徴税吏員 前編
一方の大沢はあまり残業をしない。残業をしても必ず時間外勤務命令を申請する(サービス残業をしない)。更に、昼間に給与明細を見ては親交会費の天引額の大きさを嘆いたり、「掛金の回収」と言い、互助会の福利厚生事業の中身の確認や申請書類を書くことにも余念がない。
その時、大沢の担当する滞納者から、また「●日夜まで待って」と電話が入った。しかしその日の夜からは宴会が予定されている。口にこそ出さなかったものの大沢は私事を理由にあっさりと断り、電話を切った。
それを見た和は「それで本当に県民サービスなのか?」と大沢に詰め寄る。
「では、アンタは24時間、365日、滞納者のためならどこでも駆けつける覚悟があるのか?それに、この滞納者には何度も裏切られているんだ。仮にこの日の夜まで待ったって払う保証はどこにもない。」
大沢の反論に対し、答えに詰まる和。
「仕事は自分のため、そのうちいくらか人のためにつながればいい。最初から人のためなんて傲岸不遜の奴の吐く台詞だ」
大沢はそう続ける。
「県民のために働かないなんて最低です。私には仕事以外でも異業種交流やボランティアなどで人のために働いている実感があります。あなたには私利私欲しか感じられません。」
和は反論する。すると大沢は
「私利私欲だから仕事じゃないか。金のため、生活のために何かをひきかえに提供する。俺は行政処分という役務を提供してその対価を受け取っている。それ以上でもなければそれ以下でもない。それが何かの公益につながればいい。それに服務規程に違反する行為もやってないし、何ら批判されるいわれはない。」
と返す。確かに大沢の仕事の進め方は異質だが、何ら服務規程に違反するものではない。更に徴収実績で見れば大沢は和を上回っている。
「俺はアンタより働いているし、結果も出している。業務実績や徴収実績など客観的な指標を見れば明らか。ま、経験年数も給料も違うから、アンタ以上に働かないと俺が税金泥棒と謗られるからな。」
「私より働いているって・・・・・」和は二の句が継げなくなる。
4「うち合わない」
羊田純一郎は25歳。この納税課が初任で今年2年目になる。課内では一番若く末席であるが、課長と新人時代の教育係だった和が正反対の方針だったこともあり、上司・先輩に振り回されて自分の徴収手法に自信が持てずにいた。そのため、何をするにも自信がなく、悩んでいた。
5月が終わり、相良局の徴収率は99.96%、順位は2位だった。
打ち上げの席で、課長の狩野は部下の労をねぎらいつつ、2位という結果に若干悔しさを滲ませた。主幹の田村は予想外の高さに興奮気味。一方、和は「だから何?」と言わんばかりの表情で、表面的に打ち上げに付き合っている気が伝わってくる。大沢も徴収率には無関心っぽいが、和とは違い、いつものマイペースぶりである。
いったい、誰の考えが真実なのか?羊田はわからずにいた。
ある日、一本の電話が鳴った。羊田が出た。
「この34,500円の請求書は何だ?」
「自動車税です。」
羊田が答える。
「自動車税って何や?俺は車は使っていない。」
「じゃ、調べますので車の登録番号を教えてください。」
「登録番号て何や?」
埒があかない。
「では、住所と名前で調べますので教えてください。」
「あ、それならよか。車は車検が切れて1年以上経っている。それでも税金がかかるのか?」
「車検が切れても抹消登録をしない限り、税金はかかり続けます。」
「抹消登録はどうすればいいのか?」
「運輸支局で手続きをするか、代理店に頼むかです。」
「そっちで代わりに手続きしてくれ。」
「いや、うちではそこまではやっておりません。」
「よかよか。何でも勉強。それが県民サービスたい。」
全然収拾がつかない。上司の田村に代わる。数十分にわたる押し問答のうえ、一旦電話は切れた。しかし、その後また電話が鳴る。羊田が出るが、数分押し問答を繰り返したのち
「アンタはひつじださんな。よくわかった。控えとくけん安心して。で、あのおなごはおらんか?」
仕方なくまた田村に代わるが、だんだん田村の口調が厳しくなっていくのがわかる。また数十分近くにわたるやり取りのうえ、顔を高潮させ、怒りに任せて電話を切るのが受話器を置く音でわかった。
「何が突然「How old are you?」よ!ふざけている。」
確かに。一見クレーマーのようにも聞こえるが、口調が人を小馬鹿にしたようで、普通のクレーマーとは異質であった。
翌日以降も電話は続く。羊田と田村が決まって標的にされた。後で調べてわかったことだが、このクレーマーは局内の他課や本庁にも電話をかけまくっては意味不明な要求を続けており、有名であったようだ。怒ったり、途中で電話を切れば、局長室や本庁の人事課へ電話が来る。人事課は機械的に謝罪の電話を入れるように言うが、それは火に油を注ぐようなものであった。クレーマーはますます調子に乗り「アンタのせいでこちらは傷ついた。どう賠償してくれるのか」という調子である。
ある日、またこのクレーマーから電話が来た。たまたま大沢が取った。
「●●ばってん、とりあえず、羊田さんか田村さんはおらんか?」
突然、大沢は
「Oh!Mr、●●.Who are you?」
クレーマーは
「アンタが名乗らなんたい!」
と言うが、大沢は続けて
「No,Thank you アハハハハハハハ・・・・・」
突然英語をしゃべり出し、ふざけた口調に課内の誰もが呆気に取られる。
「県民相手にその口の聞き方は何だ!」
「エブリケンミン、カミングアウト(笑)」
最初は威勢の良かったクレーマーも、大沢の粘り強いふざけた口調に諦め、電話を切った。
羊田が駆け寄る。
「大沢さん、あんな返し方で良かったんですか?また局長室や人事課に電話が来ますよ。」
「かまわんよ。彼が妨害行為の電話をして楽しんでいるだけというのは既に局長や人事課も知っている。ああいうのは真面目に取り合えば取り合うだけこちらが馬鹿を見る。事情を知っているから少なくとも局内までは事実確認はあってもお咎めなしだというのは見えてくる。仮に人事課が機械的に謝罪するように言っても絶対に謝罪しない。それで処分を受けるならそれまでだ。ま、処分まではできないだろうがね(笑)」
大沢は続けて
「これにうち合うのが正当な県民サービスか?妨害行為とは考えなかったのか?不当要求や行政対象暴力について勉強しろ。もともとこういうのはICレコーダーで録音し続けて、頃合を見計らって警察に届けるべき案件だったんだ。」
ばつが悪い表情の狩野と田村。その一方で大沢の研究熱心さやブレない姿勢を見て、羊田は少し目の前が開けてきたような感じになった。
その後、そのクレーマーからの電話はかかって来なくなった。また後日、そのクレーマーは昼間から酒浸りになり、その勢いで電話して来ていたことも判明した。
5「差押が勝つか踏み倒しが勝つか、いい勝負じゃないか」