LITTLE 第一部
しかし、ただ一人だけ。
一番いなくてはならない人が、そこにはいなかった。
麗太君のパパだ。
ママは彼に関して、何かを言う事はなかった。
「あの子、沙耶原麗太君でしょ?」
「そうそう。まだ、小さいのにお母さんを亡くしちゃって。沙耶原さん家のお母さん、随分と若かったのにねぇ」
周りからの同情の眼差しや声が、麗太君に集中する。
彼は私の服の袖を、ギュッと握った。
そういえば、ママはどこへ行ったのだろう。
周りを見渡すと、他の参列者の人達と何かを話しているのが見える。
今、麗太君を守ってあげられるのは、私しかいないのだ。
お坊さんの棒なお経と共に、参列者が線香をあげる為に、列を作って仏壇を周る。
ママの番が来ると、私と麗太君に「こうするのよ」と言い、線香に蝋燭の火を灯し、灰の積もる線香立てに差した。
次の番が周って来た私も、ママと同じ事をする。
線香を差した時、棺の中で眠る麗太君のママが僅かに見えた。
透き通った白い肌や穏やかな寝顔、およそ遺体には見えなかった。
葬儀が終わると、火葬場へ遺体を運ぶのだそうだ。
参列者も、それに同行する事になっている。
つまり遺体を焼いた後、出て来た遺骨を参列者が専用の箸で拾う、という事らしい。
それを聞いて、背筋が凍った。
遺骨の骨を箸で拾うなんて……そんな光景を見ただけで、私は泣いてしまうかもしれない。
逃げ出したい。
しかし、そんな事をすれば周りの人達に迷惑が掛かる。
麗太君のママの死に、皆が悲しんでいるのだ。
私の自己中心的な行動で、場の空気を壊す訳にはいかない。
今は我慢するしかないのだ。
葬儀場から、参列者貸し切りのバスで、火葬場まで行く事になった。
窓側に私、真ん中にママ、その隣に麗太君で、バスの一番後ろの席に座った。
バスが走り出す。
窓の外では、見慣れた街の景色が流れていた。
ぼーっと眺めている内に、徐々に見慣れない景色へと変わっていく。
街の郊外へ来たのだ。
窓の外の見慣れない景色を見るうちに、私の中では少しずつ恐怖心が膨らんでいた。
暫くすると、火葬場に到着した。
広い駐車場と、その隣に芝生が茂る広い平野。
その中心に、石造りの綺麗な建物から、長い煙突を空に向かって真っ直ぐ伸ばした火葬場があった。
おそらく、燃やした遺体から出る煙は、あの煙突を通って空へ登るのだろう。
停車場に着くと、私達はバスを降りた。
参列者が、ぞろぞろと建物の中へ入って行く。
私達も、それに続く。
近くにいるママや麗太君は勿論、皆が顔色を悪くしている。
先日まで生きていた近しい人が突然死に、遺体を焼かれる。
その有様を、私達は見届けなくてはならない。
誰も良い気分には、なれない筈だ。
目の前には、五つの固い金属扉が並んでいた。
手前には柵で仕切りがされており、私達は柵を挟んで扉の前に立っている。
棺桶に入った遺骨が、火葬場の人達によって運ばれて来た。
扉が開かれ、棺桶が中に入れられる。
そして、扉が閉められた。
「一時間程で火葬は終わります。待合室がありますので、そちらでお待ち下さい。火葬が終わったら、知らせますので」
皆が待合室へ歩いて行く中、麗太君だけはその場を動こうとはしなかった。
ただ強く拳を握り、扉を見ている。
ママは察した様に私に言う。
「麗太君の事、今は一人にしてあげましょう」
私は黙って頷き、ママの後に付いて行った。
火葬が終わったという報告が届き、皆が待合室を出る。
その頃には、麗太君も私の隣に戻って来ていた。
しかし、戻って来ても言葉を交わす事はなく、私もママもずっと黙っていた。
いつもの様に笑いながら、言葉を交わす気分にはなれなかったのだ。
重い足取りで歩く私と麗太君に、ママはこっそりと言う。
「二人とも、収骨が終わるまで外にいなさい」
「いいの?」
「あなた達は、まだ小学五年生じゃない。収骨をする所なんて、残酷すぎて見せたくないの。特に、麗太君には……」
麗太君は何か言いたげな顔をして、メモ用紙を出す。
一度、横目で私を見てメモ用紙をしまい、ママに一礼した。
きっと、私の事を考えてくれたのだろう。
火葬場に来てから、収骨の事ばかりを考えてしまって、ずっと気分が優れなかったから。
「それじゃあ、待合室は閉められちゃったから、あなた達は外で待ってなさい」
ママは私達の頭を撫で「じゃあね」とだけ言って、収骨に向かった。
外に出ると、春の風が優しく頬を撫でた。
駐車場の隣には芝生がある。
「麗太君、あそこ行こう」
麗太君を連れて芝生の上に立った。
気持ちの良い風、草の匂い、先程までの嫌な気分が嘘の様だ。
しかし、私の隣にいる麗太君はずっと俯いている。
折角、重苦しい雰囲気を抜けられたんだ。
何か明るい言葉を掛けなくちゃ……。
「気持ち良いね。風とか草の匂いとか。家の近くに大きな公園があるんだけど、今度、ママと行こうよ。とっても気持ちが良いの。緑がいっぱいで、噴水とかがあって」
必死に言葉を投げかける私を余所に、麗太君は火葬場の煙突の方を見た。
さっきまでは、あそこから遺体を焼いた煙が上がっていたのだろう。
麗太君は私の方へ向き直り、メモ用紙に何かを書いて、それを見せた。
『母さんを殺したのは僕』
良く晴れた日の昼時。
麗太君は、家の庭でサッカーボールで遊んでいた。
麗太君のママは花に水をあげながら、その光景を見ていたという。
誤ってボールを道路に出してしまった麗太君は、慌ててそれを追い掛けた。
自身では気付かなかったのだそうだ。
そこにトラックが走って来ていた事を。
麗太君のママは、ボールを持って道路に立っている彼を突き飛ばし、自分が身代りになった。
これが麗太君の言い分だった。
「でも、こんなの……麗太君が殺した事になんてならないよ。こんなの、ただの事故だよ」
『本当は僕が死ぬ筈だった』
「駄目だよ……そんな事言っちゃ……」
『本当は僕が死んだ方が良かったんだ』
泣きながらメモ用紙に、苦悩の言葉を書きならべる。
「やめて……」
静止する様に言っても、麗太君は聞かずに書き続ける。
『死ぬのは僕で良かった。僕が死ねば良かった。こんな事になるのなら』
麗太君は新しいメモ用紙のページを捲り、その続きを書いた。
『生まれて来なければ良かったんだ』
「やめて!」
気付いた時、私は彼の頬を強く叩いていた。
「そんな事言わないで! 麗太君のママは、麗太君を守る為に犠牲になったんだよ! それなのに、生まれて来なければ良かったなんて……言わないでよ! 麗太君のママは、そんな事望んでないよ!」
麗太君は唖然としている。
私が手をあげるなんて、思ってもみなかったのだろう。
「……ごめん」
怒鳴って手をあげた次には、謝っていた。
男の子の頬を叩いたのなんて、始めてだ。
でも、きっとクラスメイトのマミちゃんなら容赦しないんだろうなぁ……。
ボールをぶつけて来た男子をビンタで泣かせちゃう様な子だし。
『ごめん。もう言わない』
作品名:LITTLE 第一部 作家名:世捨て作家