HOPE 第三部
琴峰先輩は察してくれたのか、私に背中を向ける。
「まあ、そうね。いくら同姓とは言っても、さすがに下着までは着替えにくいよね」
「すいません」
「いやいや、いいって」
着替えを終えた私を見て、琴峰先輩はからかい気味に微笑む。
「まるで昔の私を見てるみたいだ。胸とか」
「え!?」
私の視線は、真っ直ぐに彼女の膨らみのある胸部へ行っていた。
「私も……そんな風になれますか?」
「ああ、大丈夫。一年生の頃の私の悩みは、乳が小さい事だったんだから」
「へぇ」
昔の琴峰先輩。
この人も、部活内で私の様な境遇にいたのだろうか。
「あの……どうして、聞かないんですか?」
「何を?」
キョトンとした顔をして、聞き返された。
「だって、あんな濡れた格好で街にいて、部活をサボったなんて……」
「だから?」
「……」
僅かな沈黙が生まれる。
黙り込む私に、琴峰先輩は励ます様に言った。
「私は、何も気にしない。でも、何か悩みがあるなら言って欲しいな。私で良ければ、力になるから」
「……」
「ちょっと! どうしたの?」
先輩は、私の顔を見て驚いている。
「あの……私の顔に何か付いてますか?」
「いや……だって、涙が出てる」
「え?」
頬を触ると、温かい涙が流れていた。
「あ、えっと……ごめんなさい。なんか……私……」
慌てて涙を拭う私を、琴峰先輩は優しく抱き締めた。
彼女の柔らかく温かい胸部が、私の顔面に当たる。
「琴峰先輩……」
「由佳でいいよ」
「由佳先輩……」
「何?」
「聞いてください。私の悩みを……」
私は由佳先輩に全てを打ち明けた。
バスケ部での私に対する虐め。
これから私は、この部活でやっていけるのだろうか。
「じゃあ、私も一緒に部活へ行くよ」
必死に訴える私に、由佳先輩はそう言ってくれた。
空はすっかり暗くなっている。
一人だけの帰り道、どうしてか足取りが軽かった。
ジャージを着ているからだろうか。
「返すのはいつでも良いよ」
由佳先輩はそう言っていたけれど、明日には返そう。
本当に良かった。
あんな優しい先輩に出会えて。
翌日の昼休み、校舎裏へ行ってみた。
あの少年が気になったからだ。
クラスの友達から聞いた話によると、少年の名前は平野隼人というらしい。
物陰から、こっそりと顔を覗かせる。
木蓮から降り注ぐ木漏れ日の下に、少年と少女がいた。
二人は仲睦まじく、楽しそうに話している。
その光景を見て私は思った。
ああ、きっと彼は信頼できる人を見つけたんだな。
私と同じ様に。
部活へ向かう私の気分は、珍しく軽快だった。
今日は由佳先輩がいるからだ。
あの人がいれば、きっと大丈夫。
そんな気がした。
部室の前で、少しだけ深呼吸をする。
「よし!」
思い切って、ドアを開けた。
室内には、既に私以外の一年生や二年生の部員がいる。
由佳先輩は、まだいないようだ。
「こんにちは」
とりあえず軽く挨拶をしただけなのだが、全員の不気味な視線が私に集中した。
「ちょっと、天道」
先輩の一人が私に声を掛けた。
なぜか、彼女の声は沈んでいる。
「これ」
私に何かが差し出される。
それはボロボロになった、数人分のユニフォームだった。
袖等の至る部分が裂けていて、もう使い物になりそうにない。
「あの……これは?」
「もう全部分かってるんだよ! あんたでしょ!? これやたの!」
「え?」
そんな事、全く身に覚えがない。
「このユニフォームがあんたのロッカーから出て来たのが、何よりの証拠だよ! それに商人だっている」
「そんな……」
どうして?
一体、誰がこんな事をした?
もしかして、私以外の一年生の仕業だろうか。
きっとそうだ。
それしか有り得ない。
「私じゃありません! それは」
「いや、それは天道の仕業だよ」
私の意見を遮る様に、後ろから声がした。
振り返ると、そこには由佳先輩がいる。
「由佳先輩! これは、どういう事ですか!?」
「昨日、久しぶりに部活に顔を出そうかと思って、ここに来たんだよ。でも、誰もいなかったからすぐに帰る事にした。私が部室から出た時、天道は私とすれ違っただろ」
嘘だ。
そんな筈はない。
私は昨日、由佳先輩の家にいたのだから。
「嘘です! そんなの!」
必死に否定する私の意見を、他の一年生が否定する。
「嘘付いてるのは天道なんじゃないの」
「先輩に濡れ衣着せるとかサイテー」
どうして?
由佳先輩……どうして……私を裏切ったんですか?
もう、私を虐めのターゲットとするグループは、一年生だけに留まってはいなかった。
「ほら! 飲めよ!」
彼女達は、私の顔面を便器の中へと突っ込んだ。
「あっはっはっは! 汚ねぇ!」
立て続けに、背中に大量の水がホースを通して掛けられる。
どうして?
私は何もやていないのに、どうしてこんな事になるんだ?
便器から顔を引き上げられ、数人が私の頬をビンタする。
「こんな物じゃないんだよ! あんたがした事はね!」
何も言い出す事が出来なかった。
と言うよりも気力がなかった。
どうせ、彼女達は私の意見なんて、もう聞かないのだから。
「先輩、天道の服も裂いちゃいましょうよ!」
「ああ、でも……こいつの制服を裂いた後にチクられても困るしなぁ。おい、天道。脱げよ!」
そう言うと、私の服を四方八方から掴み、ブラウスのボタンやスカートのチャックを強引に外し始める。
「もう……止めて下さい」
そんな訴えも、彼女達の笑い声で掻き消された。
彼女達がいなくなって、私はトイレの床に下着姿で横たわっていた。
脱がされた制服は、全て便器の水に浸されている。
「本当に惨めで汚ないわね」
上から由佳先輩の声がした。
「どうして……折角、優しい先輩に出会えたと思ったのに……」
フンっと、由佳先輩は私を鼻で笑う。
「もう、誰も天道の事なんて信じないよ。この際だから言うけど、ユニフォームを裂いたのは私だよ。普段、あれは試合でしか使わないから、部室に置きっ放しで都合が良かったんだよ。だから、今日の朝早くに部室に忍び込んだの」
「どうして、そんな事を?」
由佳先輩は制服のボタンを外し、右肩をさらけ出した。
彼女の右肩には、何重にも包帯が巻かれている。
「あんたが来る前、試合で肩をやっちゃってね。それっきり腕が上がらないんだよ。だから、たまに部活に顔を出してる。サボりなんていうのは嘘。ただ、天道が羨ましかった。まるで、昔の私を見ているみたいで。でも、あんたのバスケも終わりだね」
今、私の中で一つの感情が生まれた。
それは、私を妬むが故に貶めた、この女への抑え切れない程の怒りだった。
翌日の朝、私は由佳先輩を昇降口で待っていた。
昨日のままでは、収まりが付かなかったのだ。
当の本人が来た。
澄ました様な顔で、チラッと私を見る。
そして鼻で笑った。
彼女の行動が、私の怒りを脹らませる。
私は彼女の直ぐ前に駆け寄り、行く手を阻んだ。
「おはよう。天道」
爽やかに挨拶をされた。
そんな由佳先輩にはお構いなしに、私は彼女に言う。