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世捨て作家
世捨て作家
novelistID. 34670
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HOPE 第一部

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 そこは、彼女の言う通り、まさしく田舎だった。
 自分の住んでいる街とは違って、太陽は照り付けてはいるが、とても涼しくて過ごしやすそうな所だ。
 辺りは見渡す限りの田園が広がっていて、その間に一本の舗装された道がある。
「本当に田舎だな」
 驚いている僕を見て、宮久保はクスクスと笑う。
「こんな田舎は初めて?」
「うん、そうかも」
コンクリートで舗装された一本道を二人で歩く。
 真夏の日差しは、僕達を明るく照らし出していた。
 時折、地元のケートラが通るくらいで、他には何もいなかった。
 ただ聞こえてくるのは、蝉の鳴き声や風の音だけ。
 しばらく歩いた所に村があった。
 藁で作られた屋根のある家々が連なり、一つの村を作りだしていた。
 いや、こういうのは村と言うよりは、集落と言うのかもしれない。
「なあ、ここに何かあるのか?」
「まだ先だよ」
 そう言って、宮久保は再び歩き出す。


 村を抜けた所に西洋風の大きな屋敷があった。
 見てすぐに、白というイメージを定着させる様な、真っ白な柵に囲まれた屋敷。
 大きな庭には、かつては芝生があったのだろう。
 今は雑草がボウボウに茂っている。
「ここだよ」
 宮久保は、そう言った。
「え?」
「ここが目的地」
 ここは、どう見ても空家だった。
 以前に、どこかの金持ちでも住んでいたのだろうか。
「ここって……」
 彼女の表情に影が差し込む。
「昔、私が住んでた家」
「こんな凄い所に……。どうして?」
「とりあえず、中に入ろう」
 ポケットから鍵を取り出し、門の鍵を開けた。
「昔、合鍵を貰った事があって、そのまま持ってたの」
 屋敷に入ると、高い天井や所々の大きな扉が目に着いた。
 驚いている僕を余所に、宮久保は語りだす。
「私は、父さんの不倫相手との間にできた子供だったの」

   ♪

 宮久保沙耶子は、世間で名を轟かせる程の富豪の家に生まれた。
 しかし、それは宮久保にとっては、とても不幸で可哀想な事だった。
 宮久保は父親と、その不倫相手によってできた子供なのだ。
 別荘であるこの屋敷に、宮久保は父方の親戚の叔母と住む事になる。
 しかし、その生活は中学一年生に進級したある日、終わりを迎える。
 不倫相手は疾走し、その後、父親は事業に失敗して自殺。
 その為、会社は倒産し、叔母は私を一人残して失踪した。
 残ったのは、宮久保とその母親、それと多額の借金だった。
 そして、宮久保はこの屋敷を離れ、あの街で母親と住む事になったのだ。

   ♪

「ここが、私の部屋」
 かつて、宮久保が住んでいた部屋は閑散としていて、中央にあるピアノとベットと机、他に家具の様な物は、一切置かれていなかった。
 それを見て、宮久保は安心した様に胸を撫で下ろす。
「良かった。ピアノだけは残っていたんだ」
「?」
「殆どの家具は、差し押さえられちゃったんだ。でも、良かった。本当に良かった」
 宮久保は全身の力が抜けた様に、その場に倒れ込む。
 僕は慌てて、彼女の体を支えた。
「大丈夫か?」
「うん、ごめんね」
 彼女の声が、しだいに震えだす。
「ずっと、怖かった。このピアノがなかったら、どうしようって……ずっと怖かった」
「ピアノ?」
「うん。叔母さんは、引っ込み思案な私にピアノを教えてくれたの。毎日、家事の合間を縫って……」
「優しい、叔母さんだったんだな」
 そう言って、僕は頭を撫でてやる。
「?」
宮久保は少しだけ頬を赤くした。
「こうしてると、ホッとするって、教えてくれたろ?」
「うん、ありがとう」
 僕は彼女の小さくて細い体を、力一杯に抱き締めた。
 彼女の流した涙が僕の肩に落ち、温かな温度を伝える。
 あの日の僕とは違う。
 そう思う事が出来た。
「なあ、宮久保」
「やめて!」
「え?」
「名前で……呼んで……」
 その声には、少しだけ恥じらいがある。
「うん。沙耶子」
「何? 隼人君」
「キス……しても良いかな?」
 僕の問いに、頬を真赤に染める。
「キス? じゃあ……私、隼人君の……その……恋人になっても良いのかな?」
 鼓動が少しずつ高まり、胸がキュッと締め付けられる様な想いだった。
「ああ、もちろんだ」
「じゃあ、私……欲しいの……平野君が……」
「うん」
 唇に触れた柔らかい感触を感じながら、ゆっくりと目を瞑った。

 どれ程の時間が経ったのだろう。
「こんばんは、隼人君」
 ベットの上で、重い目蓋を開けて横を見ると、沙耶子はピアノに手を添えていた。
 部屋の中は既に暗くなっていて、唯一の明かりは外からの月光だった。
「お洋服、そこに置いてあるから」
「ああ、ありがとう」
 モゾモゾと服を着る。
「今から帰ると、大分遅くなるな」
「隼人君」
「ん?」
「今夜は、ここに泊まろう。お弁当もあるから」
「……うん」
 どうしてだろうか。
 あまり沙耶子に対しての恥じらいを感じなかった。
「ねえ、ピアノ弾いても良いかな?」
「ああ、頼む。僕も聞きたいから」
 鍵盤の蓋を開けて、椅子に座る。
 真っ白な鍵盤が月光に照らされて、眩しく光った。
 鍵盤の上で、彼女の指が踊りだす。
 その度に、綺麗な音が部屋の中で響いた。
曲自体は聞いた事がなかったが、何度でも聞きたくなる様な、そんな音色だった。
「この曲は?」
「昔、私と叔母さんで作った曲なの。曲名はホープ」
 ホープ、日本語訳は希望。
 曲名を考えるに当たって、彼女の叔母は沙耶子の未来に希望を託したのだろう。
 根拠はないが、そんな気がした。
「ホープ……希望か。良い曲だな……」
音色を奏でながら、沙耶子は言った。
「いつか……会えると良いな。本当の母さんに……」
「会えるよ。希望を捨てなければ」
その音色を聞きながら、僕は沙耶子と共に夜を過ごした。
これからの僕達に希望がある事を願って。


「じゃあね、隼人君」
「ああ、またな」
 駅で沙耶子と別れた後、自分のいる世界が変わった様な気さえした。
 上手くは言えないけれど、前と違って、どこか透き通っている。
 そんな感じがしたのだ。


 夏休みも終わり、秋が近付いていた。
 涼しい風やカラカラに枯れた葉が、その事を証明している。
 そして、秋になってから変わった事が一つだけあった。
「ごめんね」
 沙耶子は申し訳なさそうに、僕に謝罪する。
「どう言う事だよ!? 別れようなんて……」
「ごめんね」
 そう言い残して、僕の前から去って行った。
 別れを告げるに至った訳すらも、一切見当が付かなかった。


 それからというもの、僕は毎日校舎裏へ来た。
 結局、前の自分に戻ってしまったのだ。
 何も変わってなどいなかった。
 でも、一つだけ感じている事がある。
 ポッカリと穴が開いた様な感覚。
 それは喪失感。
 そして、この時、僕は見た。
 屋上から落下する彼女の姿を……。



 帰宅して早々、トイレに籠った。
便座に手を着き、そのまま一気に嘔吐する。
 涙や鼻水で、僕の顔はもうグショグショだ。
 汗で貼り付くシャツが、異常にヌルヌルしていて気持ちが悪い。
 自室へ戻り、布団の上に倒れた。
 今日までの出来事全てが、夢であれば良いのに。
作品名:HOPE 第一部 作家名:世捨て作家