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世捨て作家
世捨て作家
novelistID. 34670
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HOPE 第五部

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「良いんですか?」
「ええ、勿論」
「ありがとうございます!」
 沙耶子は、とても嬉しそうだ。
 こんな彼女を見たのは久しぶりだ。
「それでは、明日からここに来てください。他の生徒さんとも、顔を会わせたいので」
「はい!」
 いつか、沙耶子は気付く日が来るのだろう。
 この老婆が、自分の祖母だという事に。
 友人や恋人とは違う、自分にとって最も近い存在。
 家族。
 きっと、沙耶子はその温もりを知る筈だ。



  ♪



 数日分の洋服や必需品の入った旅行鞄と、大金の入った分厚い財布。
 戸締りを確認し、自宅を後にした。
 降り注ぐ日射しは、夏の訪れを予感させている。

 今日、俺は雫に会いに行く。
 ようやく決心が着いたのだ。
 いや、もしかしたら、ここ数年で失くした物が多過ぎて、寂しくなっただけ。
 だから、そんな寂しさを紛らわす為だけに会いに行くのかもしれない。
 本当のところは、自分にもよく分からない。

 新幹線に乗り三時間程。
 その後に数本の電車を乗り継ぎして、目的地に着いた。
 駅から出ると、すぐ側に海が見えた。
 とてもよく潮が香ってくる。
 見渡した海はどこまでも広がっていて、向こう側には水平線が見えた。
「たしか、駅に迎えが来てる筈……」
 辺りを見回すと、一台の車が海沿いの道路に停まっている。
 赤くてコンパクトな外車。
 たしか、あれは親父が使っていた愛車だ。
 駆け寄ってみると、やはり側には親父がいる。
「親父」
 俺が呼ぶと、彼はこちらを振り向く。
「おう、ようやく来たか」
「どうして、ここにいるんだよ? 野球はどうした?」
「休養だよ。まあ、お前を屋敷に送ったら東京戻るけどな。とりあえず、乗れよ」
 俺は親父の隣の助手席に座った。
 外車ならではの激しいエンジン音が掛かり、海沿いの道路を走る。
「なあ、親父。どうして、ここにいるんだ? 家に案内する為だけに、ここに休養を貰って来たんじゃないんだろ?」
「まあな。久しぶりに、お前に会いたかったんだ。雫にも最後に会っておきたかったからな」
 雫。
 きっと、もう長くはないのだろう。
「あいつ、元気にしてたか?」
「ああ、元気だったよ。後先が短い事を知っていても、あいつは頑張っていた。綾人、お前に会う為にだ。他にも理由はあるがな」
 他の理由。
 そんな事は気にならなかった。
 ただ、俺の事を考えてくれていた。
 それだけで充分に嬉しかったのだ。


 車で着いた場所。
 そこは大きな敷地を占める館だった。
 海沿いにある為、とても日当たりが良い。
 親父は門の前で車を停めた。
 車から出ると、気持ちの良い潮風が頬を撫でた。
「ここが、雫が療養中の……」
「ああ、そうだ。ここは街から外れているが、少し歩けばコンビニやスーパーもある。買い物をする時は、そこへ行け。まあ、家政婦がいるから必要はないと思うが」
「分かったよ」
「じゃあ、俺は東京の方へ戻るから。後は頼むな」
 そう言うと、親父は車で海沿いを走って行った。
「ここに……雫が……」
 門を開け庭に入った。
 女優の母親とプロ野球選手の父親。
 その実力は、こんな屋敷一つを簡単に手に入れてしまう物なのだ。
 石で固められた道は、真っ直ぐに玄関に続いていた。
 玄関で、インターホンを押す。
 少しの間が空き、立て開きの大きなドアが開いた。
 玄関には年的に四十程の女性がいる。
 おそらく、家政婦だろう。
「烏丸綾人様ですね?」
「はい」
「雫様がお待ちかねです」
 上の階の一番奥の部屋に案内された。
「どうぞ」
 とだけ言うと、家政婦は持ち場へ戻ってしまった。
 ここに数年間もの間、想い続けた雫がいる。
 ドアノブに手を掛け、ドアを開けた。
 部屋に入った瞬間、一人の少女と目が会った。
 ベットに座り、半身だけを起こしている。
 長くて黒い髪、白くて細身な容姿。
 それらは、どうしてか沙耶子の面影を連想させた。
 それでも、ここにいるのは雫だ。
「雫……」
 雫は一瞬だけ驚いた様な顔をして、俺に微笑んだ。
「お帰り、お兄ちゃん」
 彼女の言葉を聞いた瞬間、涙が溢れて来る。
 視界が歪む。
「おいで。お兄ちゃん」
 俺は彼女の胸に飛び込み、泣いた。
 今までの悲劇。
 雫の妊娠と中絶。
 沙耶子の受けた虐め。
 それを機に俺が起こした暴力沙汰。
 沙耶子が屋上から落ちた事。
 光圀の一件。
 隼人の死。
 そして、沙耶子との決別。
 それら全てを吐き捨てる様に、涙と共に流す様に、俺は声を上げて泣いた。
「辛かったんだね。でも、もう辛い思いはしなくて良いんだよ」
「ああ……そうだな」
 かつて、俺は何もかもを失った。
 でも今は、ここに雫がいる。
 雫だけが、俺にとっての最後の希望だ。
 いつかは俺の前からいなくなってしまうのだろうけど、今だけは一緒にいよう。
 遠くない未来、雫の死が俺達を分かつまで。
作品名:HOPE 第五部 作家名:世捨て作家