HOPE 第五部
しかし、美咲だけは真っ直ぐに俺を見ていた。
その光景を見ていた周りの男子が俺を取り押さえる。
腕や足を掴む男子達を、俺は一気に振り払い、次に二人の女子の胸倉を掴み、壁に叩き付けた。
もう、自分という人間が分からない。
皆、死ねば良い。
沙耶子や俺を苦しめる奴は、死ねば良いんだ。
気付いた頃、周りには俺に殴られて伸びている数人の女子と男子。
それと、ただ俺を茫然と立ちながら見つめる美咲の姿だけがあった。
倒れている女子の一人の上に座り、顔面を殴り続ける。
「沙耶子を虐める為だけに、美咲を利用したんだろ!? そうなんだろ!?」
力任せに殴り怒鳴る俺に、下で伸びている女子は掠れた声で泣き啜りながら言う。
「ごめんなさい……全部、私達が悪いんです。宮久保を虐める為に、美咲を利用して……。光圀先輩は何も関係ありません。私達が悪いんです」
彼女の胸倉を掴み訊く。
「どうして、沙耶子を虐めた!?」
「だって……ムカついたから……。あんなに可愛くて……。でも、左手首には傷があって……。それを見ていたら、あんなに虐めがいのある子はいないと思って……」
もう、まともに会話すら出来ない様だ。
現に、俺が殴り続けている彼女の顔面は、血や痣で埋め尽くされている。
彼女の眼球が虚ろに上を向く。
俺は、殴り続けた女子を床に捨て、次は手身近で倒れている女子にまた同じ事をした。
それを繰り返しているうちに、数人の教員が来る。
「烏丸! 何やってるんだ!?」
一人が怒鳴り、俺を羽交い絞めにする。
「おい、放せよ! このセンコーがよぉ!」
「落ち着け! 烏丸!」
他の教員が、そこら中に伸びている女子や男子に駆け寄った。
「おい、大丈夫か!?」
教員に起こされた女子や男子は、虚ろな目で教員にせがむ。
「先生……違うんです。全部、私達が悪いんです。烏丸君は……悪くないんです……」
「烏丸君は、悪くありません。僕達が悪いんです……。何もかも」
俺は一気に脱力した。
先程までの活気が嘘の様だ。
俺の起こした暴力の後に残った物、それは自身の中にだけある達成感だった。
その後、二週間の自宅謹慎を余儀なくされた。
あれだけ暴れれば当然だろう。
しかし悔いはない。
きっと沙耶子に手を出す奴はもういないから。
日中の家の中は、叫びたくなるほど静かで、寂しかった。
音のない家の中に俺は一人。
静か過ぎて、気が狂ってしまいそうだった。
昼間の街を、ただテキトウに歩く。
街を巡回する警察やパトカーの影に怯え、結局は家に戻る。
そんな事を繰り返して、謹慎期間を過ごした。
謹慎の最終日の夜、俺の家に沙耶子が来た。
「学校で渡されたお手紙とか持って来たんだけど……」
「おう、入れよ」
沙耶子を家に上げた。
彼女が俺の家に入るのは、もう数カ月振りになる。
あの頃を思い出すと、なんだか寂しくなった。
「これ、学校で貰ったお手紙。あと、蓮君が今日までの分のノートのコピーを作ってくれたの」
数枚の手紙と、蓮がコピーしてくれたノート。
まさか、あの勉強の苦手な蓮が、こんな事をするなんて。
「ありがとう。学校は、どうだ? 何かされたりしてないか?」
「私は大丈夫。でも、蓮君と美咲ちゃんが……」
「あいつらが、どうかしたのか?」
俺が謹慎で野球部から抜けた為、夏大は初戦からボロ負けだったらしい。
皆のモチベーションが下がっていた事もあるが、蓮は俺の不在が一番の敗因だと言ったそうだ。
彼女の話によると、先日から蓮が美咲を拒絶する様になった。
俺が暴力を起こした原因が美咲を含む、あの集団の女子グループだと判断した蓮は、彼女を憎む様になったのだそうだ。
更に、夏大の初戦敗退。
蓮にとって、それは本当に残念な事だったのだろう。
「美咲は、ただ利用されてただけだ」
「うん。でも、蓮君は本当に美咲を恨んでる。何とかしなくちゃ……」
他人を気遣っている余裕なんてないだろうに、沙耶子は必死だった。
俺は彼女の手を握る。
「俺達で、あの頃を取り戻そう。四人で笑い合っていた、あの頃を」
「うん」
沙耶子、蓮と美咲、四人で過ごした、あの日々を守りたい。
ただ、それだけを願っていた。
翌日、俺は蓮に美咲の事を話した。
すると蓮は、いつもとは違った冷めた表情で「……そうか」とだけ言い、俺の前から去ってしまう。
久しぶりに会った蓮は、どこか抜け殻の様な目をしていた。
夏が終わり、受験の時期が迫っていた。
俺達の様な三年生は部活を引退し、受験勉強に励んでいた。
放課後に、沙耶子と図書室で勉強するのが最近の日課だ。
俺と蓮は、前から目標としている高校へ行く事に決めている。
蓮はスポーツ推薦で行くそうだ。
俺も推薦を狙っていたが、謹慎を受けた身だ。
そんな我儘は言っていられない。
美咲はと言うと、俺と蓮が行くのと同じ学校へ学力推薦で入るそうだ。
同じ学校を目指す事を期に、仲直りしてくれれば良いのだが、そうもいかない様だ。
「沙耶子は、どうするんだ?」
「私は、隣町の高校に行こうと思ってる。知り合いの少ない新しい所から、また始めたいの」
たしか、その学校って光圀先輩が行った学校だった様な……。
「その学校って、光圀先輩が行った所じゃないか?」
「うん。でも、たぶん会う事はそんなにないと思う」
そういえば、どうして光圀先輩は、沙耶子に告白なんてしたのだろう。
それに、美咲を振った理由も、結局は分からず終いだ。
三月を過ぎると、重くなっていたクラスの雰囲気が活気付いてきた。
蓮や美咲は、愛でたく推薦に合格した様で、だいぶ気が軽くなったようだ。
早速、蓮は高校野球に向けて体力の向上に励んでいる。
美咲はというと、逆にする事がなくて困っているという。
俺や沙耶子も一般入試を終え、後に訪れた合否の結果は合格だった。
♪
沙耶子の様子がおかしい。
それに気付いたのは、受験が終わって間もない日の事だった。
俺と話している時も、どこか上の空で、ずっと左の手首を押さえている。
そういえば、左手首の傷はまだ癒えていないのだろうか。
沙耶子の家庭事情や色々な事を察するに、あまり深入りは出来なかった。
しかし、今ならその事に関しても支えになってあげる事が出来る。
そう思えた。
土曜日に沙耶子と街へ出掛けた。
少しでも、沙耶子に笑っていて欲しかったから。
一緒に映画を見て、食事をして、何件か店を周って買い物をして、本当に楽しかった。
「沙耶子。これ取っとけよ」
俺は沙耶子に、先程の店で買ったリストバンドを渡した。
「これ……」
もう一つ、同じ物を俺は自分の腕に着けている。
「ほら、おそろい」
沙耶子は嬉しそうに笑う。
「今時、お揃いなんて……」
「あ、笑うなよ」
「でも、ありがとう」
沙耶子は左手首に、俺と同じリストバンドを着けた。
傷を隠せれば、辛い気も紛れるだろう。
そう思っての、彼女への初めてのプレゼントだった。
休み明け。
昼休みの屋上で、俺は沙耶子と二人で話をした。