかるわけで、本当に貧しいのならまず売って処分しなければならない。それを所有できるなら、貴方達を生活困窮者とは判断しない。」
しばらく押し問答が続くが、最後に大沢が一言
「ま、あなた方がどう言おうといいですよ。我々はいつでも滞納処分で臨む。あなたたちはそれを踏み倒すために頑張る。どちらが勝つか、いい勝負じゃないか。」
淡々としながらも鋭い目線で滞納者に向かってそう言い放つ。大沢の威圧感にその夫婦も呆気に取られて席を立ち、帰った。
状況が理解できない和、「上手すぎる」と言わんばかりに感心した表情の狩野、羊田にはまたどちらが正しいのか、状況が飲み込めなかった。
翌日、その事業主が窓口に現れ、残額を約束手形で払うこととなった。外出中だった大沢に代わり、羊田がこれを受領。戻った後の大沢にこのことを報告すると「1日で降参しやがって(苦笑)」と多少、悔しげな表情を浮かべた。
羊田は「なぜそう淡々と強気に出られるのですか?」と大沢に問う。
大沢はこう言う。
「俺は何も特別なことはしていない。地方税法、国税徴収法の通りやっただけだ。とにかく法令を学ぶ。その運用例も学ぶ。人の言うことは信用しない。ま、法令に近い見解なら信用することもあるかもだけどな(笑)」
羊田は迷いで霞んでいた自分の目の前をクリアーにする方法を教わった気がした。(つづく)
6「徴収猶予・執行停止~法の定める温情措置」
急な斜面の続く山地にぽつんとたたずむように盆地が位置している。その真ん中に大河が流れ、山の間を這うようにして海に流れる。そんな地形のこの地方には梅雨から夏にかけて毎年のように大雨が降る。山々から流れ込んだ水はほぼ全てその大河を目指して流れ込むが、その河だけでは抱えきれず、毎年のように河川が氾濫し、家などを押し流す。また、大雨は山の斜面も洗い流し、土砂が容赦なく人家を襲う。
今年も例外なくこの地方に大雨がやってきた。床上・床下浸水、土砂崩れ、家屋崩壊などの被害情報が次々と局に入ってくる。道路も寸断され、外との接触が絶たれ、一時、事実上の「陸の孤島」と化す。納税課の職員も、後方支援要員として、普段の業務の傍ら、24時間体制で災害対策に駆り出される。
数日経ち、窓口に自動車税や不動産取得税の分納の相談に来る客がにわかに増えだした。こういう場合はまず理由を聞く。そうすると「収入が少ない」という答えが返る。それ以上は具体的に聞かず、納付方法の話に入り、3回程度で済むように話をまとめ、納付誓約書を取るのとひきかえに分納を認めるのが通例だった。
しかし、大沢は詳しい事情を把握せずに安易に分納を認める風潮に疑問を持っていた。本当に困窮しているのなら分納すら不可能ではないかと考えていたからである。こういう相談はだいたい末席の羊田や和が先に応対する。ある時「この前の大雨で車が被害を受けた。すぐに納税できる状況でない。」と理由を話し出した相談者に対して、和がいつものように分納の話を始めようとした時に、大沢がその中に割って入った。
「失礼します。先ほどあなたは車が被害を受けたとおっしゃいましたよね?どのぐらいの被害でしたか?個人事業をされていますか?その場合はどれぐらいの被害でしたか?場合によっては災害による減免に該当する可能性もあります。