HOPE 第四部
「あのさぁ……どうして俺に挨拶するんだ?」
「え? あの……えっと……」
「他にいるだろ、挨拶する奴。あの辺に」
俺は前の方の席で固まって話している、数人の女子グループを指差した。
「あの辺の奴と絡んでこいよ」
「む、無理! 絶対……無理だから!」
大きく首を横に振る。
「なんで?」
「だって……何を話せばいいか……分からないし……」
「そんなの世間話で良いんだよ」
「で、でも……」
本当に、鈍臭くて面倒な奴だな。
「お前は、只でさえ転校初日に転んでるんだ。こうなったら、自分から話しかけるしかないぞ?」
「……頑張ってみる」
「頑張ってみるんじゃなくて、頑張るんだよ」
不安げな表情を浮かべながらも、宮久保は頷いた。
授業や間の休み時間を経ても、宮久保は俺以外の誰かに話し掛ける事は出来なかった。
そして、とうとう一日の半分を過ぎた時間、昼休みになった。
「結局、ダメかぁ……」
「ごめん……」
彼女は、俺に対して申し訳なさそうに俯く。
「謝ってもしょうがないだろ……」
昼休みという事もあって、教室内はかなりざわついている。
話し掛けるとしたら、時間が長く教室のざわめきに溶け込めそうな、この時間が最適だ。
おまけに俺を除く大抵の男子は、外でサッカーやキャッチボールをして遊んでいる。
クラスメイトの人数が少なければ、宮久保の負担も減るだろう。
それでも彼女は、集団を作って笑い合っている、女子グループの一団を眺めているだけだった。
どうしたものか……。
俺が仲介に入っても良いのだが、それではどこか後味が悪い。
こうなれば強引だが、あの策を使うしかない。
「よし!」
俺は掛け声を上げて立ち上がった。
「な、何?」
「俺は外の皆とサッカーをしてくる!」
「え?」
「だから、お前の相手をしてる暇はない。とりあえず、あの辺の女子に話し掛けてみろ。 もしダメだったら俺は、暫くお前と距離を置く事にする。男子の中の付き合いもあるしな。 じゃあな!」
それだけ言って、俺は教室を飛び出し校庭へ向かった。
我乍ら酷い事を言った気がする。
しかし、こうでもしないと彼女はクラスに溶け込めない。
この方法が最も最適なのだ。
校舎に昼休み終了のチャイムが鳴ると、俺は教室へ戻った。
今、俺の隣の席に宮久保は座っていない。
辺りを見回してみると、彼女は数人の女子と笑いながら楽しそうに会話をしている。
あの女子グループは、クラスではあまり目立つような奴はいなかった様に思える。
それほど性格の悪い奴はいないから、宮久保なら大丈夫だろう。
彼女が、あんな風に友人に囲まれ笑っていられる事に、なぜか自分自身が安心してしまった。
「よかった……」
「ああ、本当によかった」
俺の隣で、蓮が宮久保を見て笑う。
「お前は何もしてないだろ」
「何もしてなかった訳じゃねぇよ。少しだけ、お前等のやりとりを見てたんだよ。なんとなく分かったよ。お前が誰かに惚れるなんて、ありえないからな。あいつの手助けをしてただけだったんだな」
「俺は手助けなんてしていない。全部、宮久保が自分でやった事だ」
そう、勇気を出してクラスメイトと接したのは彼女だ。
宮久保が転校して来てからの二日間、彼女は俺に頼りっきりだった。
しかし、宮久保は他に頼る相手を見つける事が出来た。
きっと、もう俺を頼る事もない。
そんな予感がしていた。
俺の予感は的中し、それから数日間、宮久保とは隣の席でありながらも、一言も言葉を交わさなくなった。
もう、彼女の面倒を俺が見る必要はない。
そう思ったから。
授業が終わると、宮久保は友人の所へ行ってしまう。
そんな宮久保を見ていると、なぜか寂しくなった。
宮久保と一切話す事なく、一学期の最終日がやって来た。
帰りのホームルームで担任から通知表を渡され、クラス全体が賑わう。
「明日から夏休みだ!」
「明日から何しようかなぁ」
そんな声が教室の中で飛び交う中、俺は席に座り、野球部の夏休みの練習予定表に目を通していた。
「休み少ないなぁ……。まぁ、今日は練習なしで帰れるわけだし、我慢しておこう」
そんな事をぐちぐちと言っている間に、一学期は終了した。
俺は荷物をまとめ席を立った。
「蓮、帰るぞ」
どういうわけか、蓮は教科書と筆記用具を持っている。
「何で、そんなの持ってるんだ?」
「補習があるんだよ。悪いけど、今日は一人で帰ってくんねぇか?」
彼はスポーツ等の体を動かす事には長けているが、どうも頭を使う事に関しては疎い。
「分かったよ。今日は部活がないから良いけど、活動日に居残りになる事だけは、やめてくれよ」
「ああ、マジで気を付けるよ」
一学期の間に溜めこんだ、教科書や部活の用品を自転車の荷台に積み、自転車を出した時だ。
すぐ向かいの駐輪場に、宮久保がいる事に気付いた。
そういえば、彼女も自転車登校だったのだ。
声を掛けておくべきだろうか。
しかし、宮久保が女子グループの友人と打ち解けてから、全く会話をしていない訳だし、今日になって突然話し掛けるのも不自然かもしれない。
そんな試行錯誤をしているうちに、俺は衝動に任せ自転車を元の位置に停め、宮久保の元へ歩きだしていた。
彼女がこちらに気付く。
やばい、どんな事を話すか何も考えていなかった。
しかし、もう後戻りは出来ない。
何か話さないと……。
「なあ、宮久保」
「大丈夫だから!」
宮久保は俺の言葉を遮って、そう叫んだ。
「え……何が?」
訳も分からず問う俺に、宮久保も問い返す。
「え? あの……これの事じゃないの?」
宮久保は自転車の前輪を指差した。
「自転車の……タイヤ?」
自転車の側に屈んでタイヤを触ってみる。
触った時の抵抗が全くない。
これは明らかにパンクだ。
「パンクしてるよ……」
「本当に、大丈夫だから」
俺はようやく理解した。
宮久保は自転車がパンクしていた事に関して、俺に世話を焼かせたくなかったのだろう。
「家は、ここから何分?」
俺の言葉に彼女は焦り出す。
「本当に大丈夫だから……」
このままじゃ、「大丈夫だから」の一点張りだ。
仕方がない。
屈んだまま周りを見渡した。
どうやら、こんな然う斯うをしているうちに、かなり駐輪場から人が減った様だ。
「なあ、宮久保」
再び彼女の名前を呼んでみた。
「……何?」
「家は、ここからどれくらい?」
「だから……大丈夫だって……」
俺は屈んだまま、強がる彼女のスカートの裾を握った。
数秒もしないうちに、宮久保は一気に赤面する。
「か、烏丸君……これは……何?」
「家、ここから何分?」
俺の問いに、彼女は小さく呟いた。
「……歩いて……四十分くらい……」
二人分の荷物を前籠へ、収まり切らなかった荷物を背中に背負い、宮久保を荷台に乗せて学校を出た。
あの後、親を呼ぶ事を提案したのだが、彼女の親は夜遅くまで仕事をしていて、こんな事をしている余裕がないのだそうだ。
中学校の周辺には、広い田園が広がっていて、そこを抜けるとようやく商店街へ出る。