小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」
世捨て作家
世捨て作家
novelistID. 34670
新規ユーザー登録
E-MAIL
PASSWORD
次回から自動でログイン

 

作品詳細に戻る

 

HOPE 第五部

INDEX|6ページ/7ページ|

次のページ前のページ
 

 沙耶子のピアノの才能は、この人からというわけか。
 部屋を見回すと、中心にはピアノ、壁には幾つもの楽器が据え付けられている。
「そういえば、ここで何か音楽関係の仕事でもするんですか?」
「ええ、そのつもりです。ピアノ教室でも始めようかと」
「そうですか」
 俺は立ち上がる。
「そろそろ、帰ります。今日はありがとうございました」
「いえいえ。ああ、そうだ。よかったら、これを食べて行って下さい」
 クッキーと紅茶を差し出された。
 俺は苦笑しながら、渋々とそれを食べた。

  ♪

 気が付けば、フリーター生活にもだいぶ慣れていた。
 バイトの幅を増やす為に、車の免許まで取った。
 仕事以外で、あまり乗る事はないのだが。
 そういえば、隼人は大学に進学し、現在は大学一年生だ。
 俺も、高校に生き続けていれば、大学へ進学できたのかもしれない。
 いつもの様にバイトを終え、沙耶子のいる病室へ行った。
 やはり見る光景はいつもと同じ。
 ベットの上で穏やかそうに眠る沙耶子の姿。
 それだけだ。
「……沙耶子……」
 そう呟いた時だ。
 彼女の目が、ゆっくりと開いた。
 俺は驚きの余り、看護婦の呼び出しブザーを押す事も忘れていた。
「沙耶子……良かった。本当に良かった!」
 喜んでいる俺を余所に、沙耶子は虚ろな目で俺に問う。
「あなた……誰?」

 何もかもが、うまくいくとは限らない。
 沙耶子は、今までの記憶を失っていた。
 隼人は、そんな沙耶子を見て悲観していた。
 俺が、しっかりしなくては。
 そう思った。
 俺が折れたら、沙耶子は誰にも救われない。

 
 数年間、使われる事のなかった沙耶子の体は、リハビリなしに動ける様な状態ではなかった。
 彼女のリハビリを終えた後、沙耶子は隼人の家で、彼の妹として暮らす事になった。
 俺も、隼人も、それを望んでいたから。

 二週間程して、沙耶子は再び高校へ通う事を決意した。
 勿論、学校は沙耶子が以前通っていた所だ。
 沙耶子にとって、知り合いも誰もいない学校。
 良い友達が出来ると良いのだが……。


 沙耶子には今までの記憶がない。
 俺や隼人にとって、それは悲しい事だ。
 しかし、沙耶子にとっては今の生活が幸せな筈。
 なら、今のままで良いのではないだろうか。
 そんな考えが浮かんでいた。

 隼人の話によると、沙耶子にとって目標ができたそうだ。
 宮村想太という彼女の先輩で、放課後に二人でピアノとヴァイオリンを演奏しているという。
 良かった。
 沙耶子にとって、頼りになる人が出来たのなら安心だ。



 地元のファーストフード店で、偶然にも蓮に会った。
 二人で椅子に座り、ポテトを摘まむ。
「久しぶりだな、綾人。今は、何をやってるんだ?」
「バイトだ。でも、沙耶子の目が覚めたから、少しだけバイトの量を減らしたんだけどな」
「そうか。本当に良かった。沙耶子ちゃんの目が覚めて。じゃあ、晴れて感動の再会ってわけか」
 蓮はニヤニヤしながら俺を見る。
「ああ。そうだな……」
 言い出せなかった。
 今、俺や沙耶子が置かれている境遇。
 そして、隼人の存在を。
 本当の事を何も話せない。
 そんな自分が、情けなくて憎らしくて仕方がなかった。



 それぞれが穏やかに日常を過ごしている。
 そんな矢先、悲劇は起こった。
 沙耶子が学校からの帰り道に不審者に襲われ、病院に運ばれたという知らせが入った。
 俺は急いで車を走らせ、病院へ向かった。
 幸い、命に別状はなかった様で、外傷は擦り傷程度だった。
 しかし、沙耶子と一緒にいた彼女の先輩、宮村想太は肩に重傷を負ったらしい。



 暫くして、沙耶子が目を覚ました。
 しかも、彼女の口振りから察するに、記憶は完全に戻っていたのだ。
 医者の話では、何か大きなショックを受けると、忘れていた記憶が戻る事があるという。
 病室のベットで沙耶子は半身を起こし、俺にしがみ付いた。
「……怖かったよ」
 沙耶子の声は震えていた。
 余程、怖かったのだろう。
 俺の体にしがみ付く彼女の頭を、優しく撫でてやった。


 沙耶子は昨日あった事について、何かを語る事はなかった。
 昨日の夜、二人を襲った不審者の事も分からないうちは、沙耶子を一人で外に出す訳にはいかない。
時計を見ると、バイトの時間が迫っていた。
 隼人の携帯に、沙耶子の事を伝え、俺は病院を後にした。



 バイトを終え、沙耶子の事を確認する為に隼人に電話を掛けた。
 数回のコールが鳴る。
 しかし、隼人が電話に出る事はなかった。
 いつもなら、すぐに電話に出てくれるというのに、一体どうしたのだろう。
 根拠のない、それでいてとてつもなく嫌な予感がした。

 病院へ行くと、沙耶子は眠っていた。
 看護婦の話によると、突然気が狂ってしまい、鎮静剤を打って大人しくさせたそうだ。
 更に、病院のどこを探しても隼人が見つからない。
 携帯に電話を掛けても、繋がる事はかった。
「どこに行ったんだよ……隼人……」



 隼人が死んだ。
 その唐突な知らせが俺の耳に届いたのは、一週間後の事だった。


  ♪


 精神的な治療やカウンセリングを終え、沙耶子は退院した。
 それは二月の中旬の事だった。
 病院の入り口に車を停車し、俺は沙耶子を迎えた。
「退院、おめでとう」
「うん、ありがとう」
 沙耶子は、あの日以来、笑う事はなくなった。
 そんな沙耶子の目は、どこか虚ろだった。
 隼人の住んでいた家に沙耶子を送り、俺は自分の家に帰宅した。
 悲しくてたまらなかった。
 たった数年間で、俺達は大切な物を失くし過ぎたから。


 数日後、沙耶子に電話を掛けた。
「ピアノ教室?」
「ああ、行ってみないか? ここから近いし」
 先日、沙耶子は学校を辞めた。
 このままではいけないと思った俺は、沙耶子の祖母が経営するピアノ教室へ、彼女を連れて行く事を考えたのだ。
 勿論、沙耶子はそこに自分の祖母がいる事なんて知る由もないが。

 その家の表札は、『ピアノ教室』という看板で隠されていた。
 俺達がここに来る事は予測済みだったのだろうか。
『どうぞ。上がって下さい』
 スピーカーから聞こえる声に言われた通り、俺達は家に上がった。
 部屋の中は、前に来た時と何も変わっていなかった。
「そこに座っていてください」
 奥の部屋から、老婆の声が聞こえた。
 言われた通り、俺達は窓際の椅子に座る。
「ちょっと、待っていて下さいね。今、飲み物とお菓子を持って来ますから」
 なんとなく、分かっている。
 あの人の出す物といえば、あれしかない。
「おまたせ」
 トレイには、やはりあの苦い紅茶とクッキーが乗っている。
 俺は軽く溜息を吐き、沙耶子の事を話した。
 老婆は察してくれたのか、自分が沙耶子の祖母であると感付かれる様な言動は見せなかった。
 そんな二人の会話を、俺は黙って聞いていた。
「今、ここで教わっている生徒は、まだ四、五人しかいないんです。あなたの様な経験者がいてくれると、私にとっての音楽の幅も広がって、とても助かるんですよ。どうでしょう? 暫くはお試しという事で」
作品名:HOPE 第五部 作家名:世捨て作家