HOPE 第四部
父は俺の頭を強く撫でる。
プロ野球投手である彼の手は、とても大きくて、どこか温かかった。
「お前のせいなんかじゃない。タイミングが悪かったのさ。だから、雫と喧嘩した分、今度はお前が雫の力になってやるんだぞ」
目蓋に涙を溜めながらも、父は俺に笑顔を絶やさなかった。
それから毎日、学校が終わると雫のいる病院へ通った。
最初のうちは照れ臭かったけれど、日を積む毎に、雫に会う事が楽しみになっていたのだ。
学校での出来事。
家での出来事。
そんな他愛もない会話を二人で楽しみ、共に笑い会った。
喧嘩をし合っていた、あの頃が嘘の様に感じられる時間を雫と過ごす中で、やがて俺の中である感情が芽生え始めた。
きっと、雫も俺と同じだったと思う。
俺と彼女の中で芽生え始めた、ある感情。
それは兄弟間では、絶対にあってはならない、互いを異性として好いてしまう事だ。
雫を見る度に、胸が締め付けられるような感覚が俺を襲う。
幼かったあの頃の俺は、それが何であるかすら知らないでいた。
雫へ対する、この衝動は日に日に増して行った。
いつか彼女は、俺の前からいなくなってしまう。
そう思うと、自然と涙が頬を伝った。
ポロポロと涙を零す俺を見て、雫は優しく問い掛ける。
「お兄ちゃんは、私の事が好き?」
「……当たり前だろ」
「じゃあ……」
雫は俺の手を取った。
彼女の冷たくて細い指が、汗の滲む俺の手に絡む。
「来て……お兄ちゃん……」
その声と共に、俺は人形の様に小さな雫の体を強く抱いた。
彼女の唇に自身の唇を重ね、ゆっくりと目を瞑り、そのままベットに倒れた。
細くて小さな彼女の腕、胸、足。
それらが俺の体と絡み、今までになかった様な感情が溢れ出て来る。
ずっと一緒にいたい。
もっと触れていたい。
俺は彼女のパジャマの一番下のボタンを外し、そこに手を入れた。
その行為に答える様に、可愛らしい声が聞こえて来る。
更に再び彼女の唇に、自分の唇を重ねてみた。
先程とは違い、今度は舌が絡んで来る。
互いの唾液が交わり乱れる音が、室内に響く。
今がずっと続けば良いのに。
いつか訪れるであろう雫との別れに目を背け、俺はこれでもかという位に彼女と乱れた。
暫くして、珍しく両親が家に帰って来た。
雫に関しての大事な相談があるのだそうだ。
「綾人は部屋にいなさい」
父にそう言われ、俺は自室に入れられた。
どことなく違和感のある、両親の行動に違和感を感じた俺は、こっそり部屋を抜け出して両親の話を盗み聞きした。
父は沈んだ声で話を切り出す。
「この前の検査で……雫の子宮に異常があったらしいんだ」
「どういう事?」
「赤ちゃんが……いたらしい」
母はテーブルを強く叩く。
「赤ちゃん!? どうして、あの子に赤ちゃんが出来るの!? あの子は、ずっと病院にいたのよ! 父親は誰なの!?」
その問いに父は黙り込む。
「あー、もう! どうするのよ!? こんな事を公にしたら、私やあなた、それ以外の人間にも大きな迷惑が掛かるのよ!」
「……」
分かっていた。
父親は俺だ。
こうなる事は、分かっていたのだ。
しかし俺と雫は、分かっていながらも関係を持った。
この頃の俺達は、自分が思っている以上に幼い子供だったのだ。
「父親は誰なのよ!?」
「……見当は付くだろ」
「まさかっ!」
立ち上がった母を、彼は制止する。
「綾人を責めても何も変わらない。まず、これからの事を考えよう」
「……」
僅かな沈黙が続いた後、父はある決断を下した。
「子供……降ろすしかないな。その後は、雫を県外に住まわせよう。それしかない。綾人と雫の為にも……二人を離さないと……」
母は俯き泣いている。
「ありえないわ……。こんな事が……あって良い筈ないわ。兄妹同士なんて……」
母さん、父さん、そして雫……ごめんなさい。
頭の中で、その言葉を連呼しながら、ドアに手を付き息を殺して泣いた。
数日後、親戚の叔父が車で俺の家を訪れた。
きっと雫を迎えに来たのだろう。
あの日、両親が家に揃ってから、雫とは会っていない。
会えば、今以上に雫や父や母に罪悪感を感じてしまいそうだから。
二階の自室の窓から外を見ると、雫と叔父、父と母が庭にいた。
叔父が雫を病院から連れて来たのだろう。
そして、彼女を遠い所へ連れて行く。
もう二度と会う事は出来ない。
そんな気がした。
悲しげな表情を浮かべている雫。
両親と何かを話している叔父。
そんな光景を見ていると、この場にいても立ってもいられなくなった。
部屋を飛び出し、階段を駆け降りた。
玄関で靴を履き庭へ出ると、四人の視線が俺に集中する。
俺は雫の側へ駆け寄り、彼女を後ろに叔父の前に立った。
「ちょっと、綾人!」
怒鳴る母を、父は制止する。
俺は震える声で叔父に言った。
「俺には……雫が必要だ。だから、あんたに雫は渡さない!」
彼は俺の前に屈み、ポケットから一枚の紙切れを取り出した。
それを俺に手渡す。
紙切れには、どこかの遠い街の住所が書かれていた。
「そんなに雫に会いたいのなら、もう少し大人になって、誰にも頼らず自分の力で会いに来るんだ」
「……」
俺は雫の前を退いた。
「忘れないから……雫……」
「うん。お兄ちゃんが来るの……待ってるから……」
彼女の表情は、どこか儚げで辛そうに見えた。
だから直視する事が出来ず、俺は目を反らした。
後部座席の窓から、雫が顔を覗かせる。
走り出す車に、俺は必死に叫んだ。
「絶対に会いに行くから! 手紙も書く! 絶対だ!」
車が遠くの方に消えて見えなくなるまで、俺は同じ言葉を叫び続けた。
雫が引き取られて以来、両親が家に帰る事はなくなった。
俺は雫に会いに行く事も許されなかった。
唯一、許されたのは手紙を送り合う事だけだ。
家には俺だけ。
悲観しても仕方がない。
こんな状況を作り出してしまったのは俺なのだから。
それでもテレビ等の公の場で、両親が並べる嘘八百な家族談義を聞いていると、どうしようもない怒りが込み上げた。
♪
朝早くからの野球部の練習を終え、俺は誰よりも早く教室に来ていた。
蓮は一度、家に帰ると言っていたから、教室には俺しかいない。
宮久保のロッカーを見ると、彼女の鞄はなくなっていた。
昨日、俺が部活へ行った後に取りに来たのだろう。
「あいつ……来るかな……」
つい、そんな事を呟いてしまっていた。
まったく、俺は何を考えているんだ。
別に宮久保が来るか来ないかで、俺が悩む必要なんてないじゃないか。
自分にそう言い聞かせてみる。
とりあえず、あいつは気軽に話せる友達を作るべきだ。
そうすれば、俺が世話を焼く必要もなくなるし。
そんな事を考えているうちに、クラスメイト達が登校し、教室は徐々に騒がしくなっていった。
暫くして、宮久保が後ろのドアからこそこそと入って来る。
覚束ない足取りで俺の後ろを通り、隣の席に座った。
そして、ぎこちなく俺に言う。
「……お……おはよう」