HOPE 第四部
宮久保の家は、その先のマンションの密集地を通り越した住宅街にあるそうだ。
田園を吹き抜ける風は、とても涼しくて気持ちが良かった。
「お前さぁ、俺がいなかったらどうするつもりだったんだ?」
「……歩いて行くしか、なかったかも……」
「ハァ!? こんな道をずっと歩いて行く気だったのか!?」
「……」
「お前、また倒れるぞ」
「……ごめん」
二人で自転車に乗っている為、宮久保の顔は見えないが、なんとなく彼女の表情が目に浮かんだ。
「大丈夫。別に、気にしてないから。それに……」
「?」
「ある意味、良い経験になった」
「ある意味?」
「ああ。こんな日があっても良いなって……そう思えたんだ。いつもこの田園に囲まれた道を通って、学校へ行って、勉強して、部活をやって……同じこの道を通って帰る。毎日が同じ事の繰り返しだからな」
「烏丸君は……この道は嫌いなの?」
「別に、嫌いじゃないさ。お前は?」
「私も嫌いじゃないよ。いや、好きかもしれない。前に住んでいた所に、似た様な景色があったから」
どうしてだろう。
後ろから聞こえて来る彼女の声は、なんだか悲しそうだった。
前に住んでいた街に、心残りでもあるのだろうか。
まあ、余計な事は聞かない方が良いな。
聞いたが為に、彼女を嫌な気分にさせる事があるかもしれないし。
住宅街に出ると、宮久保は俺の背中を軽く叩いた。
「どうした?」
「停めて」
彼女の言う通り、その場で自転車を停めた。
「ここまで来れば大丈夫だから。もう降りるね。ありがとう」
そう言うと、宮久保は鞄を持ち自転車を降りた。
「家はこの辺なのか? 急いでる訳じゃないし、家まで乗せてっても良いんだぞ?」
彼女は首を横に振る。
「大丈夫。ここまで来れば大丈夫だから」
「……そうか」
「また二学期にね」
「ああ。またな」
その言葉を最後に、俺は彼女と逆方向の道を走って、家に帰った。
野球部の練習は朝から始まった。
日射しの強まる炎天下の下、俺達は練習に励んだ。
類を速く走る度に、心地の良い風が吹く。
バッティングをすれば、ユニフォームの露出した肌から汗が飛ぶ。
達成感のある練習が出来て、俺はとても満足していた。
休憩時間になると、俺は木陰に置いたバックからスポーツドリンクを取り出し、一気に口に流し込んだ。
氷で冷えたスポーツドリンクが、乾いた喉によく沁みる。
「くっはあ‼」
つい、そんな声を上げていた。
隣で蓮が、飲んでいたスポーツドリンクを噴き出す。
「親父かよ!」
「ああ、こうやって俺達は親父になっていくんだろうな」
「急に、どうしたんだよ? 俺達、まだ中学生だぞ」
「あれ見てみろよ」
俺は木陰の外を指差した。
その方向には、現投手である鈴木先輩が熱心に投球練習をしている。
「鈴木先輩が進路の事について言ってたんだよ。この街の私立高のスポーツ推薦狙うって」
「あの人なら、出来るんじゃないか?」
「そうかもな。来年は俺もスポーツ推薦で、そこへ行こうと思ってる」
蓮が苦笑いを浮かべる。
「マジかよ……。俺はどうしようかなぁ。あの学校、学力高いし」
「頑張って、お前も来いよ」
「え?」
「俺、ずっとお前と野球をする気でいるから」
蓮は頬を真赤に染め、俺から目を反らした。
「な、何だよ……急に」
「なんかさ、鈴木先輩を見てたら、そんな事を考えてたんだ。来年の俺達は、どうしてるんだろうなって」
「たぶん、受験に燃えてる」
「だろうな」
木陰の外から「集合」と掛け声が掛かる。
蓮は立ち上がり、俺に手を差し出した。
「とりあえず、今は野球で燃えておこうぜ」
「そうだな」
短く答え、彼の手を取った。
部活を終えて、帰宅した頃には夕方になっていた。
ポストには手紙が数枚。
雫からの手紙は、今日は来ていない様だ。
インスタントラーメンのお湯を沸かし、冷蔵庫の中の飲み物を確認する。
コーラやサイダー、殆どの飲み物がきれている。
時計を見てみると、まだ七時前だ。
「買いに行くか」
お湯を沸かしている火を切り、財布を片手に家を出た。
道の端に位置している街灯と、空に光る数個の星だけが、夜道を照らしていた。
そんな道を数分歩いた所に、スーパーマーケットがある。
近隣の住民は、大抵がここを利用している。
入り口に置いてある買い物かごを手に取り、まっすぐジュースの売り場へ向かった。
並んでいる炭酸飲料を数本ほど、かごに入れる。
これだけあれば、三週間は持つな。
レジで会計を済ませ外へ出ると、意外な人物に出くわした。
片手に重そうな買い物袋を抱えた宮久保だ。
「宮久保」
「え? 烏丸君」
星と街灯だけが照らす夜道を、二人だけで歩く。
「こんな時間に買い物か?」
「うん。仕事から母さんが帰って来る前に、夕飯の買い物をしておこうかと思って。烏丸君は?」
「冷蔵庫の中身がなかったからな」
数本のペットボトルの入った、買い物袋を彼女に見せる。
「炭酸ばっかり……」
「ああ、好きだからな」
彼女の顔が少しだけ引き攣る。
「もしかして冷蔵庫の中身って……炭酸のジュースしか入ってないの?」
「まあ、そうだな」
「食事は、どうしてるの?」
「インスタントラーメンで充分だろ」
「えっ!」
『信じられない!』とでも言いたげな顔をされた。
「体とか大丈夫?」
「今のところは。まあ、運動だけは欠かしてないから」
宮久保は俯き、その場で歩を止めてしまう。
「どうした?」
「そんな生活してたら……そのうち死んじゃうよ……」
「大丈夫。運動だけは欠かしてないから」
「駄目だよ!」
宮久保は俺の手を握り怒鳴った。
「インスタントラーメンばっかり食べて、炭酸ばっかり飲んでたら、そのうち死んじゃうよ! ちゃんとした物を食べないと駄目だよ‼」
こんなに感情的になった宮久保を、俺は初めて見た。
今まで大人しい奴だと思っていたが、怒鳴る事もあるんだな。
「もしかして、俺の事を心配してくれてるのか?」
冗談混じりの言葉に、宮久保は一気に赤面し、そっぽを向いた。
「そ、そんな……当たり前だよ!」
「え?」
「烏丸君がいなかったら……私……。何も出来ずに、ずっと一人でいたと思う。だから……」
「だから……何?」
「今度、烏丸君の家に、お料理しに行っても良いかな?」
「どうして?」
「お礼がしたいから。それに、烏丸君には、美味しい物を食べて欲しいから」
そう言って、宮久保は俺に笑い掛けた。
時間の空いている日と家の住所を教え、彼女と別れた。
こうして、夏休みの初日の夜は更けていったのだ。
一週間程が過ぎた日の昼頃に、宮久保は俺の家を訪ねて来た。
彼女の手には、大きめの買い物袋が一つ。
中には食材が幾つか入っていた。
「いらっしゃい。散らかってるけど……」
「大丈夫。常識の範囲内なら気にしないから」
そうは言った物の、俺の常識が彼女の常識の範囲内に収まるかどうか……。
特に、リビングのテーブルの上に置いてある、インスタントラーメンの山を見たら、どう思うだろう。
自虐的な考えを展開させながら、宮久保をキッチン隣のリビングへ案内した。
「やっぱり」