HOPE 第五部
俺達は、そんな険悪な状態で中学三年生へと進学した。
蓮とは同じクラスになれたのだが、美咲と沙耶子とはバラバラになってしまった。
蓮は俺に問う。
「あいつらの事、心配なのか?」
「……」
何も、答える事が出来なかった。
こんな自分が情けなくてしょうがない。
沙耶子、蓮、美咲に対して、本当に申し訳がなかった。
♪
中学三年生の夏前。
皆が夏服である半袖に衣替えをする時期。
沙耶子だけは、長袖のブラウスを着ていた。
おそらく、左手首の傷を隠しているのだろう。
徐々に傷付いていく彼女を見ている事しか出来ない。
そんな自分に失望していた矢先、蓮は周りの目を気にする様に、俺を屋上へ連れ出した。
夏の生温い風が吹く屋上で、蓮は俺に告げる。
「お前は野球部のピッチャーだ。だから、あまり下手に行動して問題は起して欲しくない。俺自身、正直に言うと怖いんだ。でも、俺自身が落ち着いていられない。だから、言うよ」
やたらと長い前置きにイライラしつつ、俺は怒り交じりに訊く。
「何だ? お前は俺に何が言いたいんだ?」
蓮の顔が徐々に強張っていく。
「野球部のマネージャーの奈菜ちゃんから聞いた話なんだけど……沙耶子ちゃん、虐めに遭ってるらしいんだ」
「!?」
「しかも、虐めてるのは美咲がいる女子グループらしい」
その言葉を聞いた瞬間、俺の中である衝動が芽生える。
俺は蓮の胸倉を掴み、声を荒げた。
「誰だ!? 美咲以外にも虐めてる奴がいるんだろ!? 誰だ!? そいつらは、どこにいる!?」
蓮から訊いた話によると、三年生用の女子トイレで、休み時間になるとしょっちゅうそんな事が起きているらしい。
周りの目なんて気にしていられない。
沙耶子を守ってみせる。
ただ、それだけの衝動が自分自身を動かしていた。
俺は女子トイレのドアを容赦なく蹴り開けた。
トイレの中では、数人の女子が床に倒れている何かを囲んでいる。
そこら中には、ブラウス、スカート、上履きやハイソックスや下着が散乱していた。
俺は数人の女子を強引にどかし、床に倒れている何かに近付いた。
近付いて、すぐに分かった。
沙耶子だ。
乱れた長い髪、剥き出しになった色白で細身な胸や腰。
彼女は全裸だった。
「どうして……こんな……」
屈んで彼女の体を優しく抱き、俺を上から見下ろしている数人の女子に怒鳴った。
「どうして……どうして、こんな事をした!? こいつが何をしたってんだよ!?」
よく見ると、数人の女子の中に美咲がいる。
彼女の俺を見る目は、どこか悲しげだった。
「おい!」
女子の集団へ怒鳴る俺に、沙耶子のか細い声が掛かる。
「綾人君……ここ、女子トイレ……だよ? 駄目だよ……こんな所に入って来ちゃ……」
どうして、こんな時にそんな事を言っていられるんだ。
その後、ふらふらな沙耶子に服を着せ、茫然と立ち尽くす女子の集団を横切り、彼女を保健室へ連れて行った。
前にも、沙耶子を担いで保健室に行った事があったなぁ。
あの頃は楽しかった。
いつから、俺達の日常は変わってしまったのだろう。
保健室のベットに沙耶子を寝かせた。
幸い、先生はいない様で、面倒な事にはならなかった。
しかし、この事は学校側に報告するべきだ。
俺が彼女達に怒鳴り付けても、おそらく虐めは終わらないのだから。
立ち去ろうとする俺を、弱々しくて細い声が呼び止める。
「待って……」
振り向くと、沙耶子は立ち去ろうとする俺に手を伸ばしていた。
その手を、俺は両手で握る。
「ねぇ……どうして、美咲ちゃんは……私を虐めるのかなぁ……。私が、光圀先輩に告白されたから? それとも、私が気味悪いからかなぁ……。もう、文化祭の頃には戻れないのかなぁ……」
沙耶子は今にも泣き出しそうな目で、俺を見ている。
「大丈夫。きっと、戻れる。お前に辛い想いはさせないから。だから、今はゆっくりと……おやすみ」
彼女の手を布団にしまい、俺は保健室を後にした。
職員室へ行き、沙耶子のクラス担任へ、彼女に関する虐めの事を話した。
すると、担任はまるで興味がなさそうに「ああ、そうか。それじゃあ、きつく言っておくよ。他に用は?」
「いえ……特には……」
「そうか。じゃあ、早く出て行ってくれ。忙しいから」
渋々と職員室を出ると、数人の教員の声が職員室から聞こえた。
「それにしても、クラス内での問題も面倒なものですね。まったく、虐めだなんて。うちの学校にある訳ないのに」
「最近の子供は、ドラマやアニメの影響が強いですからね。まあ、しょうがないのではないでしょうか。それに、虐めが本当にあったとして、うちのクラスの宮久保さん。友人関係や社交性を見ても、あれほど虐められっ子として当てはまる生徒はいないと思うんです。だから、ある意味で良い経験なんじゃないですかねぇ。虐めというのは」
「そうですね。どうせ、卒業してしまえば、虐め自体が続く事は、そうありませんからね。まあ、時間が解決してくれるでしょう」
俺は悟った。
大人は役に立たない。
俺には親がいるが、いつ帰って来るかも分からない。
友人に言うにしても、蓮に迷惑は掛けたくない。
こうなったら、俺自身が動くしかない。
美咲のいるクラスは、男子よりも活発な女子の方が多いようだ。
美咲の元へ行き、先程の沙耶子に関する話を持ち掛けた。
周りには、トイレにいた連中が白い目で俺を見ている。
全員が女ながら、どこか怖い。
「美咲、さっきはトイレで何をしていたんだ?」
「……」
「沙耶子が、お前に何かしたのか?」
「……」
美咲は黙ったまま俯いている。
「なあ、美咲。答えてくれよ」
俺を囲む女子の中の一人が言った。
「宮久保が美咲の彼氏を奪ったからだよ」
おそらく、光圀先輩が沙耶子に告白した事か。
噂は筒抜けだった様だ。
しかし、沙耶子は受け入れてはいない筈だ。
「そうでしょ? 美咲」
「う……うん」
美咲は怯える様に頷いた。
「全部、宮久保が悪いんだよ!」
「あの女、マジきもい。美咲の彼氏を寝取ったりしてさぁ」
「え? 寝取ったの!? やべぇ、超ビッチじゃん。きーもーいー」
「そうでしょ? 美咲」
再び問われた質問に、美咲は頷いた。
その瞬間、俺を囲む女子がケラケラと黄色い声を上げる。
「ほら、宮久保が全部悪いんだよ」
「あんた宮久保の彼氏? じゃあ、私達に怒鳴る前に宮久保を怒鳴ったら良いじゃん」
なんとなく分かった。
こいつらは、宮久保を虐める為の口実が欲しかったのだ。
ただたんに、宮久保を虐めたかっただけ。
それだけの為に、美咲を利用して……。
「ほら、さっさと帰れよ」
すぐ後ろの女子が、そう言った。
「帰れよ!」
一人が俺の肩を強く押す。
野球部のピッチャーである俺にとって、肩は命の次に大切な体の一部。
さすがの俺も、堪忍袋の緒が切れた様だ。
低い声で言う。
「てめぇ、怪我したらどうすんだよ……」
「え?」
力任せに、先程から俺を罵倒する女子の一人の顔面に拳を打ち込む。
飛び散る僅かな唾液と血。
それを見た周りの女子は一歩後ずさる。