HOPE 第四部
俺のクラスでは、朝のホームルームで文化祭の話し合いが行われた。
委員長が黒板に、クラスで可能な出し物を書き込む。
「これが、うちのクラスで出来る出し物なんだけど、皆はこの中で何が良い?」
黒板には右から、演劇、合唱、ダンスと書かれている。
こうして見ると、小学校の御遊戯会と何ら変わりない。
まあ、中学二年生の文化祭なんて、こんな物だろう。
「合唱で良くね?」
「たしかに、演劇は台本とか面倒だし」
「ダンスとか普通に無理」
個人が何かをしなくても、物事は勝手に進んで行く。
それが学級活動だ。
クラス委員長が、度々出される意見を聞き、結論に持ち込む。
「じゃあ、順番に聞いて行くね。まず、クラス合唱が良い人、手を上げて」
ほぼ全員が手を上げた。
俺も周りに会わせて、手を上げる。
「決まりだね。問題は指揮者と伴奏なんだけど……」
すると、クラス全体がいっそうざわめき始める。
「おい、お前がやれよ」
「指揮者って歌わなくて良いのかな?」
「皆の前は、ちょっと恥ずかしいな」
全体の反応を見て、委員長は僅かに笑みを浮かべる。
「仕方ないなぁ。じゃあ、私がやってあげても良いけど、皆はどうしたい?」
ただ、自分がやりたかっただけだろう。
と、内心で思いつつも、俺自身は指揮者なんて誰でも良かったのだ。
結局、指揮者は委員長と言う事で話はまとまったが、問題は伴奏者だった。
どうやら、このクラスにはピアノの経験がある奴がいない様だ。
いや、いたとしても、おそらく手を上げないだけなのだろう。
「明日のホームルームで、伴奏者を決めるから。あと、合唱で歌いたい曲も考えておいてね」
その言葉を最後に、朝のホームルームは終了した。
一限目の授業は音楽だった。
皆がせっせと教科書や筆記用具を揃えて音楽室へ移動する中、なぜか宮久保だけは落ち着きがない様に見えた。
何と言うのだろう。
何か考え事をしていて、他の事に手が回らない、といった感じだろうか。
椅子から立ち上がり、歩き出したかと思うと太股を机の角にぶつけてしまい、とても痛そうに涙を浮かべている。
それを見た彼女の友人が駆け寄って、心配そうに声を掛ける。
なんだか、遠目に見ていて面白い。
音楽室でも、宮久保の態度は変わらなかった。
話し掛けてみても、上の空でまるで人の話を聞こうとしない。
いったい何を考えているのだろうか。
放課後、宮久保は俺を音楽室へ呼んだ。
俺には部活があるだろうから、そんなに時間は取らせないと言っていたが、どんな用があるのだろう。
「どうしたんだよ? こんな所に呼び出して」
やはり、宮久保の様子は未だに落ち着きがない。
「あの……えっと……聴いて欲しいんだけど……」
「何を?」
「私の……」
声があまりにも小さいので、何を聴いて欲しいのか分からない。
「え? 何?」
「だから……聴いて欲しいの。私の……ピアノ」
「ピアノ?」
宮久保は頷くと、隅に置いてあるグランドピアノの椅子に座った。
蓋を開けると、白い鍵盤が露わになる。
「おいで」
そう言われ、俺もピアノの側に寄る。
彼女は一回だけ息を吐き、鍵盤に指を躍らせた。
綺麗な音色が音楽室に響く。
それは聴いた事もない曲。
しかし、どうしてか聴いているだけで安心する。
楽譜もなく、まるで歌う様に、宮久保は音を奏でていた。
演奏が終わると、彼女はゆっくりと鍵盤蓋を閉じた。
宮久保は、ポカンと口を開けている俺に笑い掛ける。
「こんな演奏が出来るのに、どうして伴奏者に名乗り出なかったんだ?」
「不安だったから。私のピアノが、他人からはどう聴こえているのかなって」
そんな彼女の内気な性格が、折角の才能を隠していたのだろう。
しかも、それが影響してあのドジっぷり。
とりあえず、自信を付けさせる事が重要だな。
「凄く上手だ。お前なら、出来るんじゃないか?」
「出来るのかな? 私に……」
「ああ、とりあえず、委員長に話を付けよう。すぐに呼んで来るから」
委員長を音楽室に呼び出し、ピアノを聴いて貰った。
暫くして、なぜか蓮も音楽室に入って来る。
普段は見せる事のない、ピアノを弾く彼女の表情。
俺達は、それに魅入られていた。
「凄いよ! 宮久保ちゃん!」
伴奏が終わると、委員長は宮久保の元へ駆け寄り、彼女の手を握った。
「え? あぅ……」
委員長の態度に動揺しつつも、宮久保は嬉しそうに笑っている。
「宮久保ちゃんのピアノがあれば、充分な合唱が出来るよ」
隣で、蓮が突然騒ぎ出す。
「よっしゃ! なんか皆で頑張ろうぜ!」
蓮が俺の肩に手を廻して言う。
「俺達も協力するから!」
「え!?」
「本当!? 良かった。これで文化祭の実行委員が揃った」
「実行委員? 誰だよ?」
委員長は俺を指差し、宮久保、蓮と順に指差した。
「おい、委員長。俺は……」
クラス活動をしている余裕があるのなら、部活へ行きたい。
そう言おうとすると、委員長は俺の言葉を遮った。
「名前!」
「え?」
「委員長っていうの、堅苦しい。私は橘美咲。美咲で良いよ!」
「おお! いきなり名前呼びか! いいね、いいね!」
蓮はどこか嬉しそうだ。
「俺は藤堂蓮。蓮で良いぜ」
「はい! 次は宮久保ちゃん!」
宮久保は戸惑った様な表情を浮かべ、俺を見る。
どうして、ここで俺を見るんだ……。
とりあえず、宮久保に向かって頷いてやった。
すると、彼女も俺に対して頷く。
「……み、宮久保沙耶子。さ、沙耶子で良いから」
「うん! 沙耶子ちゃん!」
橘は俺に笑顔を向ける。
「え?」
「自己紹介!」
「ああ、烏丸綾人だ。綾人……って呼びたいなら、そう呼べ」
「うん……綾人君」
真っ先にそう言ったのは、宮久保だった。
蓮と橘は、にやけながら俺達のやり取りを見物している。
「え? 宮久保……」
彼女は首を横に振る。
「沙耶子だよ」
少しだけ息を吐き、俺は彼女の名前を呼んだ。
「ああ、沙耶子」
彼女達と別れた後、夕日の差す帰り道を、蓮と自転車で走っていた。
「おい、どうして文化祭の実行委員の話なんかに賛成したんだ? しかも、俺まで巻き込んで」
「まあ、しょうがないじゃん。沙耶子ちゃんが伴奏で、美咲ちゃんが指揮者なんだから」
「別に、沙耶子が実行委員になるからって、俺達も協力する必要なんて、なかったんじゃないか?」
蓮の声が突然、低くなる。
「仕方ないだろ……」
雰囲気が、どこか重苦しい。
「知ってるか? 美咲ちゃんの事」
「あいつが何だよ?」
「お前は知らないだろうけど、俺達の学校には、女子間の虐めが裏ではかなり頻繁に起こってる。ターゲットを無視し続けるとか、そんなレベルじゃない。しかも、その虐めてる方のグループには、美咲ちゃんもいる」
「……」
「沙耶子ちゃんを、そういうのに巻き込みたくはないだろ? だから、念の為、俺達が沙耶子ちゃんに付いていた方が良いと思ってさ」
どうして、蓮があんな行動を取ったのか。
ようやく分かった。
沙耶子を守る為だ。
そんな事にも気付けなかった自分が、とても情けなく思えてくる。
「蓮、ありがとうな」