HOPE 第一部
「そうだ! 私も雑学知ってるよ」
「どんな?」
「クラスの男子が話してるのを聞いちゃったんだけど、コンドームを財布に入れると、お金が溜まるんだって!」
「!?」
そんな話を笑顔でされて、どう対応して良いのか困ってしまった。
「え、えぇっと……宮久保、コンドームって何か分かるか?」
「そこが問題なんだよ! 何? コンドームって」
「えっと……知らない方が良いと思うぞ」
「えー!? 教えてよ!」
教える事を躊躇ったが、何度も粘るので仕方がない。
「宮久保。耳を貸して」
彼女の耳に、今までの経験を活かした知識を吹き込む。
すると、宮久保は僕から目を反らし、恥ずかしそうに頬を真赤に染めた。
「ひ、平野君」
「何?」
「ごめん」
「いや、どうって事ないよ……」
少しだけ、気まずい空気を作ってしまった。
どうにかして、この……何て言うか……エロい話から離れないと。
「そういえば、宮久保って家はどの辺?」
「この先の駅から電車だよ」
「電車か。毎日、大変だろ?」
「そうでもないよ。それに、長い道を歩いてるから、色々と面白い発見があるんだよ」
「発見?」
「ほら! あれ」
そう言って、ある方向を指差す。
「あの木」
宮久保が指差した木は、太い木の棒で補強されていた。
「あれが、どうかしたのか?」
「この前までは、今にも倒れそうだったのに、支える事で立ち上がり始めてる。なんだか、あの木を見ると、やる気が出るっていうか……。これからも頑張って行けそう、みたいに思えるんだよね。はは、ごめんね。なんか自分で言ってて、ちょっと恥ずかしいかも……。他にも、この時間にこの場所を歩いて来る人の服装とか。……私って、ちょっと変かな?」
そんな事はない。
毎日、この道を通っているけれど、そんな事に関心を持った事など、一度もなかった。
宮久保は、なんて前向きなんだ。
つくづく感心してしまった。
宮久保と出会って、一週間程経っただろうか。
だいぶ僕に馴染んだ様な気がする。
休み時間になると、宮久保は僕に会いに教室へ来るようになっていた。
同じ学年で、クラスも近いからだろう。
「平野君」
教室のドアから、宮久保が呼んでいた。
立ち上がり、教室から出る。
「おお、宮久保」
「ねえ、テストどうだった?」
今日は授業が潰れて、丸一日がテストになっている。
あまり自信のない僕には、突然その話題を出されるのは少々きついかもしれない。
なんたって、あと三つもテストが残っているのだから。
「まあまあ、かな」
とりあえず、そう答える。
それを聞いた宮久保は、ややからかい気味に言う。
「ふーん。じゃあ、そんなに良くはなかったんだね」
「えっと、まあ、僕は赤点さえ取らなければ、それで良いから」
と、胸を張って言ってみた。
「あー、そんなんじゃあ、良い大学には入れないよ」
「良いんだよ。僕は付属の大学に行くんだから」
気のせいだろうか。
少しだけ彼女の表情が暗くなる。
「そっか。私は、出来れば他大に行きたいなあ、なんて思ってるんだけどね」
「え!? 凄いな」
ふふん、と宮久保も胸を張って見せた。
答案は、三日と経たずに返却された。
テストは全部で五教科ある。
先に返却された四教科は、赤点にはなっていなかった物の、平均点超えもしていなかった。
そして、最後の一教科が返された。
「うわ……」
それは、真赤なバッテンだらけの答案用紙。
まさしく赤点だ。
教師は容赦なく言う。
「赤点だった奴は追試だからな」
「へー、大変だね」
帰り道、宮久保にテストの事を話すと、そんな返答をされた。
「ちゃんと勉強したのになあ……」
「うーん、勉強の仕方なんて、人それぞれだから」
「そういえば、宮久保はテストどうだったんだ?」
「私? 私は全部平均点超えだよ」
「う……そっか」
僕は少々顔を引きつらせる。
「そういえば、赤点取ったら追試だよね?」
「ああ」
「私が勉強教えてあげようか?」
「いいのか?」
「もちろん!」
宮久保は嬉しそうに頷いてくれた。
休日に、駅近くの図書館で勉強する事になった。
勉強はあまり好きではないが、なんだか待ち遠しい。
宮久保を駅まで送った後、今にも騒ぎ出したい気持ちを抑えながら、僕は思いっ切り家まで走った。
その日、宮久保は制服で来た。
彼女曰く、制服の方が気合いが入るそうだ。
まあ、僕もそんな気分で制服を着て来たのだけれど。
図書館の隅の机に二人で腰掛けた。
勉強の為、止むを得ないのは分かるのだが距離が近い。
彼女の呼吸の音が聞こえたり、長い髪が時々頬に触れる。
その度に、少しだけ赤面した。
勉強の方はと言うと、教え方がとてもうまく、すぐに問題を理解する事が出来た。
始めてから二時間程して、宮久保は伸びをした。
「んー! そろそろ休憩しようか」
「ああ。そうしよう」
僕と宮久保は外の自販機でジュースを買った。
授業料として、彼女の分の代金は僕が出した。
缶を開けて、口に運ぶ。
その時、彼女の腕に着いているリストバンドが目に止まった。
「なあ、気になってたんだけどさあ、そのリストバンド。いつも着けてるけど、何?」
「ああ、これ? これは、前に大事な人から貰った物なんだ。大事な人から……」
儚げな表情を作って、リストバンドを見る。
「大切な物なんだな」
「うん、とっても」
宮久保にも、過去にそんな人はいた。
自分が関わる事の出来ない彼女の過去。
そう思うと、少しだけ悲しくなった。
雲に隠れていた太陽が顔を出し、眩しい日差しを放つ。
宮久保は左手を広げ、宙にかざして言った。
「もう夏だね」
「うん」
「夏休みになったらさ、二人でどこかに行かない?」
「どこかって?」
「どこか!」
笑う宮久保に僕も笑い返す。
「そうだな。夏休みになったら、どこかに行こう」
勉強の成果もあり、追試は見事に合格だった。
テストも終わり、高校一年生の夏休みが間近に迫っていた日。
帰り道にあるファーストフード店で、僕達は夏休みの予定について話し合っていた。
「平野君は、夏休みは予定とかある?」
「んー、そうだな、特に予定はないな。旅行にも行かないし」
「じゃあ、二人で行こうよ」
「どこに?」
「電車で、凄い田舎に」
「田舎?」
「うん。凄く良い所」
結局、宮久保は詳しい行先は教えてはくれなかった。
夏休みに入ると、宮久保と会う回数も減ってきた。
学校に行く事はないから、仕方がない事だが……。
しかし、旅行はあと数日後だ。
あと数日……そう思う程、宮久保に会いたくて仕方がなかった。
平日の午前十時という、あまり人のいない駅の改札前で、宮久保は僕を待っていた。
いつも学校で見る様な制服ではなく、白のワンピース姿に、やはり腕にはリストバンドを着けている。
手には軽い荷物を持っている。
日帰りだと言っていたから、実はそれほど遠くはないのだろう。
まあ、夏休みだから帰りなんて何時になってもいいのだけれど。
数本の電車を乗り継ぎして二時間程の所に、目的地はあった。